第44話 魔眼




 シロの案内で本堂や各施設の奥へと回り、裏手から客院に入る。

 たしか庫裏くりって言ってたっけ? お寺の住職や家族が生活していて、場合によっては客の寝泊まりもする……私たちで言う家と考えていいのかな?


 勝手口というのか裏玄関というのか知らないが、見張りはいなかった。

 いない代わりに、ライレンが奥を眺めながら立っている。

 ……ほんの少しだけドキッとしたのは内緒だ。


「ん、俺の方が先に着いたか」

「私たちは隠れながらだしね。ライレンには馴染みの場所でしょうけど」

「ここの見張りも車の方へ行ったのか? ちょっとザル過ぎねえか?」

「いや、何人かいたぞ? ……退場してもらったが」


 平然とライレンが答えるので、私もコウちゃんもお、おう、というため息に似たリアクションしか取れなかった。どんな方法を用いたのかは聞かないでおこう。その方がきっと幸せに違いない。


 シロが何度か鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐ。

 ライレンと同様に、廊下のその先を睨むようして目を鋭くさせた。


「わうぅ……!」

「そうだな、俺も感じるよ。ありかはこの奥に……確実にいる。もう少しお前の鼻を頼りにするはずだったが、幾つか手間が省けたな」


 ライレンの右手には、すでに薄緑の刀身が握られていた。

 シロが周囲を探るように玄関中央へ陣取り、低く身構える。施設内の索敵と、外の動きも警戒しているようだ。


「注目。廊下すぐ横の通路から男三人が歩いて来る。全員素手。武道の心得有り。立ち位置そのままで各個撃破するぞ。白は周囲警戒だ。遭遇まであと約九秒。めぐみ、炯眼で足止めしてくれるか? 一瞬でいい」

「ん……分かったわ」


 返事をして、パーカーのたれ耳フードを外した。

 壁向こうへ意識を飛ばし、こっちに向かう対象者のにおいを捉える。


 視線を合わせなくたって精神に繋ぐことは、そう難しくない。

 手間が少し増えるだけだ。今の私にとっては、車のクラッチとギア上げの操作があるかないか程度の差でしかない。

 ――あまり気は乗らないけど。


そこから動くな大声を出さないで


 曲がり角から顔を覗かせる直前で、見張り三人を止めた。

 示し合わせた動きでライレンが左拳で男のノドを潰し、そこから振り回した刀の柄を鳩尾に深くねじり入れた。コウちゃんは組み付くように頭を掴み、膝蹴りを鼻にめり込ませ、九の字に曲がる男の後頭部に右踵を落とし、地面に叩きつける。


 ちょ、やり過ぎじゃない!?

 そりゃあ叫ばれでもしたら、他の見張りもここに駆けつけて来るのは分かるけど、念入りというか……私情がこもってないか? そこまでしなくても――


 眉をひそませながら、シロとともに前方確保のため廊下へ走っていくライレン達を見送り、残った一人の方を向いた。すでに動けないし大声を出すことも禁じてある。


「侵入者……賊と聞いていたが、女か。それも炯の目を……戦い方も知らないような少女に授けるとは」

「なに笑ってんだお前? 私が女で、何か面白いことでもあったのか?」


 ぞっとするような言葉と声が、私の喉奥から出た。

 男の歪んだ口端を、嘲笑だと認識した時……信じられないくらいの憎悪が心から噴き出していく。 

 こいつはありかちゃんに起きた惨劇を見ていない。

 だったらなぜこれほどの怒りが込み上げてくるんだ? 

 

 同じ場所にいて、なんで助けてあげられなかったのか……気付きもしないで、何も知らないくせに笑っているのが、許せない?

 ひどい暴論だ。


「両目をえぐり取られる痛みと恐怖、考えたことあるのか? ないでしょう? お前も同じようにされたら、きっと笑っていられなくなる……それを試してやるよ」

「……あ、う、腕が……!?」


 男の片手が中途半端に突き出した指の形のまま、眼鏡を直す仕草のように動き出した。驚いて反対の腕で掴み、止めようとしても……じりじりと持ち上がっていった。

 ただ感情のまま、相手のことを考えず一方的に傷付けて満足するような、浅ましい行為を……あの夜、薄暗い路地裏で私がされたようなことを、しようとしている。

 どす黒い精神と魂に自分から

 思ってもみなかった。私が、あんなゴミクズ野郎と変わらないなんて。


「た、たすけ……!」

? あははハハハ……いや、お前は聞いてないんだったな。でもお前たちは止めなかった。だから私も、願われたって止めてやらない」

「……めぐみ!? よせ!」

 

 ライレンの制止を聞いても、

 両目のくぼみへ頭蓋骨に沿って登っていく男の手は緩まなかった。

 締め上げる力は無慈悲に増していく。 


 私の中に渦巻いている感情。ライレンが怒りを露わにしていたのも、さっき二人が過剰なまでに見張りを攻撃したのも。私のドロドロした思いを、炯眼で知らず知らずの間に染み入らせ共感させてしまっていたんだ。つまりすべて私が原因だったってこと……?


