Mother Quest ~ラスボスが現れた!~⑯

 潤さんは笑みを浮かべながらマグカップを口に運び、湯気のあがるコーヒーを一口飲んだ。

 私も何か話さなければと考えながらコーヒーを飲む。だけど何から話せば良いのかわからず、言葉が一言も出てこない。

 潤さんは顔も上げられないままテーブルの上でカップを握りしめている私の手を両手で包み込んだ。


「あのさ……さっきの話だけど……家のことをちゃんと話さずにプロポーズしたのは、本当に悪かったと思ってる。だけどご両親の前でも話した通り、俺は親父の会社を継ぐ気はないから、志織が心配しているようなことはないと思うんだ。だから……今は家のことは抜きにして、俺のことだけ見てくれないか」


 潤さんの気持ちはわからなくもない。だけどただ付き合うだけならそれでいいとしても、結婚となると家同士の繋がりができて、潤さんの身内は私の身内にもなるわけだから、それを無視して結婚を考えるのは難しい。


「潤さんのことは大好きだし、ずっと一緒にいたいって思う……。だからプロポーズされて本当に嬉しかったし、二人で幸せになりたいって思った。けど……潤さんの家のことを聞いたら急に不安になって、浮わついた気持ちでは一緒になれないと思ったの」


 正直な気持ちを話すと、潤さんはうつむいて私の手を離し、テーブルの上で拳を握りしめた。


「俺は浮わついた気持ちなんかで志織にプロポーズしたんじゃないよ。俺の一生をかけて志織を幸せにしたいって思ってる。俺には志織しかいないから」

「わかってる。だから……私にそれなりの覚悟ができるまで待って欲しい……」


 私のことを6年半もの長い間想い続けてくれた潤さんに、これ以上待てと言うのは酷なことなのかも知れない。それでも私は、大事なことだからこそ見て見ぬふりをして曖昧なままにはしておけないと思う。

 いい加減な気持ちじゃないのは私だって同じなのだ。


「また志織の気持ちがわからないまま待つのはつらいな……。志織の気持ちが俺から離れて行きそうで怖いよ……」


 潤さんがうつむいたまま呟いた。

 それが潤さんの本音なのだと思う。私はまた潤さんを不安な気持ちにさせているのだと思うと、これ以上どう言えばいいのかわからなくなった。

 いい歳をして気の利いた言葉のひとつも言えない自分の不甲斐なさが情けなくて悔しくて、また涙が溢れる。

 泣いたってなんの解決にもならないことはわかっているし、泣けば許されるとも思っていない。潤さんを困らせるだけだから泣きたくなんてないのに、いくら止めようとしても溢れ出る涙を止めることができない。


「ごめんなさい……」


 手の甲で涙を拭いながら謝ると、潤さんは私の隣に来て思いきり私を抱きしめた。


「ごめん……責めるつもりなんかなかったのに……。俺はただ、志織を離したくないって……ずっと一緒にいたいって、言いたかっただけなんだ」

「うん……」


 潤さんは両手で優しく私の頬を包み込み、親指でそっと私の涙を拭った。


「志織、ごめん……泣かないで」


 母親とはぐれてしまった迷子の子どものように頼りなげな声で、何度も『ごめん』と『愛してる』をくりかえしながら、潤さんは私の涙で濡れた頬やまぶた、唇に何度も何度も口づける。

 優しく触れ合うだけのキスを何度もくりかえしたあと、潤さんは私の肩に額を乗せてため息をついた。


「俺、志織のこと好きすぎておかしくなりそう……」

「それは大袈裟でしょう……」

「全然大袈裟じゃなくて。志織をどこかに閉じ込めて、誰にも取られないように……一生俺しか見えないようにしたいって思ってる自分が怖い」


 潤さんの中にそんな狂気じみた願望があることには驚いたけれど、誰にも邪魔されず一生潤さんのそばにいられるなら、それも悪くないなと少しばかり思っている私もどうかしている。

 そんなことを考えていると、潤さんが急に慌て始めた。


「いや、俺はただ、志織を離したくないなって思っただけで、実際はそんなヤバイことしないよ?だからそんなに引かないで……」


 どうやら潤さんは、私が何も言わなかったので『こいつヤバイやつかも』とドン引きしていると思ったらしい。

 そこまで必死で言い訳しなくても、潤さんが本気でそんなことをするなんて思ってないのに。

 潤さんの慌てぶりがなんだかおかしくて思わず笑ってしまった。


「引いてませんよ。ただ……それも悪くないなぁって思っただけです」

「えっ、悪くない……?」


 さっきまで慌てていたと思ったら、今度は不思議そうに眉をひそめている。


「何も考えずに……誰にも邪魔されずに、潤さんとずっと一緒にいられたらいいなって」


 私がそう言うと、潤さんは悲しそうに目を細めてうつむいた。


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