序論(2/3)(2/10)

思えば、私は間違いの多いニンゲンだった。


小学生の頃、将来の夢を作文に書く授業があった。算数が得意でクラスの中では「さんすうはかせ」と呼ばれた私は何も考えず「博士」と書いた。あれが間違いの始まりだった。サラリーマンとでも書いておけば、どれだけ楽だっただろうか。

20余年が過ぎ去った頃、私はその夢を叶えていた。博士号を取得したのだ。しかし、夢は覚めてからが怖いもので、私は非常勤研究員としてSSLAで人様の研究を支えなければならなかった。所謂、ポスドクというやつだ。

ポスドクというのは、キャリア形成の為の職と言われてはいるが、私から見れば、薄給で先を保証しない掃きだめみたいなもので、ブラック企業の方がまだ職歴がある分マシだと思う。夢の先には、現実よりも恐ろしい地獄が待ち受けていた。当然、耐えられる筈は無かった。


そして少しの時を経て、今私はアライグマのアニマルガールとして上司である狐火教授と研究に励んでいる。特例ではあるが、助手に昇格したともいえる為、以前の様に不定期で発狂するということは無くなった。良い傾向ではあるが、自分と同じような状況下に置かれたニンゲンを第三者視点で見つめることは、些か苦痛ではあった。

アライグマのアニマルガールになった原因だが、これはハッキリとしていない。私はサンドスターを観察するのが研究の一環ではあったが、実際に触れることは絶対に無かった。アニマルガール等との接触も無かった。疑問ではあったが、アニマルガールといえど人間生活に支障をきたすことは無く(といっても、外を出歩くことは出来なくなった)、特に不自由を強いられるようなことは無かった。


アライグマとなってから数日、SSLAの宿泊施設のベッドの上で液晶を眺めていると突然、非通知でコール音が鳴り響いた。

私の携帯電話なんて滅多に鳴らない為(と言っても、教授から鬼の様な着信は日常茶飯事であった)、私は恐る恐る受話器をのボタンをスワイプした。

「アライさんなのだ!」

私は戦慄した。若い女性の声だった。

というより、私の、アライグマとなった私の声と似ていた、いや、全く同じだったのだ。

「…あれ?無反応なのだ。おーい、聞こえてるのだ?」

「…あなたは、誰ですか」

「あ、声が聞こえたのだ!何を言ってるのだ?アライグマのアライさんなのだ!あなたと同じ、なのだ!」

「…は?」

電話の向こう側で名乗るのは、私と同じ、アライグマのアニマルガールだった。


数日後、私は富士の樹海に居た。電話の相手と会う為だ。

私は四六時中監視されている身であったが、SSLAで研究していたのが幸いし、何とか監視と追手の目から逃れながら辿り着く事が出来た。

アライグマ化現象が起きてから、アライグマ同士の接触は発見されていない。その為、教授に相談のもと向かうのが筋ではあるが、彼(いや彼女?)の話で、人目を避けて行くこと、SSLA内部の人間には相談をしないことの2つを指示された為、脱獄囚の様な真似をする事となった。

驚くべきは、私がSSLAの(末端ではあるが)研究員であるのを知っていたことだ。私がアニマルガールとなったのは、狐火教授・研究チームを含め10数人しか知らず、SSLA内でも最重要機密に近い扱いを受けていた。それなのに、私がアライグマとなったことを知っているということは、SSLAの情報が漏れているか、または私の事を知っているごく僅かな人物(この場合は動物?)かだ。それを確かめる必要性は大いにあった。


指定された場所には一匹のアニマルガールが居た。勿論、アライグマだった。

「ようこそ!ジャパリパークへ。なのだ!」

その人物は私に声を掛けた。ジャパリパーク、とは何であるか見当はつかないが、歓迎している様ではあった。

「…こんにちは。」

「もう!折角フレンズになったのに元気が無い奴なのだ!声を出すのだ、声を!」

「…あの、どうしてここに…」

「そうだったのだ!立ち話も何だし、折角だし、ジャパリパークを案内するのだ!」


ジャパリパークと呼ばれる場所は、樹海に形成された一つの集落だった。

驚いたのは、その集落を形成する住人が全て、アライグマのアニマルガールであった、という事だ。アライグマ化現象が起きてからアライグマを発見出来なかったのは、全てここに逃げ込んでいたからだったのだ。

ただ、一つの疑問が浮かび上がった。その手法である。

富士樹海であれば、捜索は、幾らSSLAの職員であっても困難である。街中でアニマルガールになっているのだから、街中を探すのが妥当であるからだ。しかし、全国津々浦々のアニマルガールを一つに密集させるなど、捜索より遥かに困難を極める。連絡はどう取ったのか、どうやって移動したのか、付随する疑問は浮かび上がるばかりであった。

「…何か聞きたい事もあるみたいだけど、一先ずここでアライさんの話を聞くのだ。」

今まで覇気のあった声は、急に落ち着きを取り戻し、まるで、元の人物が浮かび上がってくる様であった。


「…まず、どうやってここに集めたか、それは言えないのだ。あなたには、まだそれを教える為の権限と信用が足りないのだ。」

「…はあ。」

「続けるのだ。今この段階で話せるのは、『何故、人類がアライグマになったのか』、『何故、アライグマを集めているのか』、そして『何故、あなたを呼んだか』の3つなのだ。」

