第9話 可愛がり
始めようか。
アランはそう口にした途端、人間離れした跳躍力で一気に空中に身を移すと、先程まで中にいた馬房の屋根、その先端に着地し、一気に駆け出した。
纏う衣服は確かに戦闘向きとはいえない代物だが、その高い身体能力にものを言わせた行動には、思わず全員が足を止めてしまうほど。
だが彼らだって神兵として訓練してきている。予想だにしない行動だが、全員が一斉に動き出した。
アランは駆ける。
屋根伝いに建物を走り抜け、一目散に基地の入り口へ。
直後、下から大きな炎柱がアランを襲う。素早くそれを回避すれば、剣を抜いた三人の神兵が、囲い込むようにアランの周りに散開していた。
静かにそれを一瞥すれば、馬房の入り口でアランに声を上げた男もいた。
左右前方、後方の三方向から囲い込む戦術は、
もちろん、それを回避する術をアランが持ち合わせていないはずがない。
後方から来る男は中段後方に剣を構えていた。アランは即座に飛んで後退し、空中でくるりと身を捻り、男と向かい合う。
男は突然のことに驚きながらも、中段から上段に振り上げて袈裟斬りを振るった。
これに対し、アランは即座に建物を踏み抜き、飛び上がって回避。そのまま落下して地面に降りて再び逃走に入る。
しかし地上には、先程の炎の精霊術を行使した女が構えていた。既に発動は完了し、今すぐにでも焼き殺さんと火炎を放つ。
これに対し、アランは空中で身を捻って攻撃を紙一重で回避し、微塵も速度を緩めることなく再び走り出した。
「簡単には行かないか!」
「冗談。この程度で諦めてたまるもんですか!」
四人は互いに発破を掛け合い、再びアランを追いかける形となった。
そんな超人じみた体術を振るいながらも、アランは冷静に戦局を分析する。
先程いたのは六人。立ち回りを考えると警戒すべきは
敵勢を限定的に見るのは愚策だ。地形を利用したゲリラ戦法を取る敵では敵の数など把握できるはずもない。
数の力でアランを囲い込もうとするより、よほど賢しい。級一つの差で五倍戦力差がある、という言葉もあるほど、帝国軍は実力の良し悪しがはっきりと分かれる。
アランの逃走経路は至ってシンプルなもの。進行方向がある程度分かっている分、追撃も行いやすい。
勿論、これもアランの手加減の一つだった。戦局を冷静に見抜く判断能力があれば、容易に対処が可能となる。
——と、その時だった。
刹那、何者かがアランに向けて急接近。予想だにしない死角からの奇襲、そして神速の居合。威力よりも速度に振った、確実に当てるための斬撃。
アランは辛くも薄皮一枚を許して回避する。反射速度は人外の領域ながら、脇目も振らずに飛び退いた分、無理な体勢を取ることになる。
しかしなお、その思考を止めることはしない。考えることをやめればその時点で敗北は濃厚となる。故に思考を止めることはない。
相手はキャルと呼ばれていたキースの秘書だ。得物は細身の直剣。しかしエストックほど細くはなく、レイピアと呼ばれる剣だ。
細剣は斬り結ぶ剣ではない。相手の剣を逸らし、捌き、的確に急所を穿つ。剣を使えない今のアランを相手取るには有用な得物だ。
キャルはアランが躱したのを見ながら、即座に突きの構えを取る。
予想外の結果でも止まらないのは高く評価できる点だ。これだけでも先程の四人とは比較にならない。
二手三手先に繋げられる動きを取るのは賢明だ。隙を作らず、間髪入れずに連撃に繋げられる。最小限の動きとは言い難いが、確かに上手な戦い方だ。
しかし、その程度ではアランには通じない。
無理な体勢を全身を使って転がることで立て直し、片手で体を持ち上げ、跳ね上げた。
高さは脚での跳躍と比べてそれほどでもないが、素早く距離を取ることに関しては十分有用だ。突きに回ったキャルの剣では、アランの行動には追いつかず、レンジ外に逃してしまった。
彼女は悔しそうな表情を浮かべる。まともな武器も用いず、ただ肉体性能と技術のみでこの状況を掻い潜り、逃走を継続し続けている。
そう、追いかける六人の神兵たちから、交戦するのではなくただ逃げ続けている。この状況下で背を向けひたすら逃走を続けるなど、誰が出来ようか。キースですら、この包囲網を潜り抜け続けながら基地外へと走り抜けるなど不可能だろう。
それがアランという男の実力だった。
一方のアランは、内心冷や汗をかいていた。
(あ、あっぶねぇー……あの場で突きに攻撃を変えてくれなけりゃ、下半身が斬られてたかもしれねぇな)
そもそも、あの場で逆に斬撃を維持するという判断は普通は行わない。
