Sweet Lovers(偽)①

 海沿いのベンチに座って話し込んでいるうちに日が暮れ、辺りは次第に薄暗くなり始めた。

 港に停泊している船や、海を見下ろす建物に明かりが灯り、迫りくる夕闇を照らす。


「暗くなってきたと思ったらもうこんな時間か」


 三島課長は腕時計を見ながら呟く。時計の針はまもなく5時半を指そうとしていた。


「ディナーは7時からだから、まだもう少し時間があるな」

「じゃあ、もう少し向こうの方まで歩いてみませんか?」

「よし、行ってみようか」


 ベンチから立ち上がると、三島課長は当たり前のように私の手を握った。そしてもう片方の手で私の頬にそっと触れながら、私の顔を覗き込むようにじっと見つめる。


「ちょっと冷えてるけど大丈夫か?寒くない?」

「いえ……大丈夫です……」


 私は予想外の三島課長の行動にドキドキして、思わず目をそらしてしまった。

 さっきの『どうせやるなら、徹底的にやらなきゃな』って言葉はこういうこと?三島課長って、さらっとこんなイケメンっぽいことができる人だったのか……!

 見た目がいいのはわかってるけど、私が知ってる三島課長はもっと控えめというか、ほのぼののんびりした雰囲気で誰にでも優しい、いわゆる『いい人』だったのだけど、ここに来てまた三島課長の新たな一面が垣間見られた。

 私が彼氏とは別れるつもりだと話してから、なんだかだんだん積極的になってきたというか、いつもの三島課長とのギャップにいちいち戸惑ってしまう。

 だけどやっぱり三島課長は優しい。三島課長は私の本物の婚約者ではないけれど、三島課長と結婚する人は、きっとずっと幸せなんだろうなと思う。

 こんな風に私のことを一番に気使ってくれる人がいつも隣にいてくれたら、それだけで幸せな気持ちになれそうな気がした。


「じゃあ……もう少し歩こうか」

「はい」


 三島課長は私の頬から手を離して、その手でポンポンと私の頭を優しく叩いた。そして私の手を引いてゆっくりと歩き始める。

 私は三島課長の優しいエスコートで、ずっと忘れていた束の間の恋人気分に胸をときめかせながら、暮れていく海辺の夜景に酔いしれた。これが本当の恋人同士のデートなら、もっと甘くて幸せな気持ちになるんだろう。

 護にはずっとほったらかしにされていたし、男性からこんなに優しくされたのは本当に久しぶりだったから、私の中の女心が急激に昂っているんだと思う。

 だけど私にはまだきちんと別れていないどうしようもない彼氏がいて、三島課長には何年も想い続けているほど好きな人がいる。

 三島課長がどんなに素敵な恋人を演じてくれたとしても、それだけは何があっても忘れないようにしなくてはと、ほだされそうになる自分の心を戒めた。



 海辺の夜景を見ながらの散歩を堪能したあと、私たちは瀧内くんがチケットをくれたディナーのためにレストランへ足を運んだ。

 案内されたのは大きな窓際の特等席で、先ほどとはまた違った夜景を見ながらゆっくりディナーを楽しむことができた。

 楽しみにしていたカップル限定のデザートは、甘酸っぱいラズベリーソースのかかったフロマージュで、愛らしいハート型の飴細工があしらわれ、二人分がひとつの器に盛り付けられていた。

 今時の女子ならSNS映えを狙ってスマホのカメラを向けてしまうのだろうけれど、SNSに興味のない私は、その美しさと愛らしさを堪能したら、カメラをかざすこともなくふたつのお皿に丁寧に取り分けた。


「これを出してもらえるということは、私たちもちゃんとカップルに見えるってことですかね?」


 飴細工かソースか、それともいきなりフロマージュか、どこから手をつけようかと思いながら何気なくそう言うと、三島課長はエスプレッソの注がれたデミタスカップを口に運びながらおかしそうに笑った。


「誰がどう見てもカップルだと思うけど?」


 入店の際に『カップルですか?』と聞かれたわけでもないけれど、もし尋ねられたとしても『いえ、偽物です!』とは答えない。

 店側としては男女が一緒に食事に訪れたらカップルだと認識するのだろう。 三島課長もそれを言っているのだと思う。

 本物の恋人ではない三島課長と一緒に食べても、【スウィートラバーズ】と名付けられたフロマージュはとても美味しかった。



 ディナーを終えてレストランを出たあと、中村さんのお店に寄って預けていた荷物を受け取り、そのまま駅に向かった。

 自分で買ったものだから自分で持つと断ったけれど、三島課長は私に自分のシューズが入った袋と交換しようと言って、私の買った重い荷物を持ってくれた。

 見た目がいい上に誰に対しても優しいのだから、男女問わず慕われるだけでなく、婚約者になりたいと立候補するモナちゃんみたいな女の子がいるのもわかる気がする。会社では三島課長の浮いた話は耳にしたことがないけれど、きっと私が知らないだけで、かなりモテるに違いない。


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