Mother Quest ~ラスボスが現れた!~⑥
「志織、無理しなくていいよ?俺、ちゃんとわかってるから。一緒に暮らすのも、結婚も、志織の心の準備ができるまで待つつもりだけど……やっぱり、ちょっと焦ってるかも」
潤さんの予想外の言葉に、私は首をかしげた。
「……焦ってる?どうして?」
「早く結婚しないと、志織の気が変わりそうな気がして怖い」
ああ……そうか。潤さんは母親に愛されなかったことや必要とされなかった経験のせいで、いつかまた大事な人が自分から離れて行くんじゃないかと不安になるのかも知れない。
私は潤さんを思いきり抱きしめて、背中を優しく撫でた。
「そんなに焦らなくても、私は潤さんを捨てたりしません。私が自分から好きになったのも、素直になれるのも潤さんだけです。こんなに大好きなのに……私のこと信じられませんか?」
「……ありがとう、志織。それ聞いてちょっと安心した」
潤さんはまだ少し不安そうに頼りなげな声で呟いた。私は潤さんの頬を両手ではさんで、まっすぐに潤さんの目を見つめる。
「ちょっとじゃ困ります。ちゃんと安心して私を好きでいてもらえるように、これから毎日『潤さん大好き』って言いますからね」
「うん……。好きな人から好きって言ってもらえるのって、こんなに嬉しくて幸せなことなんだな。俺、今めちゃくちゃ嬉しい。志織のことあきらめないで良かった」
潤さんは穏やかな笑みを浮かべて、私の背中に腕を回す。抱きしめ合って、そっと触れるだけの優しいキスをした。
「志織、好きだよ。志織のことはこの先何があっても俺が守るから、ずっと俺のそばにいて」
「私も潤さんを守りたいから、ずっと一緒にいます」
私がそう答えると、潤さんは嬉しそうに笑って私の右手を握った。
「じゃあ……そろそろ行こうか」
「はい」
私の部屋を出て再び車に乗り込んだ。
しばらく走ったところにあるコンビニでコーヒーとサンドイッチを買って車の中で食べていると、潤さんが「そう言えば」と呟いた。
「忘れかけてたけど、さっきの話の続き……どうする?」
私もうっかり忘れそうになっていたけど、下坂課長補佐の話の途中だったことを思い出した。
「そうですね。続きをお願いします」
潤さんはコーヒーで口の中のサンドイッチを流し込んで、大きく息をつく。
「車に乗せたのは家まで送るためだったんだけど……」
「送ったと言うことは、その前に会ってたんですね」
「会ったけど、二人でじゃなくて、俺を含めて4人で。人事異動の前の金曜日の晩に、部長と一課の野田課長も一緒に食事をすることになって、駅前のイタリアンレストランに行ったんだ」
私がイタリアンレストランから出てくる潤さんと下坂課長補佐を見たのはそのときだ。あの店で二人で食事をしたのだと思っていたのは、私の勘違いだったと言うことか。
「私、そのとき潤さんと下坂課長補佐が店から出てくるのを偶然見かけたんだけど……店を出たところで下坂課長補佐がつまずいて転びそうになって潤さんの腕にしがみついて、潤さんがそれを支えて……」
「ああ……たしかにそんなことがあったな」
「触られても触っても平気だったんですか?」
「平気じゃないけど……とっさに手が出たって感じかな。誰かが自分のすぐ横で倒れそうになったら、志織だって普通に助けるだろ?」
たしかにそんな状況であれば、私だって同じようにするだろう。
相手が苦手な女性であろうと、倒れそうになっている人がいたらとっさに助けてしまうあたりが、超絶いい人の潤さんらしい。
「そうなんですね……。私は潤さんがずっと好きだった人は下坂課長補佐なんだと思い込んでたから、下坂課長補佐には触れても触れられても大丈夫なんだと勘違いしちゃって……」
「全然大丈夫じゃないけどな。あのときはとっさに手が出たけど、あとになっていやな汗が出た。おまけにじっと見つめてくるから必死で目をそらして……。でもそれが変に気を持たせてしまったみたいで、あれからやたらと電話してきたり触られたりするようになって参ったよ……」
潤さんの誰に対しても分け隔てなく優しいところは長所だと思うけれど、無自覚のうちに相手に気を持たせてしまうのだから、やはり短所でもあると言えるだろう。
とは言え私も潤さんのその優しさに惹かれた一人だし、大人なのだから『これからは私以外の人には優しくしないで!』なんてことは言わない。
私しか知らない潤さんの甘さとか男の色気を他の人に見せずにいてくれたら、それでいいと思う。
「もう食べ終わった?」
「はい」
潤さんはレジ袋にまとめた二人分のサンドイッチの包みと空き缶を手に車を降り、店の前のゴミ箱に捨ててから、新しい缶コーヒーを2本買って戻ってきた。本当に細やかな気遣いができる人だと思う。
こういうところは営業部の先輩だった頃からずっと変わらないから、結婚してもお互いに支え合って生活していけそうな安心感がある。
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