第53話 虹のふもとへ




 部屋から出て通路を進むうち、血の臭いが薄まってくる。

 ようやく座敷側の様子を探れるようになった。奥の部屋……客間というか宴会の席のような、わりと広い空間。そこからありかちゃんのにおいがする。

 生きている……! 動いてはいないけど、じっとしているんだろう。


 急げ。

 先頭を進むライレンは今にも置いて行かれそうなほど速い。

 大願も火事も一刻を争うけど、それよりありかちゃんの命が尽きる前に辿り着くんだ。私たちなら治せる。どんな状態でも、生きてさえいれば―― 


 とっさに、ライレンの肩を引っかくように抑えた。

 ライレンはぴたりと足を止める。逆に私の方が速度を緩められず、その大きな背中にぶつかってしまう。


「どうした? めぐみ」

「あ、あのっ……」


 ほんの少しの猶予も許せないはずなのに、ライレンは私にしっかり向き合い、急かしたり非難することもなく、立ち止まる意味や言葉を待ってくれた。

 手から震えと感情が、この人に伝わらないように別の表情を装う。


「もし……ほら、ありかちゃんの服とかはだけてたら、ライレンやコウちゃんには見せられないでしょ? 私の上着とか何か、着せてあげなきゃだし。だから私が先に行くよ」

「……それほどか?」

「え?」

「俺は、どんな傷でも元に戻せる気でいた。たとえ何らかの精神的傷害を負ったとしても、俺とめぐみなら治せると確信があった。ありかの状態は、その前提が崩れるほどなのか?」


 駄目だ。やっぱりライレンは鋭すぎる。

 私がどう言っても、真意を汲み取ってしまう。

 ありかちゃんのにおいで……身体の状態は分からない。ただ、心の動きや魂がどうなっているのかは想像できる。ライレンにとても


「先に伝えておこう。大願が成就したなら……つまり門の消滅が時間内に間に合わなかった場合。全ての知的生命は白い毛玉野郎ヨグ=ソトースに操られ、俺たち二人だけ取り残される。奴の精神支配は炯眼法眼までは及ばない。つまり……」

「犯罪や争いのない、完璧にコントロールされた世界だと私たちは正確に理解できてしまう?」

「そういうことだな。人的ミスや感情の揺れが起こり得ない、誰もが支配の糸に踊る人形だ。俺たちは耐え難い孤独や虚しさを抱えて生きるか、作られた楽園を受け入れるかを選ぶことになる」


 ライレンの背中側に、白い糸が空から伸びて繋がっていた。武市さんにもコウちゃんにも同じような糸があり、私の後ろにもくっ付いている。

 。残された時間内に門を閉じなければ、生命は捉えられ、意のままに統率される。もう一人のシロがいた宇宙のように。


「大願成就を阻めなかった時は……」

「その時は、どうするかもう決めてるわ」


 私は路傍の石だ。

 特別な価値があったり、輝きを放つ宝石とは違う。

 でも非日常にこの身を投げ入れ、波紋を立ててしまった。いま上空にある門と同じ、外なる宇宙の入り口が……不本意だけど私の魂の中に出来上がっている。星向こうにいたシロは私のことを希望だと言った。大願をどうすれば止められるのかを考え続けろと。


 シロが一人ぼっちになってまで誰かを待ち続けたように。

 私やみんな、ここまでの行動や犠牲を――無意味なものにはしない。


「答えはもう決めてあるでしょう?」

「……ああ」

「私と同じよね?」

「そうだな」


 ライレンの肩を引き寄せてぴったりと密着する。

 炯眼と法眼がその色を強め、熱を帯びた。お互いの背後にある細い糸を、緋翠の瞳で灼き切って燃やしていく。 

 まるで初めて会った夜みたい。血のにおいをまとわせて抱き合っていた夜の。あの時、背骨が折れそうなほど力のこもっていたライレンの両手は、私にされるがまま床に向いている。傷だらけで血もまだ乾ききってない。法眼の治す力はありかちゃんに残しているんだきっと。

  

 ……ちょっと前までなら、考えられなかったな。

 シロとあの薄暗い路地で会わなければ。コウちゃんが助けてくれなかったら。私はまだ自分の部屋で一人泣いていたと思う。目を見てしゃべることもできず、誰かと触れ合うこともなく。

 

 私にはすごい幸運がついてるってときどき感じるんだ。

 名前の通り、恵まれた運命が寄り添うみたいに。


 殺されそうになった相手に傷を治され、親身に話を聞いてくれた人に拳銃を突き付けられても、一緒について来てくれている。こうして抱きしめ温もりを感じることだって出来ちゃう。

 そのままじっと見つめているうちに、ライレンが苦笑を浮かべて眼を逸らした。何か恥ずかしそうな、心が揺れたような、この人にしては珍しいにおいがした……くすぐったかったのかな?

 

「めぐみ。立ち止まり正解を探すことが必要な場面もある。いまに限って言えば……動きのなかで最善を尽くしたい」

「……ええ、そうね」

「心配無用だ。俺たちの勝敗はここが焼け落ちるより……早く決まるだろう」 




 私の手を解き、ライレンは進み始める。

 その背中を追うように足を踏み出す。心の迷いは消えないけどだいぶ小さくなった。大した時間もかからず決着がつく。どうなったとしても、あとは走るだけだ……!




「あの二人って……もしかして付き合ってるんスか?」

「どんな関係でもねェよ!」




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