縁は異なもの味なもの ⑭

「わたくしが運転しますよ。車ならよほどの渋滞さえなければ可能です」

「でもゆうこさんも忙しいでしょう」


 遠慮がちに潤さんがそう言うと、ゆうこさんはおもむろに首を横に振った。


「いえ、月曜日はわたくしがついていく必要のない仕事ばかりなので大丈夫です。もし別の秘書から連絡があっても、今月分のスケジュールと段取りなどはすべて頭に入っていますので、ご心配なく」

「今月分?!」


 当たり前のようにそう言ったゆうこさんの言葉に驚き、私と母は思わず声をあげた。父も目を丸くしている。

 大企業の社長のスケジュールを1か月分も記憶しているなんて、ゆうこさんにはやっぱり人工知能が搭載されているんじゃないだろうか?

 先ほどの婚姻届提出の際の説明といい、スケジュール管理のことといい、到底常人とは思えない。

 どういうことかと潤さんに尋ねてみると、ゆうこさんは人並外れた記憶力と計算力、そして恐るべき洞察力の持ち主で、その能力を活かし、社長秘書としていつも潤さんのお父さんのそばに控えていると教えてくれた。

 ここまでくると、もうため息しか出ない。さすが、あの瀧内くんのお母さんだ。


「潤、志織さん、そうしなさい。ゆうこはこう見えて、うちの会社のプロのドライバーより運転が上手なんだよ」

「さ……左様でございますか……」


 ゆうこさんって一体何者……?


「それじゃあ……志織、親父もゆうこさんもそう言ってることだし、お願いしようか」

「はい……お願いします……」


 なんだかよくわからないけど、ここはご厚意に甘えさせていただいて、予定通り月曜日に入籍することにしよう。



 食事のあとは潤さんのお父さんからいただいた美味しいお茶を飲みながら、父親たちの高校時代の話や仕事の話を聞いた。

 父は小学5年生のときの担任に憧れて教師を志したそうだ。

 潤さんのお父さんは、三島家の長男として生まれたときから自分が会社を継ぐことが決まっていて、経営者としての父親のことをとても尊敬していたので、なんの疑いもなく父親の後を継いだと言っていた。


「潤はなかなか後を継ぐとは言ってくれないし、おまけに母方の身内の会社に就職するし……。このまま継いでくれなかったらどうしようかと、ずっと頭を悩ませていたんだよ」


 実感のこもったその言葉に、潤さんはばつが悪そうな顔をしている。


「たしかに俺は、後を継ぐ気がなかったからあの会社に就職したよ。でもここ何年かは、後を継ぐことをまったく考えてなかったわけじゃない」

「だったらどうしてうちの会社に来なかった?」

「……俺には俺なりに、あの会社にいる理由があったんだよ……」


 歯切れの悪い潤さんの口ぶりに、父は小さく声を出して笑う。


「潤くんはお父さんと違って気が長いんだね。潤くんにそんなに一途に想われて、志織は幸せだと思うよ」


 父にそう言われた潤さんは、照れくさそうに頭をかいている。潤さんのお父さんも、潤さんが会社にいた理由が私だったと気付いたようだ。


「なるほど……。そういうことなら、志織さんとは結婚するんだから、今の会社はいつ辞めても問題ないな。いつからうちの会社に来る?年明けか?」

「どこまでせっかちなんだよ……。俺、課長だよ?退職するなら引き継ぎとかいろいろあるし、職場復帰していきなり退職するなんて言ったら迷惑がかかるだろ?いくらなんでも年明けは無理だ」


 どこまでもせっかちな潤さんのお父さんは、私たちの結婚だけでなく潤さんの社長就任まで、私の両親と言う証人がいるこの場で一気に決めてしまいたいんだろう。

 潤さんにとっても、もちろん私にとっても、どちらも人生が一変するような大事なことなのに、それはいくらなんでも性急過ぎる。

 しかし結婚のことはともかく、まだ結婚していない今の段階で、会社の後継問題にまで口出しをしていいのかと考えていると、話を聞きながら黙ってお茶をすすっていた父が、静かに湯飲みをテーブルの上に置いた。


「イチ、君は昔から事を急ぎすぎる。君の決断力と行動力は素晴らしいと思うけど、もう少しじっくりと腰を据えて待つことも覚えた方がいい。いくら親子でもそれは横暴ってものだよ」


 口調はとても穏やかではあったけれど、父のその言葉の中には優しさと厳しさがあった。父はまた教え子を諭すような口ぶりで、潤さんのお父さんをたしなめる。


「潤くんは今の会社でここまで頑張って、自分の力で若くして課長と言う役職に就いた有能な人材なんだ。もし君の会社で活躍している有能な社員が突然退職すると言ったら、君の会社にとって大変な損失だろう?それは潤くんの会社にとっても同じことが言えるんだよ。わかるだろう?」

「もちろんわかるさ。しかし悠長に待っている間に、潤の気が変わってしまわないとも限らないじゃないか」

「君が心配するのもわかるけど、それなら大丈夫だと思うよ。潤くんは潤くん自身の意志で君の後を継ぐと決めたんだから、信じてあげたらどうだい?」


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