第54話 緑:命運をのせた天秤
ここは……?
辿り着いた座敷からは、庭園が見えた。白砂と小石が波打って敷き詰められていて、あとは比較的大きな石組が並んでいる。吹き抜けの構造じゃなくて壁も天井もある。
「なんか宴会でもやれそうなとこだな」
「座敷でくつろぎながら、風景を楽しむ場所っスかね?」
武市さんとコウちゃんが思ったことを口々に言った。
中三の修学旅行で訪れた龍安寺に雰囲気が近い。
ってことは枯山水の様式みたいだけど、石組が不自然だな。等間隔に並び過ぎている。12個の石組がサークル状になってて、日時計の位置みたいだ。小石の波打ちもどこか幾何学模様のように整い、自然を表す枯山水とは似ているが違う。
たぶん、何らかの術式……門の創造を補助するための……!
「ありかちゃん!?」
その石組のひとつに、ありかちゃんは寄りかかっていた。両足を投げ出した姿勢で、眼元にはハンカチの上に血に染まったタオルが巻かれている。
誰かにやってもらった感じじゃない。身近にあるもので処置してる。小石や石組に垂れた血や足跡を見る限り、眼を失ってからは数メートルも移動していない。ずっとここにいたようだ。
制服のシャツが破れてて、上半身がはだけて見えている。
肩や手足には青い羽根や羽毛が衣服をところどころ裂いてまとわりついていた。天眼を使った名残り? いや、途中で変異が止まっている……
「ありか……」
ライレンの息をのむ音が聞こえた気がした。
肌が見えてるけど、いまはたいした問題じゃない。目の傷も顔立ちがしっかり残っている以上、ライレンなら治せる。大火傷からありかちゃんを修復したくらいだ。きっと上手くやる。どちらかと言えば、これは私の問題なんだ。
ありかちゃんが首を少し傾げ、口をあんぐりと開く。
「くっ……くるるぅ」
鈴を転がすような声はライレンへの返事じゃない……ただの鳴き声。
彼女の心は傷ついてないし壊れてもいない。叩き潰され、乱暴にこねて丸められてそのままって感じの精神。
いろんな現場を見てきた武市さんも、絶句している。
私はありかちゃんの心が、水晶玉が落ちて砕けた状態でも1000ピースのパズルのように散らばっていても、治してあげられる自信があった。どれだけ時間をかけたって元通りにすると決めていたから。
でも、ありかちゃん自身の心にすき間や傷が残っていなければどうしようもない。もう彼女の魂の形が無い。きっと目を失った時、門の創造をした直後から。どう急いでも間に合わなかった……彼女は最初からここにいて、いまは精神がひとまとめになっただけの別物だ。
「悪いな……少し遅れた。ありか」
「く? くっ」
ライレンが彼女を抱きしめたが、くるりと首をひねり苦しそうにもがくだけだった。どう抱きしめ返すのか忘れてしまっている……ライレンのことを誰かも分かっていない。多少の知性は感じられるが、それを活かす知識がまっさらなんだ。
言葉を操れない赤ちゃんと同じ。
「一応だが聞いておきたい。門の消滅には詠唱がいる。炯眼で操り、その言葉を一文字ずつでも正確に言わせることは可能か?」
「……無理よ」
「そうか」
例えば、りんごはおいしい。と叫ばせようとする。
その単語それぞれが知らない言葉だったとしても、私の命令を理解できる日本語技能がなければ成功しない。産まれて間もない赤ちゃんに、名前を言わせろってくらい無理な話なんだ。
膨大な時間が使えるなら可能性はある。
でも大願までのリミットは残り30分ちょっと。そこまではとても出来ない。せいぜいが命令待機の状態である停止や、鳥のように羽ばたいたり、特定の動きをさせる程度。
シロが外なる宇宙でどれだけ上手く時間を稼いでも……私の精神を治し、繋ぎ合わせたケースから考えて、数日以上は絶対かかる。そしてありかちゃんはもう元に戻せないんだ。
「ならば仕方ない。大願までの暇つぶし、そう思っていたのだがな。今ここに来て命運は決したようだ」
「くるる、ぎゅうぅ……?」
石組にありかちゃんを押し付けるようにすると、か細いツタのような緑の糸が石組から芽吹いてしゅるしゅると絡みついた。彼女に成熟した魂があるなら羞恥心を感じる服の乱れと姿勢だが、弱々しく鳴くだけで抵抗らしい動きはない。
身動きの取れない彼女の頭上で、ライレンが拳を固く握りしめる。
門の消滅を呪文で行えないなら、創造したものを殺すしかない。術者との繋がりを完全に消すことで門は維持できなくなり崩壊する。そういうことだったはずだ。
ライレンの技量なら痛みを感じる間もないだろう。
刀で切るのはもちろん、首を手で打っても槍で貫いても、拳なら石組ごと叩き割るかもしれない。どのみち即死の一撃を与えることができる。
もしかしたら、始めから分かっていたんじゃないか?
少なくともこうなる可能性に対して覚悟を決めていた……そうでないととても納得できない。彼の心は落ち着きすぎている。
ライレンは眼を閉じ、そして開いた。
迷うようなにおいを一瞬感じたが、すでに消えていた。
揺るぎない鉄のごとく……強い殺気だけをまとっている。
その右腕が、ありかちゃんの頭を目がけ飛来した。
* *
「……くるるぅ」
「信じられん。俺はいま何をしているんだ?」
握り拳は開かれ、その手のひらでありかちゃんの頭をなでている。
くすぐったそうに、くっ、と短い声がした。
「ライレン……」
「おい、おっさん。どういうことだ?」
「いまここにある、幾つも犠牲にして勝ち取ったもの。大願を止めることが出来る奇跡のような得難き瞬間……他の何にも代えられないものだと、痛いほど理解してるつもりだ。なのに俺は、それを手放そうとしている」
こちらに振り返った顔は、驚きに満ちていた。
もしかしたら門の出現と同時に、避けられない結末だったのかもしれない。あるいはさっきこの人を呼び止めた時によぎった予感は、私にとって最後の選択の余地だったのかも……
ライレンはあの迷いがあった瞬間、ありかちゃんの命とそれ以外すべてを天秤に乗せてしまったんだ。そして……釣り合いが揺れて傾き、重たい方を選んだ。
「何もかもをひっくり返して、このまま大願を迎える気なの?」
「そうだ。ありかは大願が避けられぬ運命だと見通し、天眼を捧げて少しでもより良い処遇を願い、
「迷いはないのね?」
「そうだな」
言葉通りライレンには微塵の迷いも見られない。
揺れないし揺らぎもしないだろう。それが出来るのは、信念を曲げさせることが出来るのは、ありかちゃんだけだ。決意に満ちた瞳がこちらに向いている。
いつのまにか彼の右手には薄緑の刀身が握られていた。
恨み言の一つも言いたくなるわ、シロ。
昔の火事があった時、あなたが炯眼で上手く彼女の精神を治していたなら、こうはならなかった。ライレンに任せたことが、ありかちゃんに情を傾けさせたことが。思いがけない形でいま返って来てるんだから!
静かに降り出した雨の風景を、彼の心から感じ取った。
止むことのない悲しいにおいがする。
「互いに譲れぬ道なれば、挑んで来るがいい……炯眼の娘」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます