第7話 密談

 キースはアランに噛み付いていた職員を引き離し、そのまま奥の個室へと連れて行った。

 個室とは言っても、キースの事務室なので、そこそこの広さがある。あくまでも馬房と連立する一室なので、贅沢な調度品などは置かれておらず、むしろ山のように積み上げられた書類が乗せられた執務机と、応接用の低い卓、及びそれを挟むソファがあるだけのシンプルな空間である。

 応接卓では、キースの部下と思しき女性がコーヒーを片隅に書類と格闘していた。カフェインは程々に、とアランは思うが、別段軍人でもないのだし、口にはしない。

 入室してきた二人に、作業の手を止めて立ち上がり、深々と一礼。手早く書類をまとめると、コーヒーの入ったカップと共にソファを離れた。

 よく出来た部下だ、としみじみ感じるアランだが、同時に帝国軍の事務官なら当然と言えば当然とも言えた。

 先立として一言、


「よくできる部下は反故にするなよ」


 とだけ口にする。

 かつての部下に向けられたその言葉の真意に、キースは苦笑して誤魔化す他ない。

 アランが着席すると同時に、秘書の女性が紅茶を持ってきた。

 自分の作業後を手早く片付け、更に即座にもてなしの態勢に入るその手つきは、場慣れしている証とも言える。


「どうぞ」

「ありがとな」


 卓に置かれたカップを手に取り、一口。味わい深く、ふわりと花の香りが鼻腔を擽る。相当いい茶葉を使っているようだ。

 キースにも無言で紅茶を出すと、労いの言葉を受け流して静かに一礼し、キースの背後の壁に身を寄せた。

 キースも紅茶を口にすると、チラリと背後の秘書を見やる。


「珍しいっスね、あの子が客人に声をかけるなんて」

「ん、そうなのか? そこまで気にもしていなかったが」

「そうなんっスよ。多分、アランさんに褒められて少し嬉しがってるんスね」


 その言葉に、アランもチラリと視線を移せば、心なしか鋭い剣幕と共にキースに視線を向ける秘書がいた。

 見なかったことにして、キースに言葉をかける。


「……まあ、別に変わったことはしてねえよ。褒めて伸びる部下なら褒める。自力で成長できるやつなら成長の道を敷いてやる。部下を持つなら当たり前のことだぞ」

「アランさんには言われたくないっス。あの小隊時代のアランさんは、姐さんがいないとまともな会話すらできな——なんでもないっス。流石に威圧感がヤバいんで睨むのは勘弁して下さい」


 アランの隻眸に当てられて、慌ててキースが口を閉じる。

 軍属時代のアランについてよく知る者であれば納得の反応だが、側からみれば漫才でもしているかのよう。だがアランの視線の変化に気付けば、誰でもこうなる。

 そんな都合のいい男に若干呆れながらも、アランは懐かしい相手との会話を楽しんでいた。故に、そこまで気にしているわけではなかったのだが、それに気付かないキースは大分怯んでいた。

 尤も、それはまた、アランへの信頼の証とも言えた。たとえ怯んで隙を見せても、彼が敵対し、襲うことはない、というものだ。

 現役と元とはいえ同じ軍人、仲違いなどあろうかと言われれば、現実はそう甘くはない。なにせ軍人の戦場は多くが死地。たとえ誰が死のうとも、違和感があるはずもない。

 たとえ、軍を預かる将官であっても。死なば諸共同じ骸。死人は何も語らない、という話であった。

 そういう意味では、キースはアランによく懐いていると言えた。


 暫く現状報告などで談笑すると、アランは静かにカップを置いた。先ほどまでとは打って変わり、静謐な光を隻眸に宿し、興じる話ではないとキースに悟らせる。

 直後、キースは背後を振り返り、左手を肩ほどまで上げる。すると彼女はスッ、と一礼し、部屋の外へと出て行った。

 アランの意図を察したキースは、「コレでいいっスか?」と言わんばかりにアランの目を見据える。それに対して、アランは頷くことで肯定を示した。

 振り子時計の振り子が針を進める音が鳴り響く中、アランはゆっくりと口を開く。


「キース、お前には話しておきたいんだが……近々、俺とレイナで帝都を去ることにした」


 その一言に、キースはハッ、と息を飲む。しかし努めて冷静に振る舞い、慎重に問いかける。


「……理由を聞いても?」

「そうだな。その前に一つ、お前はどの程度俺と貴族について知ってる?」

「どの程度、って……。姐さん——サレン皇女のいるテラリア家とは友好な間柄とは聞いてるっスけど、他の家柄の方々との関係性は知らないっスね」


 キースの言葉に、アランは頷いてみせる。

 サレンの属する四大帝家の一つ、テラリア家とは、様々ある理由のもと懇意にされている。一般人の持つ繋がりとは思えないほどだが、帝国軍最強の級九等クラスナインともなれば話は変わるというものだ。

