第52話 橙:人の願いである限り
ライレンが祈りの姿勢から、よろけながらふらふらと立ち上がる。
壁にもたれかかるようにして手を横のスイッチに伸ばすと、だいぶ控えめだが照明が付いた。部屋の奥側に電源があり、細い通路が続いている。ここは座敷じゃなかったらしい。源十郎は番犬のように道を塞いでたってことか。
ライレンは全力で走った後みたいに息が荒い。法眼もかなり酷使したうえに全身の至る所にケガがある。今すぐ駆け寄って肩でも貸したかったが、いまの私には出来なかった。
さっきの源十郎のように、天井を見上げてつぶやく。
「大願が、門が……閉じてない」
空は濃い白雲に覆われていて、炯眼でも無ければ太陽のごとくぽっかり空いた穴……門さえ見えない。白雲と表現した支配の糸束はどこまでも広がっている。いま世界で晴れている場所なんてあるのだろうか? そしてこの異常な景色を、私たち以外は認識することすら叶わない。
もうすぐ陽が傾き始める、いつもの夕方なんだ。当たり前のように夜が来て、次の太陽が昇ることを誰も信じて疑わない。
矛盾しているけど……門が消滅していないことに、私はほっと息をついた。
源処寺に関係のある者はすでに炯眼の力で出払ってもらっている。門の創造をした可能性のある人間は、もうありかちゃんしか残っていないのだ。
その門が消えずに存在しているってことは、ありかちゃんが門を作り、さらにありかちゃんが死んでないってことだ。まだ間に合う……目の傷をライレンに診せて、精神的なショックを受けてるようなら、
「誰だ、あんたは?」
コウちゃんの声に、ぱっと振り向く。
スーツ姿。前下がりのショートヘアを手櫛でかきあげたような髪型。薄明りに意志の強そうな目が一際目立つ。陰影のくっきりついたその胸も。
「どうも。
「武市さん……」
真上にある門を眺めていて、全然気がつかなかった。ライレンは道の先に意識がいっていたが、気配は分かってたみたい。
取り出した警察手帳を開きながら、武市さんが敬礼する。
「面識のない方には申し遅れました。警察の
武市さんはそう言って横たわる遺体を見た。
胸に大穴が開いているが、源十郎だと疑っていない表情……そう言えば彼女はいつからここにいたんだ? どの場面から目撃していた?
においが変わっていく。いわゆる正義ぶった感じが薄れて、ニコニコとした人懐っこい笑みがさらに強まる。恨みを募らせた相手の最期をたっぷりと観察できた――そんな顔だ。怖い。
「軽く探りを入れてた昼頃に一発銃声がして、そこからはマジメな聞き込みなんてバカらしくなること目白押しっス。ヤクザの抗争さながらのドンパチは始まるわ、車がアクション映画みたいに突っ込んでくるわ……で、ここまで降りて来たってワケです。いやーすごいモン見ちゃいました! 殺人の現行犯なんて、なかなか遭遇しませんよ?」
「……弁解の難しいところからしか見てないのね」
「そこの男性が槍を引き抜くところからっス。そして、畳のいたるところに指や腕、食いちぎった痕跡が残ってる。やっぱり路地裏のバラバラ死体の件と繋がってましたね。恵さんのご協力に感謝です……ところで」
武市さんが敬礼を解いて、ライレンの方を向く。
無礼も承知でじろじろと全身を見定め、うなるような息を漏らした。
「その鍛え込まれた身体つき。槍の技量と隙の無さ……武道の達人、それも相当なものっスねえ。もしかしておとといの路上殺傷事件、関わってたりしてませんか? 亡くなった三人とも、ここの関係者と思われる装備を身に着けていたのですが……」
「あれは間違いなく俺のしたことだ。闘いの中で、あいつらを殺めた」
「わぁ正直。ならあたし達が抱えてた案件はぜんぶ片付く……うれしいです。やっぱりゴミとバケモノは、一度に掃除出来た方がいい。殺しを隠さないのは……
武市さんが不潔なゴミをみるような、嫌悪感を露わにする。
ライレンもその威圧に負けてない。先に手は出さないし気にも留めないが、降りかかる火の粉は払うってにおいがする。
