聖女候補とイモづくし

第2話

 ディアンヌ・モーリス。十六歳。

 王室の縁戚であるモーリス侯爵の長女。

 家族構成は、両親と兄が一人。

 十四歳の時に司祭から素質を見い出され、聖女候補になる。

 同時期に、隣国から留学してきたアラン王子と婚約。

 その数か月後、妖精王によって異世界から召喚された少女サーラも聖女候補に指名される。

 以降、王立学院を舞台に彼女と対立。

 二年の時を経て、卒業間際にアランから婚約破棄を言い渡される。←イマココ



     ☆



「自業自得よね」

 厨房で、ジャガイモの皮むきに没頭する私の隣で、翅の生えた小さな生きものが鈴を転がすような細く高い声で言った。

「あれだけ執拗に嫌がらせをしたんだもの。サーラがアランに泣きつくのも、素直で真面目なアランがブチ切れて婚約破棄するのも、目に見えていたわ」

 瑠璃色のふわふわ長い髪と、同系色のつぶらな瞳。

 彼女は、二年の聖女試験に臨むディアンヌを見守る、相棒の妖精。

「大きなお世話ですことよ、フラヴィ」


 私がもっと早い時間軸に転生していたら、サーラへの妨害行為を自重して破滅フラグは回避できたかもしれない。

 でも、私が転生する前にすべてのフラグが立ってしまったのだ。

 過去を悔やむ暇があったら、「これから」をどうするか考えたい。


 虹色の光を振りまきながら飛び回る妖精に目もくれず、私はナイフでジャガイモの皮をむき続ける。

 食糧庫を覗いたところ、ジャガイモの在庫に余裕があったので、料理長にお願いして籠一杯分ほどわけてもらった。


「ディアンヌ様、こっちの皮むき終わりました!」

 隣の作業台で皮むきを手伝ってくれていた少年が、明るい声をあげた。

「ありがとうございます、ベルナルド様。助かりましたわ」

 十四歳という年齢よりも幼さを感じさせる、あどけない顔立ち。小柄で華奢な体躯。

 タンポポのようにふわふわとした金髪に、黄緑色の明るい瞳。

 隣国の第二王子、ベルナルド。

 アランの実弟。

 留学した兄王子を追いかけてきたはいいものの、王立学院の入学資格は十五歳以上。

 ベルナルドは入学試験を受けることさえ叶わなかった。

 聞くところによると、彼は祖国の学者と匹敵するほどの明晰な頭脳の持ち主で、その気になれば特例で入学できたらしい。

 それをしなかったのは、兄アランの面子を守るためなんだとか。


 王宮に滞在しているはずの隣国の第二王子が、なぜディアンヌのジャガイモの皮むきを手伝っているかというと。


「兄上との婚約が解消されたってことは、ディアンヌ様は今フリーですよね? ここに優良物件がいますけど、いかがですか? 年下はお嫌いですか?」


 猛烈に口説かれていた。


 そういえば、『マギクロ』のゲーム内では、ベルナルドは、正ヒーロー・アランの実弟でありながら、主人公サーラと敵対するディアンヌ側のキャラだった。

 頭脳派で掴みどころがなく、見た目に反してなかなかえげつない手段を駆使する、プレイヤーにしてみれば扱いが面倒な人物。

 シナリオ上では、学院に潜入したベルナルドがディアンヌと出会い、サーラに惹かれつつある兄の目を覚まさせるためディアンヌとの仲を取り持とうとする……という筋書き。

 なお、彼は攻略対象外キャラである。


 本編では描かれていないけれど、ディアンヌと協定を結んで行動を共にするうちに、恋心を抱いたのかもしれない。


「お気持ちだけ頂戴しますわね」

「ぼく、ディアンヌ様のそういうつれないところが、たまらなく好きなんです」


 ドМか。


「ベルナルドは悪趣味ねえ」

 言葉を飲み込んだ私の横で、フラヴィが率直に口に出した。

「あはは、よく言われます」

 笑いながら、ベルナルドは私の手元をひょいっと覗き込んだ。

「ディアンヌ様、今日は何を作るんです?」

「今日のメニューはですね……」




 一品目、スープ。

 茹でてつぶしたジャガイモと、バターで炒めたみじん切りのタマネギを合わせ、牛乳と煮込む。

 塩胡椒で味をととのえ、パセリを添える。


