第42話 心が絶望に染まっていく過程 




 そんな……大願は防いだはずなのに。

 ちゃんとカギだってここにある。なら今私の見ているものは何? 

 私たちはいったい何のために、頑張って来たんだ?


 ライレンが車から出て、私と同じように立ち尽くす。

 コウちゃんもシロもただただ見上げることしかできない。


「大願……カギが無くとも門を創造することはできる。向こうと繋げさえすれば、門のすき間から《最極の空虚ヨグ=ソトース》が染み出るのも道理。しかしこれは……おそらく源十郎の意思ではないな。奴は叡智のみを欲したはずだ」


 たしかに知識や術をいくら扉向こうから得てもこれじゃ意味が無い。あの毛玉の塊に世界ごとのみ込まれてしまえば、その力を振るう思考すら持てなくなるのだから。

 

 シロの内面に潜り、別の宇宙へ魂を飛ばした時のことを思い出す。

 緑の星を包み、すべての生命を操る白い毛玉。

 宇宙すら窮屈そうに埋め尽くしていた、精神の糸の集合体。

 

 私はあれに一度飲み込まれ、魂がざらざらと崩れていくのを疑似体験している。あんな思い、誰にもして欲しくない。だから大願を阻止する。そう決意してここまで辿りついたのに……!


 炯眼がじりじり燻ぶり、鮮やかさや輝きを失っていく。

 少しずつ少しずつ白い糸が私をに巻き付いて絡まっていくように、保ち続けていた意思が動きを止める。いくら私が飛んだり跳ねたりしたって、神さまには何の影響も及ぼさない。海に赤の絵の具を一滴垂らしたところで何も変わりはしないと、改めて思い知らされた。


 視界が滲む。心の中も暗く暗く……沈むように滲む。

 私とともにあったはずの光が、見つからない。


 目の前を埋め尽くす、無限の色を湛えた濃くて分厚い白。

 八色ヤイロに包まれて、心が凍てつき死んでいく自分を、ぼんやり隣で眺め続ける。いまこの身体が立っているのかどうかも、分からない。


「もう、だめなの?」

「……」


 縋りつくような情けない声が出た。

 誰も何も答えない。ただ、心の軋む音は聞こえた。支えが無くなり押さえつけられ、捻じ伏せられ、屈していく魂の音が。

 

 声の続く限り叫びたかった。

 神さまに、私そのものを壊されてしまう前に。


「まだ、なんとかなるでしょ……そうよね?」


 お願い、誰か、誰か……そうだと言って。

 でないと……いままで繋いでいたものが折れて、潰れて……バラバラになってしまう。それを私は――。ほんのちょっとだけ、悔しいと感じる心がまだ残ってる。


「太陽の如く開いた門。あの真下を覗いてみてくれ」





 *  *





 言われるまま、ライレンが指差す方を炯眼でた。

 ここからはかなりの距離がある。たぶん紫雲山上空に作られたもので、白い糸が降り注いでいるのもその周辺だ。


「めぐみがいつか見た、外なる宇宙をびっしりと埋め尽くし、突き破らん限りの圧倒的な力を感じるか?」

「……感じない。あれに比べたら、爪切りで落ちた爪の欠片か髪の毛一本くらいの規模、かも」

「門の下、最も近くにいる人々……精神の糸に繋がれていると思うが、様子はどうみえる? アリやハチのような群体の動きや、均一化された精神状態をしているか?」


 白い糸に触れられている人たちに意識を向ける。誰も気付いていないで歩いているが、感情は騒がしく生命に満ちていた。私が緑の星でみた魂と違い、ひとりひとりが勝手に活動している。白い毛玉に繋がってはいるけど――繋がっているだけって印象を受ける。子どもも大人も、制服の学生たちも。


 今はたぶん紫雲山の近く……糸を垂らしたところからじわじわと広がっているだけで、神さまに操る気はない。せいぜいが人間の精神や知能をなぞり、確かめている段階だ。目新しい本をパラパラめくるみたいに。