だが万が一そのままであったなら、振り抜いた勢いを殺さずに二撃目、三撃目と切り返せたはずだ。それではあの体勢から持ち直すのは難しかっただろう。
対魔族。そう口にするのは容易いが、魔族の強さは本物だ。帝国神兵が対魔族戦に特化しているのは、対人戦の技術の高さも同時に示すものでもある。
帝国神兵に雑兵はいない。飛び抜けて秀でた実力者が本当に飛び抜けているだけで、一国が有する武力の総力で見れば帝国は最上位。魔王の治める領土と比べても遜色はない。
むしろそんな彼女たちを徒手空拳だけで相手取りながら逃走するアランの実力は、底知れないものがあった。
しかし直後、走るために踏み込んだ足が、突如陥没したように包み込まれた。
足元を見れば、ブーツが地面に見えていた泥の中に埋まっていた。咄嗟に姿勢を保とうともう片足まで地面についてしまうが、やはりそれも泥沼に嵌ってしまう。
全身から泥に飛び込むのは自殺行為である上、体勢を保つためにもう片足も必要なため、こればかりは避けられない。
更にこの泥沼、異常に粘りが強く、踏み込んだだけ深く沈む。訓練などに用いられる人口のそれとは、まるで異なる代物である。
つまり、これも精霊術で発生したものなのだ。
「ふむ。予想以上に簡単に嵌りましたな。とはいっても、前傾姿勢から即座に体勢を立て直した判断力は賞賛に値する」
口髭を綺麗に整えた男が、視線の先から姿を見せた。静かにトラップを仕掛けていたらしい。
全身に精霊光を纏い、
「私の名はアダック。ツェンペル男爵家の次男です。右翼の掲げる象徴がこの程度とは……上の連中も警戒しすぎなのですよ。所詮は十年前、戦いを恐れて逃げた弱者なのだというのにね」
勝ち誇ったようにアランを見据えるアダックは、自らの術中に落ちたアランの評価を見直した。
まるで手のつけられない怪物のように語られるアランの人物像は、まさに人類最強と称えられるほどのものだった。
だがどうだ、仮にも魔族にすら恐れられた英雄といえども、こんなに容易く片付いてしまったではないか。
あれだけ自信と余裕に満ち溢れた表情を浮かべておきながら、所詮はこの程度。自らの力を驕った愚か者だ。
現在最強の
取るに足らない、所詮噂はただの与太話だと考えた。
そう、考えてしまった。
「はっ」
アランは嘲笑した。
この男を相手取るのは、キャル相手よりも何倍も簡単そうである。
「泥沼に捕まえて何をする。遠距離から相手を動かなくして、それでまるで自分が勝ったかのように振る舞うのか。情けないなんてもんじゃない。酒の肴に相応しい笑い話じゃないか」
アランはゆるりと、左腕を上げる。
武器庫が密集し、日陰になるこの場所で。
人目のつきにくい、気分が上がるその場所で。
「この程度で勝った気になっていたのか? 泥沼で拘束し、動かなくなった相手にとどめを刺す。確かに効率的で効果的。なにより安全な戦術だろう。その点は強かだと言える。
だがそれまでだ。武器も持たず、戦う格好もせず、切って殺したりもせずに逃げ続けるだけの相手を捕まえて、なんの意味があるのやら。
相手を弱者だと見誤るのは、帝国神兵として最大の失態だぞ?」
掲げられた左手から何かが飛び出し、武器庫の壁に突き刺さった。
糸のような細い何かで繋がれたアランは、素早く巻き戻し、泥沼から体を引き抜いた。
その様子を見て、アダックは体裁すら忘れて驚愕する。
「馬鹿な!? 私の《
そこで気づいた。
アランの左腕。鋼でできた仮初の肉体。
その制作者が、一体誰であったのかを。
「そうか《奇人》! 奴の作った《プロテスの腕》が、その左腕なのか!」
「そんな名前は知らんが……アイツの作った代物なのは正解だ」
この世界に伝わる八本の腕を持つ古き多芸の巨神、プロテスの名を冠したアランの義手は、帝国最高の技術者である《奇人》によって作られたものだ。
内部に数多の精霊を宿し、非常に多くの仕様を持っている。アランの欠点を補う特殊兵装なのだ。
そして《奇人》という男には、「何をしでかすか分からない」という厄介な話がついて回る。そして彼は、貴族たちの派閥でもない。むしろその異端さによって、アラン同様目の敵にされる変人でもある。
しかし帝国軍において、《奇人》は数少ない非戦闘系の神兵で、技術開発局の長として
アランの義手から射出されたワイヤーアンカーは、細くしなやかで、非常に
ただし、義手であるからには、片腕を失わなければ手にすることはできないのだが……。
「さて。一通りお前たちの攻撃は見せてもらったわけだが……次はどうくる?」
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