備えあれば憂いなし?⑨
「婚約者……?!マジか……!」
「ああもう、マジだよ!わかったらさっさと仕事してくれ!」
照れ隠しなのか、三島課長はかなりぶっきらぼうにそう言って、中村さんの背中を思いきり叩く。
「わかったわかった。そうかぁ、潤もついに……」
そういえば三島課長は『嘘はつきたくない』と言っていたし、おそらく嘘をつくことには慣れていないから、かなり思いきって私を婚約者だと紹介したんだと思う。
婚約者の役を引き受けた以上、私が原因で嘘だとバレるわけにはいかない。ここはとりあえず、黙ってニコニコしてやり過ごすのが無難だろう。
「それでえーっと……何がいるんだっけ?」
「練習に必要なもの、一通り全部だって。シューズとサポーターとジャージとソックスとスポーツバッグと……。それくらいかな」
「じゃあシューズから見てみるか?ちょうど新商品を入荷したところなんだ。佐野さん、足のサイズは?」
「24センチです」
中村さんは足元の棚から24センチのシューズが入った箱をいくつか取り出した。
ひとつ箱を開くと、中には青地に白いラインの入ったハイカットのシューズが入っていた。
「色は白、黒、青の3色あるよ。好きなの履いてみて」
「きれいな青色ですね。これ履いてみます」
白いくつ紐を緩めて足を入れてみると、靴底のクッションはほどよく弾力があり履き心地がいい。くつ紐を結んで、その場で何度か軽くジャンプしてみる。
靴そのものも軽くてストレスを感じないし、これならジャンプ後の着地の際に下半身にかかる衝撃をかなり吸収してくれそうだ。初めて履く靴がこんなにジャストフィットするなんて珍しい。
「わぁ……これはかなり良さそうですね」
「これはオススメだよ。そのぶんちょっと値段も張るけどね」
「そうでしょうね。でもこれがいいです。せっかく買うならいいものを買いたいと思ってたので、これにします」
三島課長は私が1足目の試着でいきなり決定したことに驚いているようだ。
「ずいぶん気に入ったんだな。でも他のも履いてみなくていいのか?」
「だってこれ、本当にすごくいいんですよ。嘘だと思うなら、潤さんも履いてみてください」
「志織がそこまで言うなら……。太一、それの27センチある?」
三島課長は中村さんに出してもらった27センチの黒いシューズを履いて、その履き心地を確かめる。
「おお、これは確かにいい……。俺もこれ買おうかな。ちょうどそろそろシューズを買い替えようかと思ってたんだ」
中村さんが私と三島課長の足元を見ながらニヤニヤしているのに気付き、三島課長は肘で中村さんの脇腹を小突いた。
「なんだよ、ニヤニヤして気持ち悪いな」
「いや……仲良くおそろいのシューズでいいなぁって思っただけだよ」
どうやら中村さんは三島課長を冷やかしたくて仕方がないらしい。
三島課長は『またか』と言いたげに、指先で額を押さえてため息をついた。
「おまえなぁ……。はぁ、やっぱり他の店に行こうかな」
「悪かったって!もう言わないし安くしとくから、うちの店で買ってくれ!」
「……だったら彼女のは目一杯安くしろよ。それじゃあ次はジャージかな」
それからジャージやサポーターなど必要なものを見せてもらい、普段なら買うのを少し躊躇しそうな値段のジャージや、その下に着る長袖のシャツ、運動部の学生がよく持っていそうなおしゃれなスポーツバッグ、そして思いきったプレーには欠かせないサポーターや、バレー用の厚手のハイソックスなどを選んだ。
「あと、テーピングね。これは持っておいた方がいいんじゃないかな?バレーやるの久しぶりってことだし、指先の保護しといた方がいいかも」
「そうですね。それもいただきます」
もしかしたらあまり使わないかも知れないけれど、備えておいて損はない。
レジで会計をしてもらうと目から星が飛びそうな金額だったけれど、中村さんが安くしてくれたおかげで、定価よりかなりお得に買うことができた。
「うちの嫁も一緒にバレーやってるんだ。女子のメンバーが増えるって言ったら喜ぶよ。仲良くしてやってね」
この歳になると仕事関係以外で人と知り合うことが少なくなるから、職場以外で新しい出会いがあると思うととても新鮮だ。
荷物がかなりの量になったので、帰り際まで預かってもらうことにして店を出た。
三島課長は腕時計を見ながら私の手を取る。ここまでくると開き直ったのか、手を繋ぐことに三島課長はこの短時間でずいぶん慣れたようだけど、私はまだ慣れないし、やっぱり落ち着かない。
「次はどこに行こうかな……。何か見たいものはある?」
「そうですねぇ……」
瀧内くんからチケットをもらったディナーまでは、まだかなり時間がある。
せっかく海辺に来ているんだから、海を見ながら散歩するのも、デートっぽくていいかも知れない。
「散歩でもしてみますか?」
「そうしようか」
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