Mother Quest ~ラスボスが現れた!~⑭

「お父さんがあじさい堂の社長さんなのに、潤さんはなぜ今の会社に就職したの?」


 母が私の気持ちを汲んで尋ねると、潤さんは母の方に向き直り背筋を伸ばした。


「今の会社の会長は母方の祖母なんです。祖母は自分の子育てが間違っていたせいで孫に悲しい思いをさせてしまったと言って、僕たち孫のことをとても大事にしてくれたんですが……大学時代に経済誌の記事を読んで、祖母の経営者としての姿に感銘を受けて、コネなどは使わず他の学生と同じように入社試験を受けて就職しました。母方のいとこたちも僕と同じように入社して働いています」

「あらー……どちらにしても業界最大手の会社の血筋なのねぇ……。それで潤さんは将来的にお父さんの会社を継ぐつもりなの?」


 私が潤さんに聞きたかったことを、母はいとも簡単に尋ねた。

 潤さんは小さく首を横に振る。


「化粧品メーカーと言うこともあって女性の多い会社ですし、僕には不向きだと思うので……。曾祖父の代から続いた会社を僕の代で潰すわけにはいきませんから、有能な父の部下に継いでもらえればと」

「そうねぇ……。だけどお父さんは潤さんに継いで欲しいとお思いでしょう?」

「たしかにそれは認めます。早く身を固めて後を継いでくれと何度も言われましたし、しつこく見合いも勧められたんですが……好きでもない人とは一緒になれないし、会社を継ぐ気はないからと言って、ずっと断ってきたんです」


 ここに来てようやく、潤さんのお父さんが結婚を急かしていた理由がわかった気がする。潤さんにその気はなくても、お父さんはやっぱり潤さんに会社を継いで欲しいのだろう。

 潤さんのお父さんからすれば、祖父の代から父へ、そして父から自分へと受け継いできた大切な会社を、立派な息子がいるのに他人の手になど渡したくないはずだ。


「だったらおばあさんの会社を継ぐの?」

「いえ、そちらはおそらくいとこが……祖母の長男の息子が継ぐことになると思います。僕はもう一人のいとこと一緒に彼を支えていければと思ってます」


 祖母の長男の息子と言うのは瀧内くんのことで、もう一人のいとこと言うのはおそらく伊藤くんのことだろう。

 3人が会長の孫だと言うことは知っていたけれど、どこか現実味がないような気がしていた。しかしこんな話を聞くと潤さんだけでなく、いつも一緒にバレーをしたりお酒を飲んだり、特に親しくしている大事な同僚の瀧内くんと伊藤くんまでもが、急に遠い存在のように思えてくる。

 伊藤くんにプロポーズされて結婚の約束をしたあとに、じつは会長の孫であることを明かされた葉月も、こんな気持ちになっただろうか。

 婚約者の潤さんが大企業の後継ぎ問題の当事者であることを唐突に突き付けられ、私の頭はパンク寸前だ。

 潤さんとの結婚は、私が想像していたような甘いものではないのかも知れない。


「それを聞いて、志織はこの先潤さんとどうしたいの?」

「うん……。私、潤さんと結婚……しても、本当にいいのかな……?」


 私が迷う気持ちを言葉にすると、潤さんの顔が少し悲しそうに歪んだ。


「まぁ……志織も急にそんなこと聞かされたんだから、戸惑うのも無理はないわ。だけどこれくらいのことで気持ちが揺らぐようなら、結婚なんてやめておいた方がいいかもね」


 ついさっきまではなんの迷いもなく、『私は潤さんを捨てたりしない』とか、『私が潤さんを幸せにする』と断言していたはずなのに、『何がなんでも潤さんと結婚したい』と即答できない自分が情けないし、潤さんに申し訳ない。


「でもね、これから結婚しようって言ってる相手に、こんな大事なことを黙ってた潤さんにも責任があると思うの。二人でもう一度よく話し合って考えなさい」


 母がそう言うと、潤さんは両親に深々と頭を下げた。


「正直にすべてを話せなかった僕の責任です。申し訳ありません」

「二人の気持ちがしっかり固まったら、いつ結婚してもいいと私は思ってるけど……お父さんはどう思う?」


 母に意見を求められると、黙ってお茶を飲みながら話を聞いていた父が、湯呑みをテーブルに置いて静かに口を開いた。


「うん……。何があっても潤くんが志織のことを信じて味方になってくれるなら、いつ結婚してもいいよ。でもね……今はまだダメだ。志織が迷ってるし、潤くんは志織を信じきれていないから」


 父は一言一言、噛みしめるようにそう言って、また静かにお茶をすする。


「……だそうよ。お父さんがそう言うなら、私も今の段階では賛成できないわね。とにかくもう一度二人でよく話し合って、答えが出たらまた報告してちょうだい」


 潤さんは「はい」と返事をしてから口を真一文字に結び、膝の上で拳をぐっと握りしめて、また両親に深く頭を下げた。


 それから予定よりずいぶん早く実家を出て帰ることになった。

 潤さんは帰り際まで何度も両親に頭を下げた。

 車に乗る直前、母は私の肩を叩き、耳元に口を近づけてこう言った。


「志織、しっかりしなさい。今の自分にとって何が一番大切か、よく考えるのよ」



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