Sweet Lovers(偽)②

「明日は練習初参加だな」

「そうですね。ちょっと緊張します」

「緊張しなくていいよ。歳とか職業なんかはバラバラだけど、みんなユルくやってるから」


 初対面の人たちの中に入っていくことももちろん緊張するけれど、一番緊張するのはうまく婚約者のふりができるかということだ。初回でいきなり嘘がバレたらと思うと気が気でない。


「初めてっていうのももちろんなんですけど……」


 私がそこまで言うと、三島課長は私の不安を察してくれたようだ。


「ああ……婚約者だってことはみんなに何か聞かれたら俺が言うから、志織は心配しなくていいよ。玲司と志岐もうまく話を合わせてくれると思うし」

「うまくいくといいですね」


 駅までの道のりを、他愛もない話をしながら手を繋いで歩いた。今日一日で三島課長と手を繋ぐことにも、『潤さん』と呼ぶことにも、少しは慣れた気がする。

 駅に着くと、駅構内は人の群れでごった返していた。


「やけに人が多いですね」

「なんだろう?土曜の夜とは言え多すぎるな。何かあったのかな」


 はぐれないように気をつけながら人混みを通り抜けて券売機の前まで進むと、貼り紙のされた案内板が出ていて、駅員が対応に追われていた。


「あー……原因はこれだ」


 三島課長は貼り紙を見ながら呟く。

 電気系統の故障でしばらく電車が止まっていたらしい。幸い先ほど復旧して、現在は通常通り運行しているようだ。


「混んでるけど電車は動いてるみたいだな」

「良かったですね」


 切符を買って自動改札機を通り、ホームではときどき周りの人とぶつかりそうになりながら、やっとの思いで混雑した電車に乗り込んだ。

 電車の中は朝のラッシュアワー並みのすし詰め状態だった。混み合った車内はただでさえ息苦しいのに、たくさんの人が放つ体臭や、衣服に染み付いた柔軟剤や香水などの香りが入り雑じった臭いが充満してさらに息苦しい。

 三島課長は、周りの人たちに押し潰されそうになって立っているのもやっとの体勢の私の背中に空いている方の手を回して、倒れないように支えてくれた。電車がブレーキをかけて減速するたびに大きく揺れて、私の体は三島課長の体に寄りかかるような格好でさらに密着してしまう。

 おまけに乗っている電車が特急なのでなかなか扉が開かず、まるで抱きしめられているような状態が長く続き、鼓動がどんどん速くなって、人混みの中の息苦しさとはまた別の息苦しさを覚える。


「大丈夫か?顔色悪いぞ」

「はい、なんとか……。でもこんなに体重かけられたら重いですよね、すみません」

「俺は全然平気。心配しなくてもそれなりに体は鍛えてるから大丈夫だ。つらかったらそのまま俺に寄りかかってていいよ」


 ほらまた、さらっとそういうイケメンみたいなことを……!こんな状態でも葉月に養われたツッコミ力が働いて、心の中で思わず『惚れてまうやろー!』と叫ぶ。

 この人はきっと相手が私でなくても、誰に対しても無自覚のうちに底抜けの優しさとイケメンなセリフを発動させるのだろう。そうとでも思っていないと、この息苦しさも手伝って、酸欠状態の脳が何やら良からぬ勘違いを起こしてしまいそうだ。


 電車を降りる頃にはかなりぐったりしてしまったけれど、なんとか無事に私の家の最寄り駅に着くことができた。

 今日は電車だからここで別れるのかと思っていたら、三島課長は私の体を気使いながら手を引いて歩き、なんの迷いもなく私と一緒に改札口を出た。


「あれ?なんで潤さんまで改札出ちゃったんですか?」

「なんでって、普通に家まで送るつもりだけど?もう遅いし荷物もあるし……デートだし」


 車ならともかく、家の方向も全然違うのに、電車で出かけても家まで送ってくれるなんて……!

 三島課長は上司なのに、婚約者とは言え偽物で部下の私にまでこんなに気を使ってもらったら、ありがたいを通り越してなんだか申し訳ない気がする。


「なんかすみません、気を使わせてしまって」

「おかしなことを言うんだな。別に謝るようなことじゃないだろ?それより体はもう大丈夫か?家まで歩ける?」

「はい、大丈夫です」


 三島課長は私の手を引いてゆっくりと歩き始めた。大丈夫だと言っても、私の体を気使ってくれているのがわかる。

 もう混雑した電車からは降りたのに、なぜか私の息苦しさはなかなかおさまらず、鼓動も速いままだった。

 駅から自宅に向かう途中にある大きな公園に差し掛かると、三島課長は足を止めて振り返った。


「喉が渇いたから少し休憩しようか。ちょうどそこに自販機もあるし」

「そうですね」


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