縁は異なもの味なもの ⑮

 潤さんのお父さんは腕組みをして、指先であごをさすりながら潤さんの方を見る。


「親父、安心して。俺はもう逃げないから。ただ、これまでお世話になった会社に迷惑をかけるような辞め方はしたくないから、少しだけ時間が欲しい」


 潤さんがまっすぐに顔をあげてそう言うと、お父さんは何度か小さくうなずいた。


「そうだな……。何事においてもけじめは大事だ。潤の納得のいく形で仕事を引き継いでから、うちの会社に来なさい」

「わかった。俺の中では、来年度から親父の会社に行くつもりでいるから、もう少しだけ待ってて」


 潤さんは私が思っていたより早く行動するつもりでいるらしい。でも潤さん自身が決めたことだから、私はそれについて何も言うつもりはないし、一番近くで潤さんを支えたいと思う。


「どうやら話はまとまったようだね」


 満足そうに笑みを浮かべる父を見て、潤さんのお父さんは苦笑いをした。


「サクちゃんは昔から変わらないなぁ。高校時代もさっきと同じようなことを言われたのを思い出したよ」

「イチは昔から、なんでも思い立ったら即行動しないと気が済まないし、一度言い出したら聞かないからね。そんな君を止めるのにはずいぶん苦労したものだよ」


 父は懐かしそうにそう言って笑った。

 私たちが生まれるずっと前の若かりし日の父を、少しだけ知ることができた気がした。



 父たちの懐かしい話は尽きないようだけど、9時頃に実家を出て家まで送ってもらった。

 家に帰ると、ダイニングのテーブルには葉月からの書き置きが残されていた。

 明日はバレーの練習日で、練習のあとは3人とも大事な用があって来られないので、すぐに食べられるようにシチューを多めに作っておいてくれたそうだ。念のため、食材も少し買い足しておいてくれたらしい。

【できないことは月曜日に私らがやるから無理せずに!明日は二人でゆっくり過ごしてな!】としめくくられていた。葉月たちの気遣いは感謝の一言に尽きる。


 それからお風呂に入ることになり、ギプスが濡れないように、潤さんにポリ袋とラップを巻いてもらい、医療用テープで固定してもらった。


「志織は風呂に入るときはいつもどうしてた?」


 潤さんは自分の足のギプスにポリ袋をかぶせながら尋ねる。

 自分で洗えない右腕と背中だけ葉月に洗ってもらっていたと答えると、潤さんは急に顔をあげて私の方を見た。


「それは一緒に入ってたってこと?」

「ううん、二人で入るには浴室が狭いから、自分で洗えないところ洗ってもらっただけ」

「じゃあ……洗ってあげるから、一緒に入る?」


 体を洗うのを手伝ってもらえるのは助かるけど、一緒にお風呂に入るのは恥ずかしいし、まだ抵抗がある。


「……それはちょっと……」

「なんで?俺は一緒に入りたいんだけど……ダメ?」


 潤さんは少し甘えた目をして私の顔を見ている。これは潤さんが私にくっついていたいときの顔だ。

 単純にお風呂に入るだけでは済まなくなってしまいそうな予感がする。


「恥ずかしいし……自制できなくなったら困るので、一緒に入るのはやめておきましょう」

「出来る限り自制するけど……」

「限界を超える可能性があるのでダメです」


 思わず敬語に戻ってなんとか断ろうとすると、潤さんはしょんぼりしてため息をついた。


「はぁ……。やっと二人きりになれたのになぁ……。一緒に暮らしても怪我が治るまではしちゃダメって言われるから、せめて風呂くらいは一緒に入ってイチャイチャしたいなとか、あわよくばちょっと触りたいなとか思ったんだけど、それもダメかぁ……」


 あわよくばって、そんなにあからさまに下心を吐露しなくても……!


「だってほら……お風呂でイチャイチャして触ったりしたら、我慢できなくなるでしょ?」

「……たぶん……おそらく」

「ね、だからやめとこう?無理して悪化するといけないから」

「うん……わかった」


 潤さんは肩を落として、ポリ袋の上から医療用テープを巻き始めた。

 なんとかあきらめてくれたと思ってホッとしたのもつかの間、潤さんはまた勢いよく顔を上げる。


「無理しなかったらいい?」

「え?」

「志織の背中流して、一緒に風呂に浸かりたい」

「えーっ……」


 どんだけ私と一緒にお風呂に入りたいんだ、潤さんは?

 そう言えば、前にも一緒に入ろうと誘われたけど断った。そしてついさっきも、断られた潤さんはしょんぼりと寂しそうにしていたし、断り続けるのがなんだかかわいそうになってきた。

 ベッドで体を隅々まで見られて、一緒にお風呂に入るよりずっと恥ずかしいことを散々したはずなのに、なぜか一緒にお風呂に入るのはなんとなく恥ずかしい。

 だけどもうすぐ夫婦になるわけだし、潤さんがそこまで言うなら、一緒にお風呂に浸かるくらいは良しとしようか。


「じゃあ……一緒にお風呂に浸かるだけね?」

「うん」


 結局、根負けして一緒にお風呂に入ることになってしまった。

 潤さんは私の右腕や背中だけでなく、嬉しそうに頭まで丁寧に洗ってくれる。いつも右手だけでなんとか洗っていたけど、洗いにくい場所はきちんと洗えているかが気になっていた。

 美容室でシャンプーをしてもらっているみたいに気持ちがいい。


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