カオス⑤

 週が明けるといくつもの業務を抱え、おまけに部下のミスの対応にもあたった私の一日は、予想していた以上に慌ただしかった。

 次の練習は水曜日だと三島課長が言っていたから、その日はなんとか定時で仕事を終われるようにと、いつもより気合いを入れて仕事をこなす。

 とりあえず今は目の前の仕事にいっぱいいっぱいで、愛だの恋だのに神経をすり減らしている暇はない。

 その日の仕事を終えると部署には誰もいない状態で、電車に揺られて自宅へ戻ると、食事もそこそこにうたた寝しながらシャワーを済ませ、疲れ果てて床に就く。

 こんなときに『お疲れ様、今日もよく頑張ったね』と頭を撫でて、一日の疲れを癒してくれる優しい人がいればいいのにな。そんなことを考えながら瞬く間に眠りの淵に落ちた。



 そして水曜日は、いつもの通勤鞄に加え、練習に必要なものを持って出勤した。

 大きな荷物を抱えて周りの乗客に迷惑がられるのはイヤなので、ラッシュアワーを避けて少し早めに家を出たこともあり、まだ少し眠い。

 やっと少し筋肉痛が落ち着きかけたところだけど、過酷なデスクワークで溜まったストレスを今日の練習で発散しよう。


 結局三島課長とは昨日も一昨日も会社で会わなかった。メッセージの返信をするべきかと悩んだけれど、たいした用でもないから、時間が経つほど余計に送りづらくなる。

 いつもは社員食堂とか廊下ですれ違うこともよくあるのに、こんなときに限ってなかなか会えないものだ。

 だけど今日は練習日だから会えるはずだと思いながら怒濤の速さで仕事をこなし、定時で仕事を終えて三島課長の家へ向かった。

 チャイムを鳴らすとジャージ姿の伊藤くんがドアを開けてくれた。勝手知ったる人の家というやつだ。


「次からは佐野も鍵が開いていたら勝手に入っていいよ」

「わかった、そうする」


 家の中に入ると、ジャージ姿の瀧内くんがソファーに寝転んでいた。三島課長の姿はどこにも見えない。


「お疲れ様。潤さんは?」

「お疲れ様です。潤さん、今日は来ませんよ。急な出張で月曜日から博多に行ってますから。今夜の新幹線で戻って来るそうです」

「そうなんだね、知らなかった」


 部署が違うのだから急な出張が入っても知らないのは当たり前だけど、それなら一言くらい言ってくれても……と思い、次の瞬間、自分の考えに首をかしげる。

 いや、よく考えたら三島課長にそんな義務はないな。


「潤さんの代わりに僕が車を運転するように言われてます。帰りもちゃんと家まで送るので安心してくださいね」

「ありがとう、よろしくね」


 リビングの隣の部屋を借りて着替えを済ませ、3人で練習場所に向かった。今日の練習場所はモナちゃんの通っていた中学校の体育館らしい。


「そういえば……今日は葉月は来なかったんだね」


 中学校に向かう車の中で尋ねると、伊藤くんは真ん中のシートでスマホをいじりながら顔も上げずに答える。


「平日だしな。今週は忙しいから、家でゆっくり休みたいって」


 新商品が立て続けに発売したところだし、来週には大規模な人事異動があるから、営業部もかなり忙しいようだ。それでも定時で仕事を終われる伊藤くんと瀧内くんは、優秀だからかなり効率的な仕事をしているんだろう。


 中学校の体育館に着いて練習の準備をしていると、モップがけをしていたモナちゃんが私のそばに駆け寄ってきた。また何か言われるのかと身構えていると、モナちゃんは私に向かって勢いよく頭を下げた。


「志織さん、この間は失礼なことばかり言ってしまってすみませんでした!」


 見るからに体育会系という感じの謝罪だ。

 私が予想外のことに驚いてポカンとしていると、モナちゃんはおそるおそる顔を上げた。


「後になって思い返してみたら、私すごくひどいことばかり言ってしまって、志織さんに申し訳なかったなって……」


 まっすぐに私を見てそう言ったモナちゃんは、この間より幼く見えた。よく見るとつけまつげとかアイラインのガッツリメイクではなく、ナチュラルメイクをしている。


「あれ……?モナちゃん、メイク変えた?」

「はい。どんなに背伸びしても私は私でしかないんだなって……。だから、やめました」


 前に見たときはモデルみたいできれいだと思ったけれど、今日のモナちゃんは歳相応の自然な感じがして、とても可愛く見えた。

 一体どんなことがあっての心境の変化なんだろう?もしかして伸幸くんに何か言われたのかな?


「前のメイクもきれいだと思ったけど……私はその方が自然でかわいいと思うよ」

「かわいいなんてそんな……」


 モナちゃんはしきりに照れている。あまりのかわいさに、思わず抱きしめたくなるほどだ。


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