暗中模索①

 一夜明けて金曜日の朝。

 いつも通りスマホのアラームで目が覚めるや否やアドレス帳を開き、ゆうべ居酒屋で交換した瀧内くんの連絡先が残っていることを確認して、昨日会社で起こった出来事が夢ではなかったことに落胆した。

 二日酔いはしていなくても気分は最悪だったけれど、いつもより30分早く家を出た。


 そして私は今、会社のそばのカフェで瀧内くんと向かい合ってコーヒーを飲んでいる。なんだか落ち着かない。

 ゆうべ自宅に戻ってすぐに、瀧内くんから【明日の朝に改めて話しましょう】とメッセージが届き、このカフェを待ち合わせ場所に指定された。

 瀧内くんが言うには『お酒の席での返事はノーカウントみたいなものだから、翌日シラフのときに改めて話す必要がある』だそうだ。

 瀧内くんはコーヒーを一口飲んで、カップをソーサーの上に置き、おもむろに顔を上げた。


「ゆうべはちゃんと眠れましたか?」

「なかなか寝付けなかったけど、なんとかね」


 ゆうべ私が泣いていたことや、なかなか眠れなかったことも、瀧内くんにはおそらくバレバレなのだろう。明らかに化粧ノリの悪い寝不足の顔をしているのは自分でもわかっているけれど、とりあえずはなんともなさそうなふりをした。


「一晩経ってどうですか?」

「うーん……本人と話したわけでもないし、昨日の今日であまり変わらないよ。いきなり嫌いにはなれない」


 現実だとわかっていてもどこかでまだ受け止めきれていないのか、護の浮気は他人事のようにも感じるけれど、やっぱり私は護のことが好きなんだと思う。好きじゃなければ護の浮気を知って傷ついたり、何も知らずに護との結婚を考えていたことが悔しくて泣いたりはしないはずだ。


「それは橋口先輩と別れたくないから、奥田さんから取り返したいってことですか?」

「うん、そう……。私が好きになった護を、もう一度だけ信じてみたい」


 私がそう答えると、瀧内くんは「やれやれ」と言いたそうな顔をした。


「僕個人としてはやめた方がいいと思うけど……佐野主任がそう思うならしょうがないですね」

「瀧内くんは私みたいなアラサー女の恋愛なんて、ホントは全然興味ないよね。こんなくだらないことに捲き込んでごめんね」


 昨日見た護と奥田さんの抱き合う姿がずっと頭から離れなかったせいだろうか。歳上で可愛いげのない私なんかよりも若くて可愛い奥田さんの方が護とお似合いなんじゃないかとか、考えがだんだん卑屈になっていたのが無意識のうちに表に出てしまった。

 嘲笑まじりに呟くと、瀧内くんはほんの少し眉間にシワを寄せて、カップを口元に運ぶ手を止めた。


「仮に僕にとってはそうでも、佐野主任にとってはくだらなくはないでしょう。ここまで関わっておいてあとはノータッチというのもアレなんで、できる限りの協力はしますよ」

「……ありがとう」


 いつもはクールな瀧内くんにしては珍しく、あまり見たことのないやわらかな笑顔を見せた。

 自虐的なことを言って元部下に心配されるなんて、自分の不甲斐なさが恥ずかしくなる。家で一人のときには情けなく泣き崩れたとしても、同僚の前ではもっとシャンとしていないと。


「じゃあ……もう一度信じて裏切られたときは、今度こそ痛い目を見せてやらないといけませんね」


 瀧内くんが少しいたずらっぽく笑ってそう言ったので、私もつられて笑ってしまった。


「そうだね。そのときは覚悟決めて徹底的にやることにする」


 浮気されても別れたくないなんてバカな女だと呆れて突き放されてもおかしくないはずなのに、自分にとって得なことなどなくてもこんなに親身になってくれるということは、少なくとも私は瀧内くんに嫌われてはいないのだろう。

 そう思うと、瀧内くんの厚意が素直に嬉しかった。


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