第70話 虚ろな夢の終わりに




 虹色の光が糸を伝い、流星のように落ちて来る。

 その一つがコウちゃんにもぶつかり、魂を突き抜けた。


 のけ反る身体を支え、緩んだ手をきつく握りしめても、何の反応もかえってこない。コウちゃんらしさを形作る表情は消え、虚ろな目がぼんやりと空へと向いている。

 声が出そうになったが、歯を食いしばって堪えた。

 

 恐らく、ありかちゃんも同じ状態だろう。武市さんも……

 私に出来ることはもう何もない。


『めぐ。泣いてるの?』

「……勝ちたかったなあ。あの空に」

『ボクは、キミを勝たせたかったよ。ボクだけじゃない。頼廉たちも、みんな……その立ち向かっていく魂の色に染められて、それぞれが大願に抗った。運命をねじ曲げたっていうより、別の道へと導いてくれるような、そんな希望キミを信じていたんだ』

「……」


 シロの言葉がぽつぽつと心に染みてくる。

 ライレンもただ静かに、虹色の空を見ながら話を聞いていた。

 不安でつぶれそうな私を心配してるにおいがする。

 

 コウちゃん。

 お願い。目を覚まして……

 せっかく遠ざけてきた、考えないようにしてきた……悲しみが追い付いちゃうよ……そしたら誰がその気持ちを蹴っ飛ばしてくれるの?

 涙があふれて、溺れたって知らないからねコウちゃん……! 


 ずっと繋いでいた手が、ぎゅっと握り返される。

 私の想いに応えるように。


「コウちゃん……?」

「そうか……メグ! 俺には聞こえたぞ!? 確かに届いた!」


 いつもの笑顔で、優しいにおいを向けてくる。

 良かった。

 この感じならきっと――

 

 武市さんも、切れ長の目を細めながらむっくり起き上がった。

 支える人が居ないから、ヤバい体勢で倒れてて違う意味で不安だったんだよ。そのおっきい胸があって助かったみたい。


「はあ、はあっ……先に言ってくれるとなお良かったっスね。まあそんな猶予なかったか……ざまあみろ、バケモノが……!」

「なんてこと……あはははっ! なんてこと!? こんなのって、あり? めぐみ様……貴方はこの場面まで想定していたのですか!?」


 ありかちゃんが狂喜を浮かべながら、抱き留めていたライレンの腕をばんばん叩いている。ライレンが珍しく唖然とした表情をこちらに向けた。


『ち、ちょっと待て!? 大願は確かに成就したはず。時間が経てば起きるのは分かってた。なんで意志を持ったまま会話が出来るんだよッ!?』

「支配の糸たばが勝手に切れた……ように見えたが、これは……」

「あははは、はくぅ? 本人に聞いた方が早いわ! これってないのでしょう? ああ、天眼で見て回れないのがもどかしい!」


 あ、そうか。

 周りも確認した方がいいな。血のにじんだ涙はだいぶ透き通っているから、炯眼を遠見で使う分には問題なさそうだ。

 ……シロとライレンの視線が熱い。同時進行といくか。


「ええと、その……種を明かせば単純だけどね? ありかちゃんが言っていたでしょ。のなら、あの空から繋がったすべての魂へ命令が送られる。それをわざわざやってもらえるのなら、利用できるって思ったの」

『そうか上書きを……だ、だけどいくら支配者サマヨグ=ソトースの深淵に踏み込めたとしても……めぐに命令を歪ませることは不可能だ。支配の呪言の1%だって書き換えられるかどうか』

「別に何も書き換えてない。そもそもどんな命令かも知らないし理解できなかった。やったのは一つだけ。世界中に焼き付けられた虚夢の終わりに……答える余地を追加したのよ」











  井 はい / いや 井








 



「あー、だからですか。命令なのに、選べるの何で? って思いました。束縛の糸を断つ強制的な命令じゃないのは、ヨグ=ソトースに感知される可能性を減らしたかったから……じゃないんですよね。あくまで人の意思に任せたってこと? めぐみ様らしいですが、危うい綱渡りだった。まあ結局、それが功を奏したってわけね」

「なるほど。通りで諦めまいとするにおいが、消えなかったわけだ」

「あはは……ギリギリで、上手くいったよ」


 最初にライレンと戦えたから、命令のすり替えと書き換えのアイディアが浮かんだ。コウちゃんや武市さんを支配した時があったから、操作の仕方をより精密に出来たし、ありかちゃんの精神世界でさんざん試行錯誤したことで、とっさの応用が効いた。


 シロの予想を超えて毛玉の神様に炯眼が通ったのも、これまでがあったからだ。本来なら文言を付け加えることさえ無理だったと思う。


 何もかも無駄じゃなかった。


 私の炯眼の糸は引き裂けても、繋いできた絆までは干渉できない。何よりいま私は……この世界における生命、その意思と繋がっている――


「誰一人望まない願いを、この世界がどう扱うか。それをこれから理解させてやる。あなたに負けた私は、もちろん受け入れるし……あなたにも、絶対に従ってもらう……!」


 空が何度もざわめいた。

 釣り針の糸が切れてリールに巻き取られていくみたいに。

 毛玉の王がしがみ付いていた、あらゆる繋がりが断たれていく。

   

「個々の選択ゆえに、繋がれた糸の半分でも拒まれれば、あとは自然に千切れていくと思ったが……カハハ、まさか根こそぎで残らないとはな」

「炯眼で焼きつけたのは言葉というより概念。そりゃあ感覚的な善し悪しが分からない幼児乳児だっているでしょうよ。でもね。絶望を好き好んで迎えようなんて人は……いないって信じてた」

 

 一つだけ、確かなことがある。

 運命は、こんな毛玉なんかに好きにさせるものじゃないってこと! 誰一人望んでいない願いなんて、こっちからお断りよ。それだけは絶対に違わない。みんながそう決めたんだから!


「炯眼の糸は焼き切られていて、私の言葉や意志は届かないでしょうけど……人の意思を代表して一応伝えておくわ。。さっさと帰れ……大願ッ!!!!」

 

 退散の門へ引きずり込まれつつある虹の塊に、赤い点が一つだけくっきりと染み出た。それがキッカケになり生き物のように脈動し色が乱れて、虹色がかきまざり黒に近くなる。心が絶望に染まっていく過程のように。




 ぎゅああああぁぁぁぁ――ぎゅおおおおぉぉぉぉ――




 金属が擦り合わさったような音。さっきよりも生物の叫びに近い気がした。絶望なんて髪の毛一本分ほども感じていないかもしれないが、少なくともって音じゃない。炯眼は繋がっていないけど、確かにそう私には伝わってきた。

 

 最後には夜空と同じ色に変わり、世界のどこにも引っかかることもなく白い太陽にのみ込まれ――暗雲は門ともども消滅した。



『やった……』


 誰かが息を吐きながら呟く。

 それは私だったかもしれないし、みんなの気持ちが合わさった心の声だったのかもしれない。




 力が抜けて仰向けに倒れる。

 地面にぶつかった感触はない。空を飛んでいるような夢心地。

 



 天井よりはるか先、私の瞳に入ってきた光景は……

 青と赤のコントラストが織り成す、夕暮れ時の空だった。

 子どもの頃や学校、旅行先、仕事の帰り道。揺れ動く世界に生きる中、誰もがいつか見上げた空は、息が止まりそうなくらい綺麗に輝いている。

 



 そのまま空がにじみ、意識は途切れた。



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