 二品目、ガレット。

 ジャガイモを細長く切り、削ったチーズと合わせ、フライパンで焼く。

 チーズが繋ぎになるし塩味があるので、小麦粉も調味料も使わない。


 三品目、ポテトチップ。

 前の世界ではおなじみのアレ。

 ジャガイモの薄切りを高温の油で揚げる。




「できましたわ」

「うわあ、おいしそうですね!」

 食欲をそそる油の香りに、育ち盛りのベルナルドは顔を輝かせた。

「この、素揚げにした薄切りのジャガイモ、初めて見ました。本当においしそう……」

「揚げたては熱いので、少し冷ましてから召し上がってくださいませね」

 ディアンヌに転生してから、ものの数時間しか経過していないのに、私の言葉遣いや所作はいつの間にか、自然にディアンヌのものと同化しつつあった。

「おイモばっかりで可愛くないわ」

 ジャガイモだらけの皿を見下ろしながら、フラヴィが不満げに口を尖らせた。

「フラヴィには別メニューですわ。はい、どうぞ」

 人間でいうところの小皿に、黄金色のプチフールをひとつ載せて、作業台に置いた。

 蜂蜜とドライフルーツのケーキ。

「ひゃああああ、可愛い! おいしそう! ディアンヌ愛してる!」

 フラヴィは、小さな身体で抱きつくようにケーキにかぶりついた。

 その様子を、ベルナルドが微笑ましそうに見守る。

「ぼくは、ジャガイモ大好きですよ?」

「たくさん作りましたから、使用人たちにも召し上がってもらいましょう」

「それじゃあ、ぼくが皆さんに声をかけてきますね」

「まあ、ベルナルド様にそんなことはさせられませんわ。わたくしが」

「ぼくがしたいんです。させて下さい。ディアンヌ様は、お料理に集中して」

 ね、と可愛らしく小首をかしげて微笑むと、ベルナルドは小走りで厨房を出た。


 気を遣われているのがよくわかった。

 婚約者に振られ、卒業目前の学院を追い出され、現在は父侯爵との面談をひかえているところだ。

 ゲームのシナリオ通りに物事が進むのなら、ディアンヌは離籍と国外追放を言い渡され、一週間後には身ひとつで旅立つことになる。


「回避ルートの入口……どこなのかしら?」


 取っ掛かりさえあれば、芋づる式に攻略チャートが思い出せそうな気がするのだけれど。

 誰もいない厨房で、調理器具の後片付けをしながら考え込んでいた、その時。


 何かが動く気配がした。


 外の食糧庫へと続く勝手口の扉が、キイ……と動いた気がした。

「誰か、いますの?」

 声をかけるが、返事はない。

 私は足音をたてないよう、抜き足差し足で勝手口へ近づいた。

 閉めてあったはずの扉が半分開いている。


 誰か、いる。


 壁づたいに移動し、扉に身体を寄せて、外の気配をうかがう。

 傾きかけた太陽が降り注ぐ裏庭、木々の揺れる音がかすかに聞こえる。

 次いで、鳥の声。

 そして、人の足音。


「どなた!? 出ていらっしゃい!」


 私は扉を勢いよく開け、外に飛び出す……つもりだった。


 バコッ、という音と共に、「ふきゃっ!」という小動物の鳴き声じみた悲鳴があがった。

 開けた扉が何かにぶつかったらしい。


 おそるおそる、声のした方へと視線を向けた。


 私の足元、扉の真ん前。


「いたたたた……」


 肩の下ほどの長さの、ゆるふわな亜麻色の髪。

 頭の後ろを飾るのは、細いリボン。色はポピーのような赤。

 地べたにしゃがみ込んで、小さな鼻を押さえながら、ウサギのようにぷるぷる震えていた。


「……あなた、何をしていますの?」


 けっして、悪意をこめたわけではない。

 あまりに驚いて、声が震えてしまったのだ。


「ご、ごめんなさい、ディアンヌ。わたし……」


 怯えたようにこちらを見上げてくる少女の胡桃色のまん丸な瞳は、涙に濡れていた。


 そこにいたのは、婚約破棄イベント以降、顔を合わせるはずのない、ゲームの正ヒロイン・サーラその人だった。

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