「二人とも止めて。武市さん、私たちには時間がないんです。話は後で聞かせてもらいますから、今は……」
「ああそうでした緊急事態でした。ここは危険ですので避難しないと」
「え? 避難?」
「地下にいるので知らないのも無理ないですが、火事です。燃え広がる前に……いえ、一階の逃げ道が塞がる前に脱出しないと死にますよ?」
* *
「し、施設内の人はどうしてますか? あと消火活動は」
「すでに消防には連絡しました。ちょっとした山道ですが、あと数分で到着するとは思います。ここまでで取り残された人は確認しながら来ましたがいません。恵さんたち以外はね」
……マジだ。燃えてる。
上を見通すと、火がじわじわと木や壁を焦がしているのが分かった。
炯眼で目星をする限り、二階の部屋が火元で燃え広がっている感じだ。たしかに誰もいない。シロの遺体だけが変わらずにある。
「ライレン。二階から出火してる。あとどれくらい持つ?」
「ここは本堂と違って、人の住む最低限の防火構造は備わっている。あっという間に炎に巻かれる、とはならないはずだ。二階から火の手があがったのなら、焼け落ちるにはまだ余裕はある……そう悠長にしてもいられないが」
「私のせいだ。私が武器を持ってる人たちの意識を断ち切った時に……」
「めぐみに責はない。向こうは火薬を扱っていたんだからな。下手を打てばこちらが銃火器や爆弾でやられていてもおかしくなかった。何らかの致命的失敗があったんだろうさ」
ライレンは切り替えろ、と言っている。
そうだ。その通りだ。大願を止め、ありかちゃんを助けることに集中しろ。一分一秒の時間が貴重だということは変わってないんだから。
首横のリボンシュシュを、背中側へ指で弾いた。
まずは武市さんに協力を仰ぐ。
常軌を逸したこともあるし、すべてはとても説明できない。
でもやるんだ。絶対に味方になってもらう。炯眼を使ってでも。
「武市さん。この通路の奥に救助者がいます。ケガをしていて……私たちは彼女のためにここまで来ました。車を入口に突っ込ませ、邪魔する奴は暴力に訴えてまで退場させていますが、いまこの一時だけでも力を貸してください」
「……あたしに手助けをしろと? 殺人の現行に居合わせ、さらに犯罪へ加担させようとしている。そんな貴女を、どう信用すればいいのですか?」
武市さんは私を犯罪者としては扱っていない。
先ほどの源十郎のように、バケモノを見る目で観察している。ぞくぞくする視線だ。人間の言葉を話せる別の種族――を見てるって感じの、冷たい目だ。
「私の炯眼は、武市さんの意思を好きに操れます。未来を握っているのと同然。一緒に行動させたり、ここに置き去りにだって出来る」
「……あれ、もしかして脅されてます?」
「しかし私はそれをしていない……あなたに助けて欲しいって心から思ってます。それが敵意のない証明で、信用してもらうには足りませんか?」
返事はない。
思考を巡らせているようだ。迷っているにおいがする。
交渉の余地は十分にあるが時間をこれ以上は費やせない。
「付け加えるなら、すでに炯眼の視界に入っている……その時点で武市さんも、私が敵に回らないことを信じているのでは?」
「ムカつくほど、あたしのことを知った風な気でいるのね? 親か兄妹かってくらいに……。何の対策も打たずには来ていないわ。その異能を使っていたなら、貴女を始末する準備があった」
ふいと視線を外し、武市さんが通路へ向かって歩き出す。
無線のイヤホンを片耳に付けていたことに、今気付いた。意図的に見えない位置取りと構えをしていたからかも知れない。
そばにいるライレンは眼中にないように、ため息をついて振り返った。
「分かりました。恵さんの要請を受けましょう。あとで今日のことは包み隠さず話してくださいね。まあ、バケモノ絡みは罪には問えないんですが。この奥に要救助者がいて、助けに行くのなら協力するッスよ。困っている人を助ける。それが警察の本分ですから」
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