「…正直、その情報が聞けるだけでありがたいですが、何か裏があるとしか思えません。聞かずに帰ることが出来るのなら、私はそれを選ばせていただきます。」

「いやいや、そんな事は必要無いのだ。あなたは、アライさんの話を最後まで聞いて、好きな方を選べば良いのだ。」

「…じゃあ、始めさせていただきますのだ。」


「では1つ目、『何故、人類がアライグマになったのか』。これは簡単なのだ。人間は誰でも、アライグマになれるから、なのだ。」

「…誰でも?ふざけないでください。アニマルガールになれるのは、サンドスターに触れた時だけです。」

「いやいや、サンドスターならとっくの昔から触れてるのだ。今も。」

「…今も?それらしい物体は見当たりませんが…。」

「あ、そっか。あなたはそこまでしか知らないのだな。折角なので教えるのだ。サンドスターは、微粒子レベルにまで小さくなれるのだ。現代の科学力では、この微細なサンドスターを観測する事は出来ないけど。」

「…初耳です。でもどうしてそれを…?」

「それは企業秘密なのだ。…続けるのだ。」

「微細なサンドスターを摂取した動物は、フレンズの一歩手前になるのだ。そこにはトリガーが必要なのだ。それが『強烈な自我の露出』なのだ。」

「…自我、ですか。」

「なのだ。本能レベルで感情を剥き出しにするのだ。と言っても、動物の本能では弱いのだ。もっとこう、人間の『殺意』の様な、非常に強い感情が必要なのだ。」

「その自我とサンドスターが反応を起こし、フレンズになるのだ。ただし、この時無意識下で動物を連想していないと不発に終わるのだ。世界でのアライグマ化が少ないのはある意味必然で、日本人はアライグマ化現象のニュースによって刷り込みがされているのだ。」

一体彼はどこまで知っているのか。驚きの感情は薄れていた。どう考えても仮説レベルにしか過ぎない推論であるにも関わらず、現に今、私は彼から目を離さないでいる。その自分を恐怖してしまう。しかし、それが快感になってしまっていた。あの時の、小学生の頃の、飽くなき探究心が蘇った気がしたからだった。


「それで2つ目『何故、アライグマを集めているのか』、これは簡単なのだ。世界征服、なのだ!その為に兵力を集めているのだ。」

「…は?」

突拍子も無い答えに唖然としてしまった。

「いやいやまあまあ、これは本気で言っているのだ。」

「…まず、このアライグマ化現象の真実を知っているのはこのジャパリパークを探しても数人しか居ないのだ。あなたは半信半疑かもしれないけど、これは大きな信用になったとは思うのだ。」

「…ええ。」

「それで、どうやって世界征服をするか、簡単なのだ。このアライグマ化の説を唱えるのだ。」

「でも、これをただ言うだけでは効果が薄いのだ。今の時代、メディア規制の力は大きいのだ。だからます、SSLAを潰すのだ。…その後、この軍事力を某国に売って、第三次世界大戦を引き起こすのだ。」

何を言っている。戦争?ますます突拍子も無くなってきた。

彼は続ける。

「世界中を巻き込む戦争に、人間が変化したアライグマが関わっているとすれば、全世界がそのメソッドを欲しがるのだ。勿論、戦争に付随する恐怖や怒りや絶望でアライグマになる人も居るかも知れないけど、それは誤差なのだ。」

「…本題は、そのメソッドにほんの少しの嘘を混ぜるのだ。全世界に、『このアライグマ達は、自殺の生存による絶望からフレンズになるのだ!』って吹聴するのだ。…するとどうなると思うのだ?」

「…言いません。言ったとしてもそれは破滅の道でしかないし、何しろ実現可能性が低い。」

「言ったのだ!そうなのだ!全世界で自殺教唆や、自殺に追い込む為の虐殺が始まるのだ!実現可能性?そんなのはハナから承知なのだ!アライさん達は元々、ここまで感情を剥き出しにさせた相手を痛い目に遭わせたいのだ。」

「痛い目…?その妄想が仮に実現したとして、あなた達は全世界から睨まれるだけじゃないですか?」

「平和に犠牲は付き物なのだ。世界を見渡せば貧富の差は広がるばかり、世襲が蔓延り金持ちがその椅子を手放そうとせず、無能のまま奴隷達を売り買いして、奴隷達は良くて中流階級としてその一生を終えるのだ。あなただってそうではないのだ?博士号を取得した優秀な研究者が、毎日顕微鏡を覗くばかりで、ロクに生活もままならない薄給を受けている。それこそ、その社会こそアライさん達の敵、セルリアンなのだ!」

情けないことに、その妄想にすら、返す言葉が無かった。彼の、世界征服という理想論に返す為には、社会の肯定という現実論しか無いが、それには私の、学びを実現するという理想論を打ち砕くしか無かったからだ。首にナイフ、いや牙だ、自然の摂理として捕食されるような、非常に強い絶望を覚えた。

本当は逃げ出したかった。しかし、私に残る、ほんの僅かになってしまった探究心が、それを許さなかった。


「3つ目の話を、聞かせてください。」

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