カオス⑥

「私、高校までバレーばっかりやってたから、潤さんに会うまではまともにおしゃれも恋もしたことがなくて……。少しでも潤さんに好かれたくて大人っぽくなろうとしたんですけど、背伸びしてうわべだけ取り繕っても意味がないんだって気付いたんです」

「うん……そうなんだね」


 初めての恋と失恋はモナちゃんをひとつ大人にしたらしい。次はきっと同じ歩幅で歩ける人との素敵な恋ができるといいなと思う。


「潤さんのことはあきらめますけど……エースの座だけは絶対に渡しませんからね」


 笑ってそう言うと、モナちゃんはまたモップを手に元いた場所に戻った。

 モナちゃんのまっすぐな言葉は、恋愛の苦さを味わったアラサーの私には眩しすぎた。若いモナちゃんが失恋してもあんなに前向きに頑張っているんだから、私も大人として胸を張って、前を向いて生きられるように頑張らなければと思った。



 練習のあと、伊藤くんが三島課長の家に大事なものを忘れたと言ったので、ちょうど通り道だし一度三島課長の家に寄ることになり、ついでだから三島課長の家で夕食を済ませてしまおうと、途中のコンビニでお弁当を買った。

 伊藤くんの大事なものというのは、明日の会議で必要な書類の入った通勤用の鞄だった。


「思い出して良かったー!これがないと部長に締め上げられるとこだった」


 持って帰るのを忘れないように伊藤くんの鞄を玄関に置いて、三島課長の家のリビングで夕食を済ませた。


「もうすぐ潤くん帰ってくるかな?」


 伊藤くんが食べ終わったお弁当の容器をゴミ袋に入れながら時計を見る。


「会社に寄ってから帰るって言ってたから、もう少し遅くなると思いますよ」

「そうか。じゃあそろそろ俺たちも帰るとするか」


 片付けと戸締まりをして外に出ると、家の前で一人の女性がインターホンのボタンを押そうとしていた。こんな遅い時間に何の用だろうと思っていると、その女性も私たちの姿に気付き会釈をした。

 歳は私より少し上だろうか。大きな目と泣きぼくろが印象的な、かなりの美人だ。


「あのー……ここって、三島潤さんのお宅ですよね?」

「そうですけど……本人はまだ帰ってませんよ。今日はもう少し遅くなると思います」


 伊藤くんがそう言うと、その女性は少しがっかりした様子だった。


「そうですか……。でしたらまた日を改めます」


 女性が去っていくと、伊藤くんと瀧内くんが顔を見合わせる。


「誰だろ?名前くらい聞いておくべきだったかな?」

「日を改めるって言ってたから、別にいいんじゃないですか?」


 こんな遅い時間に訪ねてくるなんて、よほどの用があったんじゃないかとは思うけれど、本人のいないところで、あまり個人的なことに踏み込むべきではない。瀧内くんの言うように、大事な用ならまた訪ねてくるだろう。

 ただほんの少し、さっきの女性が三島課長とどういう関係なのかが気になった。そんなこと、私が気にする必要などないのだけれど。



 瀧内くんに車で送ってもらって自宅に帰りつくと、練習で使ったジャージやシャツを洗濯しながらシャワーを済ませた。

 明日からはまた残業になりそうだから、今日は早く休もうと思いながら手早く洗濯物を干して寝る準備をしていると、スポーツバッグの中でスマホの着信音が鳴った。

 こんな時間に電話してくるのは、また母か護じゃないかと思ったけれど、別の人かも知れないので一応確認してみると、画面には『三島課長』と表示されていた。日曜日に連絡をもらったきりになっていたことを謝らなくちゃと、慌てて電話に出る。


「もしもし」

『三島です。こんな時間にごめん』


 三島課長はいつもより少し疲れた声をしていた。


「いえ、お疲れ様です。もう家に帰られたんですか?」

『うん、少し前に。今日は帰りが遅くなって会えなかったから、明日の仕事の後にお土産渡したいんだ。生物なまものだから会社には持って行けないし、早く渡した方がいいかなと思って……。ついでに晩御飯でも一緒にどうかな』


 旅行ではなく出張だったのにお土産を買ってきてくれるなんて、上司に気を使わせてしまってなんだか申し訳ない。せっかくのご厚意なので、ありがたくいただいておくことにしよう。


「ありがとうございます。すみません、急な出張で大変だったのに気を使っていただいて」

『いや、そんなたいしたものでもないから。じゃあ明日の仕事が終わったら連絡くれる?』

「あっ……でも私、少し遅くなると思います」

『俺も残業になると思うから、時間は気にしなくていいよ』

「わかりました」


 明日のことについての話が済むと、三島課長は電話の向こうで少しの間黙り込んだ。

 まだ何かあったかなと思うと同時に、連絡をもらったまま返事をしていなかったことを思い出した。


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