 あはは、なにそれ?

 最低な人間じゃん私。 


「ライレン、周囲の警戒だけして……すぐ終わる」

「あがが……ぎ……ッ!」


 男は何度か大きく痙攣し、膝から崩れ落ちて動かなくなった。

 急に力が抜けて一歩二歩、後ずさりすると廊下の壁にぶつかった。熱を冷ますようにして炯眼を手で覆う。視界は真っ赤に染まったまま変わらない。


 ライレンが急いでこっちに戻って来る。唖然とした表情で、うつ伏せになった男を抱え起こし、その顔に触れて傷を確かめた。

   

「これは……? 確かに目を潰したように見えたが……」

「んなことしないわ。誰かを傷付けたって、気が晴れることなんてない……私はそういう人間みたいよ?」


 男の目に傷はない。白目は剥いているが失神しているだけ。

 首すじの頸動脈当たりに、くっきりと指の痕が残っていた。

  

 ライレンが安堵の息を漏らす。

 なに? 私のために焦ってくれてたの?

 ……もし声を掛けてくれなかったら、踏みとどまれなかったかもね。

 

「これで一階にいる人は全て確認できた。だが、源十郎の私室に入っていいか? ここ数年、あまり部屋には寄り付かなかったと思うが……地下に向かう前にそこを調べておきたい」

「私は何をしてればいい?」

「白と一緒に、終わるまで周囲の警戒をしていてくれ」

「了解」


 見張り三人を通路脇に寄りかからせながら、ライレンが言った。 

 ほんと、手際が良すぎるな。


 ライレンが先行し、奥の部屋の襖を開けて侵入した。ちらっと見た感じ、女の子の部屋っぽくはなかった。宣言した通り源十郎の部屋らしい。

 廊下を進みながら、炯眼で軽く周りを探ってみる。

 確かにこの階、他に人の気配はない。なら、ありかちゃんは地下かな? 

 ここに向かってくる連中もいない。


「お待たせっ」 

「わぅ……」

「……」


 何でもないって声を絞りだし、シロとコウちゃんの横で立ち止まる。

 周りの様子を伺っていたコウちゃんが、やっとこっちに顔を向けた。

 ぶすっとした、不機嫌で拗ねたような表情を浮かべている。

 

「あのえっと、その、先に言っていい? 私が残酷なことをしないって、信じてくれてたでしょ?」

「ああ」

「だ、だよね!? あの、ごめん。イライラした気持ちになってるの、私の心が伝わっちゃってるせいだから」

「……多分、それだけじゃねえよ」


 コウちゃんが少し俯いて、考えている。

 色々なことを思い出しながら言葉を選んでいる、そんな感じ。

 私がただ待っていると、だいぶ時間を掛けてその口が開いた。


「苦しんでいるとき。普段通りの日常に戻ろうと頑張っているとき……そして今も。お前は弱音や泣き言を一つも言ってこない。何でもないって顔をして、笑うだけだ。俺はそれを……いつも悔しいと思ってる。頼ってもらえない自分を蹴り飛ばしたいくらいにな」

「それは……」


 それは違う。と叫びたかった。

 助けてくれてるし頼りにしている。さっきも……


 あの瞬間。憎しみの感情に染まりきる直前。

 赤い糸が、コウちゃんとの繋がりを強く感じさせて……透明な景色を見せたんだ。透き通った先を目指していけるような輝きを。

 あれはコウちゃんの心の中だったんだろうか?

 絶望とはまるで正反対の―― 


「メグが不安になった時、俺がいるってことを忘れないでくれよ? 別に、なにも辛い場面だけじゃなくて……怖かったり、楽しかったりする時。いつもメグの一番近くにいたいって思ってる。それが俺の気持ちだ」

「え……ふぇ、ほんと? 私に? あ、やっ待って……」

 

 コウちゃんは答えずに、じっと私を見つめてきた。

 その瞳に、惹き込まれそうになる。心の奥にある想いまで溢れそうに……こ、こっちのがよっぽど炯眼より危ないんじゃない!? 

 み、見ないで……!


「一通り探したが手掛かりは見つからなか――っと、間が悪かったか」

「さぁ行こう! 地下にありかちゃんがいる心を落ち着けて集中集中!」


 絶妙に空気を読んだタイミングで、ライレンの声が掛かり、弾かれたように私も動き出す。……さっきよりドキッとしたのは、内緒だ。


 あっっぶな!

 ただでさえ私は顔や態度に出やすいって言われてる。

 私の気持ちはコウちゃんに伝わっちゃいけない。今までも、これからもずっと。そうでなくちゃ……また大切な人たちがバラバラになるぞ。

 もうあんな思いをするのは嫌だ。




「わふっ……わぅぅ!」

ハク。その、なんだ。返す言葉もない」

 


 

 呆れたような声で、シロが吠える。

 ライレンは帽子を目深に被りながら言葉を濁し、階段へ足をかけた。


 一段一段降りるごとに、浮かび上がった気持ちを心の奥底へ沈めていく。

 切り替えろ。やらなくちゃいけないことを、私の中で満たし続けるんだ。

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