Don't delay~準備はいいか~⑬
『家康だから』と言うのはどういう意味なのか?
私の中には、歴史的な背景以外は、ホトトギスが鳴くまで気長に待つ忍耐強い将軍と言うイメージしかない。
私が首をかしげて考えていると、潤さんはまた笑いをこらえた。
「家康は戦が有利になるように、自分の味方についてくれってあっちこっちに書状を送って根回しをしてたんだってさ。だから俺もそれに習って、本丸を陥落させるための根回しとして外堀から埋めてみた」
「へぇ、ためになる……って……えっ?」
もしかして、いろんな人に私を婚約者だと紹介して、あとになって『あれは嘘でした』と言えないようにしていた?!
外堀から埋めていくと言うのはそういう意味だったのか!
「二次会でも志織は俺の婚約者だって言っちゃったから、もしフラれたらどうしようかと本気で思ったけど……もう指くわえて見てるだけでいるのはやめて、今度こそ絶対に志織を落とす覚悟だったんだ」
「さすが家康様……。参りました……」
私の愛しい家康様は、私が思っていたよりずっと策士で、用意周到だったらしい。
降って湧いたような偽婚約者作戦だったけど、あれはもしかしたら瀧内くんじゃなくて潤さんが仕込んだものだったんだろうか?
「偽婚約者作戦は潤さんの策だったの?」
「いや、あれは玲司が勝手に言い出したことだけど、俺はそれに乗っかっただけ。うまく行ってホッとしてる」
「お見逸れしました……」
結局私は、気付かないうちに二人の策士に翻弄されていたと言うことだ。だけどそのおかげで潤さんと新しい関係が築けたのだから、すべて善しとしよう。
「それじゃあ明日は早速志織のご両親に挨拶に行こう。お母さんに電話して」
「わかりました」
潤さんに促され母に電話しようとすると、ちょうど母からまた電話がかかってきたので、二人で顔を見合わせて笑った。
「すごいタイミングだ」
「うちの母、すごくせっかちなんです。実際に会って怖くなっても逃げ出さないでくださいね」
そう念を押してから電話に出ると、母からの電話の要件は、案の定『いい加減彼氏を家に連れてきなさい』と言うことだった。
彼氏と言うか、もう婚約者なんだけどね、と思いながら笑いをこらえる。
「わかってる。だから明日行こうかって、彼と今話してたところ」
母と電話で話しながらチラッと潤さんを見ると、潤さんは手を差し出して、電話を代われと催促する。
「お母さん、ちょっと待って。今、彼と電話代わるから」
そう言うと母は少し驚いたようだった。電話の向こうで少し焦る母の顔が目に浮かぶ。
電話を代わると潤さんは落ち着いた口調で簡単に自己紹介して、明日の訪問についてお伺いを立てた。潤さんの返事や相槌を聞く限り、母は快諾したようだ。
「それでは明日の11時頃お伺いしますので、よろしくお願いします。志織さんにお電話代わりますね」
さすが営業職、あの手強い母に怯むことなく終始柔らかい口調で話し、そつなく会話をしめると、私にスマホを差し出した。
電話を代わると、母は感嘆の息をもらした。
『人柄の良さそうな方ね』
「うん、お父さんもお母さんもきっと気に入ると思うよ。そういうことだから、明日、一緒に帰るね」
電話を切った途端、潤さんは大きく息をついて脱力した。私が思っていたよりかなり緊張していたようだ。
「潤さん、大丈夫?」
放心している潤さんの顔を覗き込むと、潤さんは私に抱きついて頬をすり寄せた。甘える潤さんもかわいい。
「緊張したー……。大口取引の契約のときより緊張した……」
「それは大袈裟でしょう」
「いや、大袈裟じゃなくて、明日はもっと緊張すると思う」
婚約者の母と言う生き物は、大企業との大口契約をいくつも取り付けた実績を買われ若くして課長職についた潤さんをもド緊張させてしまうほど手強いらしい。
「じゃあ明日に備えてしっかり力をつけないと。お腹も空いたし、何か作りましょうか」
「材料あるかな。野菜室にキャベツと玉ねぎと……冷凍庫に豚肉があったと思うけど……買い物にでも行く?」
「たしか冷蔵庫にチューブの生姜がありましたよね?簡単に生姜焼きでも……あと、お味噌汁も作りましょう」
それから二人でキッチンに立って食事の用意をした。
潤さんがお米を研いで、私は玉ねぎを刻む。ごはんが炊けるまでの間に潤さんがキャベツを千切りにして、私は豚肉の生姜焼きと、玉ねぎとワカメの味噌汁を作った。
食事の支度を終えて二人で食べた夕飯は、いつもより何倍も美味しく感じた。
約束の味噌汁は朝ではなく夕方になってしまったけど、潤さんはとても幸せそうだった。
そんなささやかなことを喜んでくれる潤さんを見ていると、この人とならきっと幸せな家庭が築けると思えた。
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