 時間が経って、例えば地球全体に根を張り巡らせたなら……本格的に干渉をし始めると思う。でもいまはそうなってない。


「もうだめか、と聞いたな? 答えよう。

「ライレン……!」

「と言うよりこれからだ。門のをしたのならば、その者に退の呪文を唱えさせるか……殺すかして消してもらわねば困る。どの道ありかを助けるのに、源十郎や金久保とは対峙するのだ。ついでに後顧の憂いを断つとしよう」


 また門を創られてもキリがないしな、とライレンはごく軽く言った。公園で木漏れ日を受けて歩きながら、のどかだな、とでも呟くように。


 私を慰め、元気付けようとしてくれる素振りをする。

 そんなライレンの中に、燃え上がる熱のにおいを憶えた。源処寺の人たちに対する怒りとは違う、暖かい光だ。絶望を照らし、遠ざけ、跳ね返す……消えることのない強い輝きがそこにある。

 彼なりの優しさと気づかいを感じ取り、こわばっていた顔が緩んでいく。


「ありがとう。ライレン」

「……礼を言うのは俺の方だ」

「え、ち、ちょっと……」


 ライレンが私の前で跪き、頭を下げる。

 なんかコウちゃんと同じ感じがする! 私の行動に対して感謝がでかすぎるっていうか、釣り合ってなくて恥ずかしくなるやつ。


「めぐみがいなければ……命のやりとりをしたあの夜が無ければ。俺はきっとこの空を見上げながら、すべてを投げ出して諦めていただろう」

「あ、あはは。いっいいよそんな、大げさな……」

「俺を動かしたのはお前だ、めぐみ。その輝き、その魂が報われて欲しいと……心から思う。その為に俺は万難を排してでも成し遂げる気だ。大げさなものか。白たちもそう考えているようだぞ?」


 目を背けるように周りを見れば、コウちゃんとシロがこっちを向いている。ライレンの言葉に反対するにおいは嗅ぎ取れない。つまり、似たような気持ちでいるってこと? 


 私、そんなに何かしたか?

 

 むしろこんなとこまで引き回して迷惑かけてると思うのは私だけ? コウちゃんなんてピストルで撃たれたんだよ? ライレンが治したけど。


「聞いてくれ。あの白い毛玉が世界を包むのも、ありかの命も……おそらくは日没くらいまでの猶予。それまでどうあっても俺は諦めない。最後まで腕を振るい足を踏み出す。このふざけた盤面をひっくり返すため……もう一度戦おうと奮い立ったなら、力を貸して欲しい」


 そう言って車の方へ歩き出した。私が行っても行かなくても、ライレンはそのまま車を走らせるつもりだ。私と違い、縋りつくようなお願いじゃない、ほのかな期待を込めて声をかけただけ。

 いつだってライレンは、私を追い詰めない。

 逃げてもいい道を用意している。子どもが転んだ時、起き上がる意思を汲んでどう補助するか決めるように。信頼して私に委ね、任せている。


 日没までがタイムリミットだとして、今からあと4時間後くらい?

 移動や準備を含めたら3時間ちょっとしかない。

 

「ぜんぶ逆よライレン。感謝してるのも、力を貸してほしいのも私。それに、これからが大変ってところで……?」

「わんっ! わぉん!」

「シロも言ってるな。メグと……おっさんの力になりたいってさ」


 コウちゃんが後部座席のドアを開けて、シロがするりと入り込む。ライレンも暖かな目でコウちゃん達を認め、運転席のドアに手を掛けようとしたが、私が制して止めた。


「ライレンが運転する必要はないわ。あなたは助手席。到着までにありかちゃん救出大作戦を聞かせて? ぶっ飛ばしていくからね!」

「カハハッ! 孤剣で挑む、と思い込んでいたのがバカらしい。めぐみの言う通りだった。俺たちは一蓮托生。決して死に向かうものでは――」

「どうしたの?」




「いや……紫雲山に乗り込み、ありかを救出する手立て。その算段をいま閃いた。乗ってくれ、行く道で説明する」




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