 それはさておき、アランはキースの情報に少々付け加えていく。


「ま、そうだな。サレンのとことはいい関係ではある。現皇帝とも縁はあるし、なんなら俺と皇帝しか知らない話もある。

 だが、そこまでだ。他の三家からは目の敵にされてるしな」

「あんまり公にはされてないっスけど、帝家は大体血統至上主義派っスからね……」


 その言葉には、キースも苦虫を噛んだような顔をする。口には出さないが、明らかに不信感を募らせている面持ちだ。


 帝国は議院制と帝政を合わせたような議院帝制を採っており、二院制——衆議院と貴族院の二つに分けられる。

 衆議院はその名の通り、民間人から選挙にて選ばれる三百余名にて構成される。衆議院に所属するというのは帝国民からすれば大変名誉なことであり、帝国で最も安定した職とも呼ばれる。

 一方で貴族院は約二百名程度の規模ながら、議員は全て貴族格、爵位持ちの家系の出という異質な機関である。

 貴族院には、衆議院と比べて発言の優位性が存在しており、実質、帝国議会は貴族院が動かしているようなものであるのだ。

 そんな貴族が、金の旨味に溺れた亡者が、自ら達と帝国民とを区分するために掲げる思想こそ、血統至上主義。要は優秀な血筋だから優遇しろ、と言った内容だ。

 特に帝家は、代々皇帝を輩出する家柄として、この選民思想が強い傾向にある。自分たちの血統こそが至高だと、他者は家族を除いて弱者だと、極端に言えばそんな思考回路だ。

 故に、貴族でないアランには、彼らからの風当たりが強い。平民の出の級九等クラスナインは何名かいるが、その中でもサレンと関係のあるアランだからこそ、より顕著なものとなっていた。

 しかも現級九等クラスナインにおいて、帝家から排出されたのは十二人中たったの二人だけ。こうなれば非難が殺到してしまうのも、無理な話ではなかった。

 うち一人はサレンだが、もう一人を含めてもやはりアランの方が強かったというのも、要因の一つかもしれないが。

 さまざまな思惑の都合上、アランは目の敵にされてしまっていた。


「勝手に妬み嫉み言われても、こっちとしちゃ、困るだけなんだよな」

「面倒なことに、よりにもよって帝家が相手ってのがまた嫌なところっスよね。そこそこ大事を起こしても揉み消せるだけの権力もあるし、下手に打って出ても逆手に取られて釣られる。運がないというか、悪運が強いというか」

「言うな、悲しくなってくる。……それに、俺一人ならどうにでもなるが、レイナのこともある。政争に巻き込まれちゃ堪らんからな。早めに手を打っておきたい」


 キースにはレイナの話をしている。彼女の正体についても。

 だからこそ、キースはアランの考えを首肯する。


「そうっスね。やっこさんにレイナちゃんの情報を掴まれるのは危険っスね。今までは姐さんが上手く牽制しててくれたっすけど」

「いつまでもおんぶに抱っこじゃいられないからな。それに、俺が政界からの影響を免れてるのもサレンのお陰だ。数日後には十歳を迎えるし、そろそろ帝都を離れるべきだと考えている」

「そういうわけで、馬を用意しておけ、と」

「そういうこった」


 アランが頷く。

 現状維持では、いずれどこかで限界が来る。それを回避するためにも、そろそろ手を打っておくべきなのだ。

 だが帝都を出るとは言っても、十歳の少女が何百キロも歩き続けられるものか。戦場で戦い続けたアランとは異なり、絶対に不可能な話である。

 だからこその足。レイナ一人でも負担を減らせるので、馬を用意してもらいにきたわけだ。


「……なるほど。よく覚えておくっス。調子は整えておくっスね」

「頼む。何せじゃじゃ馬、お前くらいしかまともに世話もできないだろ。だからこそ、お前にこうして話をしにきたんだ」


 そう話を締め括ると、アランはカップに残された紅茶を流し込む。

 流し込まれる紅茶は、既に多くの熱を失い、ぬるま湯程度にまで温度が下がってしまっていた。

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