Mother Quest ~ラスボスが現れた!~⑮
車に乗ってからは、二人とも黙りこんだままだった。
しばらくすると、重苦しい沈黙をかき消そうとしたのか、潤さんはカーステレオの音量を少し上げて音楽を流した。
その曲にはなんとなく聞き覚えがある。たしか私がまだ新入社員だった頃に流行っていた、片想いの切なさを歌ったラブソングだ。
あの頃は潤さんと伊藤くんと葉月と一緒によく飲みに行っていて、そのあとカラオケに行くと潤さんが必ずこの歌を歌っていた。
潤さんがやけに心を込めて歌うので、感動して葉月と一緒に目を潤ませながら聴いたこともある。
「志織、この歌覚えてる?」
「うん……潤さんがいつも歌ってた……」
「そう。志織に聴いて欲しくて……俺の気持ちに気付いてって思いながら歌ってた。全然気付いてもらえなかったけどな」
「そうなんだ……。ごめんなさい、全然気付けなくて……」
カーステレオからは、片想いの相手に伝えられないたった一言の言葉を何度も心の中で叫ぶたび、切なさに胸を焦がしていると歌う声が流れる。
「ずっと……ずっと好きだった、志織のこと」
「うん……」
「今はあの頃より、もっともっと好きだ。だから俺は……志織を離したくない。一生かけて志織を愛したいし、守りたい」
「うん……」
潤さんのまっすぐな気持ちが胸に染みて、涙が溢れてこぼれ落ちた。潤さんは前を向いて右手でハンドルを握りながら、左手でポケットから取り出したハンカチを私に差し出す。
「ごめん……すごく抱きしめたいけど……今は運転中だから、これくらいしかできないな……」
「……ありがとう……」
私は差し出されたハンカチを受け取って涙を拭う。
潤さんは赤信号で車を停めると、左手でそっと私の頭を撫でた。
「志織……怒ってる?」
「怒ってないけど……びっくりして、どうすればいいのかわからなくなったの」
「ごめんな……。せっかく、やっとの思いで志織に手が届いたのに、親父の会社のこととか、祖母のことなんかいっぺんに話したら逃げられちゃうんじゃないかって思うと、怖くて言えなかった。でもどっちにしても驚かせたよな……」
私は何も言えず、うつむいて両手でシートベルトを握りしめた。
潤さんに悪気はなかったとわかっているけれど、もしあのとき母が尋ねなければ、潤さんはずっと私に素性を隠し続けるつもりだったんだろうか?
秘密にしていたのが莫大な借金や隠し子などではないにしても、嫁ぎ先のスケールがあまりにも大きすぎることは、私にとっては未知の世界だから不安でしかない。
潤さんは何も答えられない私をじっと見つめたあと、小さくため息をつく。
信号が青に変わり、潤さんは前方に視線をうつして車を発進させた。
「……俺のこと、きらいになった?」
そう言った潤さんの声がとても悲しそうだったので、私は慌てて首を横に振った。
「そんなことない。潤さんのことは好き。だけど……」
「好きだけど……結婚するのは、いやになった?」
「いやなんじゃなくて……」
この気持ちをどう言えばうまく伝わるだろう?
私は潤さんのことが好きで、ずっと一緒にいたいと思ったのも、結婚して二人で幸せな家庭を築きたいと思ったのも嘘じゃないし、今もそう思っている。それなのに潤さんが世界的に有名な大企業の後継ぎとなるべき人なのだと知ったとたん、たくさんの不安がよぎった。
潤さんが結婚する相手は本当に私でいいのかとか、もし潤さんが企業のトップに立ったとしたら、極普通の家庭に育った極普通のOLの私に何ができるだろうなどと考えて、潤さんの妻になることが怖くなってしまったのだ。
「冷静になって考えたいから、少しだけ時間が欲しい……」
私がそう呟くと、潤さんはため息をついて、「わかった」とだけ返事をした。
そのあとは二人ともまた黙り込んだままだった。
マンションに着いて駐車場の来客用スペースに車を停めたあと、潤さんはシートベルトを外して私の方を向いた。
「もう少し一緒にいたいんだけど……いいかな」
ためらいがちに呟いた潤さんの声は少しかすれていた。
本当は一人になって考えたいと思っていたけど、潤さんを不安にさせてしまったのだと思うと申し訳なくて断ることができず、私は黙ってうなずいた。
車を降りて歩き出すと、潤さんはそっと私の手を握った。そのまま手を繋いで部屋に戻り、キッチンでお湯を沸かしてコーヒーを淹れた。
潤さんはローテーブルの前に座ってネクタイをゆるめた。
テーブルの上にコーヒーを注いだマグカップをふたつ置いて、私も潤さんの向かいに座る。
「思ってたよりずっと緊張したけど……今日は志織のご両親に会えて良かったよ」
「そうですか?母がなんだか失礼なことばっかり言ってましたけど……」
「そんなことないよ。志織のことが心配だから、いろいろ尋ねたんだと思う。二人とも志織のことをすごく大事に思ってるんだってことが伝わってきて嬉しかったし、すごくうらやましかったな」
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