第71話 紫雲山炎上 ①




『メグちゃん逆上がりできたじゃない。すごいね!』

『……なにがすごいの?』

『え?』

『さいごまでできなかったのメグだけだよ? ユイちゃんは2かいぐるぐるって逆上がりできるし……メグは、なにがすごかったの?』

『それはね……んん、ああっーと、それはねぇ……』

『……先生?』

『それは、一番長くがんばったってこと! メグちゃんは逆上がり出来たとき……嬉しかった?』

『うん! てつぼうぐるって回ったら、空がみえた!』

『メグちゃんが最後まで諦めなかったからだね。空が見えたのは』

『……あきらめないのって、すごい?』

『すごいよ。信じる気持ちをなくさないってことだから』

『ならメグは……あきらめない子になるね!』

『うん、とってもいいと思う。メグちゃんにも、きっと――』

『あ、先生まって? だれかよんでる……。てを――』










「う、あ? ここは……」

「恵さん!? 良かった……意識を……」

 

 誰かに手を引かれた感覚がある。

 眼を開けると、そこには山が浮かんでいた。


 シャツに支えられている胸が、私を羨ましがらせるようにたゆんたゆんと揺れている。いかがわしいお店みたいな着こなし方も似合う武市さん……何を詰めたらそんなにおおきくなるんだろう? って疑問が湧いたが、すぐに寝起きの混乱した思考から覚醒し始めた。

 

「あたしも心臓が止まるかと思ったじゃない……息は出来る? どこか痛む所は? この指、何本に見えるッスか?」

「よ、四本指。……もしかして、寝ちゃってた?」

「炯眼を無理矢理に動かし続けていたからな。しばらくは精神を繋げるどころか、遠見で視界を伸ばすことも止めておけ。また気絶するぞ」


 ぐったりしたありかちゃんを支えながら、ライレンが答える。

 周囲を見回したが私の位置は少しも変わっていない、地下座敷の景色が映るだけ。何分くらい寝てたんだ? 火事のこともある。早く外に出ないと――


「あれ? ……シロはどこ?」

「奴なら、お前の中にある門をくぐっていったぞ。めぐは任せる、と言っていたが……門の向こう側、問題が無いか経過観察と言ったところだ。何かあれば勝手に知らせて来るだろうよ」

「……」


 ありかちゃんは何も言わず俯いていた。

 大願は取り払われ、一番感情を露わにして喜びそうなくらいだと思ったのに。ただ私に向けて、ちいさな笑顔を見せている。


 かすかに残っている天眼の力を、ライレンが風車を回すように補助しながらぐるぐると身体中に巡らせている。私以上に摩耗した生命の力が、乱れないようにゆっくり循環させて……


「……はい。経過はあたしが見ます。さっきはパニクって喚いてすみません。まあ、仮死状態で変化ナシなら特対課うちの想定はぜんぶハズレってことになるし万々歳ッスよね? 医療班はひとまず待機で。先に消防の迎えを寄越してください。ええ、状況は――」


 武市さんが無線を使って誰かと話している。

 ……ふと手を握られていることに気付いた。コウちゃんの手が、ずっと私の手に重なっている。倒れてた私を支えていてくれてたんだな。なんだか魂の抜けたような、ボーっとした表情だけど。


「コウちゃん。大丈夫?」

「あ、ああ……良かった……メグ。お前、息が止まってて……。武市さんが心肺蘇生をすぐに始めたんだけど……俺はぜんぜん動けなかった。手を握ってるのがやっとで……」

「それで充分。ありがとう、コウちゃん……武市さんもありがとうございます。助かりました」

「まだ分かりませんよ? 外に出ることが先決……今から避難を開始しますので、聞いてください。ここは地下。火の手は上階から1階まで部分的に広がっています。この施設の出口は二つ。裏手の方は焼けた木材で塞がっていますが、正面玄関のルートは確保されています。まずは一階で消防の方と合流し、指示に従って脱出します……恵さん、立って歩けますか?」


 立とうとしても、身体中が強張るだけだった。

 込める力が伝わらず、散っていく感じ。炯眼を使い過ぎたからか、意識不明の影響なのかは判別がつかないが、側面を支えてもらっても歩けないのは分かった。


「だいじょ、うぶ、じゃないや。ぜんぜん動けない」

「なら背負われるか、お姫様だっこでいくッスよ。あたしが先導エスコートしますので、お願いできます?」

「メグ、それでいいか?」

「えっ? あっ……はい」


 頷くと同時に、コウちゃんが私を持ち上げ背中に乗せた。

 首に手を回して、離れないように掴まる。……なんだろう。さっきまで感じていた不安が薄れていく。それはたぶん、何があってもコウちゃんと一緒なら乗り越えられるって疑ってないからだと思う。

 

 地下座敷を後にしようとする中で、ライレンはじっと動かないでいた。動けないと言った方が正しいかも知れない。炯眼を持つ私以上にありかちゃんの状態が分かるのは、この世界でライレンだけだ。


「あと少し時が必要だ。俺の法眼で命が自然に回りだすまでは動かせん。先に行け。ありかには俺が付いている。それとも……俺では不服か?」

「逆よ。安心してる。と言うよりライレンにしか任せられないわ。ありかちゃんのこと、頼んだからね?」

「応えよう。めぐみ」 

「分かった。ありかちゃん、そのパーカーあげるよ。今度服とか買いに行こう! 見て回るだけでもぜったい楽しいからさ!」

「……ええ。ぜひ」


 彼女はひそやかに笑って、右手をあげてピースをしてくれた。

 指には垂れ耳フードの上着と同じ、犬のキャラクターの絆創膏が貼られている。


 コウちゃんが何か言いたそうにしていたが、

 ライレンが口端を歪めて笑うと、お互い納得したように頷いた。

 な、なにその無言の会話。男の子同士って感じで良いなぁ……

 



「あ、恵さん。これハンカチです。上階の煙を吸い込まないようにしてください。足りない人はあたしのスーツでも下着でも適当に千切ってどうぞ」




 そう言ってハンカチを、口元まで持ってきて手を添えさせた。

 コウちゃんが武市さんの脱ぎ散らかしたものを確認しようとしたので、急いで自分の持ってるハンカチをポケットから出して、口に突っ込んで咥えさせる。武市さんは私に顔を向けるコウちゃんをニヤニヤと横目で見ながら、先に歩き出した。

 

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