第41話 誰一人として望まなかった世界

 



 ありかは4歳のとき、旅行先で火事に遭い母を亡くした。

 自身も大火傷のうえ失明し、生死を彷徨った。

 

 その時は助ける気なんてなかった。

 運命を弄び、捻じ曲げてまで生かすなど――白い毛玉ヨグ=ソトースと何の違いがある?

 そう考えていた。


 だが、ハクがありかと源十郎を死の淵から引きずりあげ、俺も手伝うしかなく危険を脱する程度に火傷を治した。なぜ介入したのか、という疑問は残る。天内家の存続を白は望んだのだろうか? それとも俺の伺い知れない崇高な目的があったのか……。 

 

 白は炯眼による心のケアもろくにせず、天眼を埋め込んだだけのありかを俺に任せた。

 子どもらしい感情の起伏を失ったありかの話し相手になり、絵本を読み聞かせ、世話を焼いているうちにふと思ったものだ。外なる宇宙からいずれ訪れる大願。それまでの暇つぶしには十分過ぎると。

 

 同じく助けられた源十郎は自身に起きたことを足がかりにして、紫雲山で失われていた伝承を繋ぎ合わせ、カギと門の創造に辿り着いた。そして……己の欲望のために大願を起こし、叡智をかすめ取ろうと画策していたのも、白は予測していたのだとしたら? 


  


「何故だ……何故なんだ。俺の胸に湧きあがる怒りもッ! 想定していたと言うのか!? ありかのことを、いつだって助けられたはずだ。分かっていながら、いまこの瞬間まで見送り続けたのか!」


 法眼が熱を帯び、激しく燃えさかる。

 肌は薄い緑の斑模様が走り、ざわざわと。まるですべてが逆鱗げきりんであるかのように、ライレンの感情に反応している。

 

 人離れした外見のライレンが、シロを睨んだ。

 さっきのアイコンタクトと違い、ただ自らの思いをぶつけただけの視線。すぐに前へ向き直り、ハンドルとクラッチの操作で車を鋭くUターンさせる。そのままぐんと加速させ、来た道を引き返し始める。


「待ってライレン!」

「時間が無い! つい数日前、ハクの力を得たお前と違い、ありかの天眼は幼い頃に押しつけられた、言わばもう一つの魂なのだ!」

「……このままだと?」

「欠けた魂から生命の力が漏れ続ける。車のガソリンが抜けつつある状態といっていい。しばらくは走行できても、その穴埋めをしてやらねば……ありかの命が尽きてしまう!」


 次々に並ぶ車を追い越し、そのたびに身体が左右に振り出される。

 ライレンの手は、ハンドルを握りながら震えていた。

 恐怖を感じているのが炯眼越しに伝わって来る。もし間に合わなければ、ありかちゃんが死ぬかもしれないということに――心の底から怯えている。


 もし、コウちゃんに同じことが起こったら……

 


「紫雲山に戻るのは分かった。どうやって助けるの?」

「どうもこうもない! 邪魔立てする者は切り破る!」

「……ライレンを囮にして、私たちがありかちゃんを探すのね?」

「そうだ、そうしてくれ。敵は俺がすべて受け持つ! ありかを見つけたら、あとは白が何とかする……そのくらい出来るだろ? あるいは手をこまねいて傍観するだけか、白?」


 シロに対し責めて問い詰めるような口調をぶつける。

 彼の心に傷が入り、ささくれ立っていくのが感じ取れた。

 何とかしなきゃ。このままじゃいけない。ライレンが辛いだけだ。


 ハンドルを握るライレンの手に、自分の手を重ねた。

 反応は良くない。爬虫類みたいに縦長の瞳を細め、険しくなった表情のライレンをじっと見る。

  

「離せ、めぐみ。炯眼を使う気か?」

「なわけないでしょ? わめいたり、当たり散らしてないで……自分の心くらい自分で落ち着かせなさい、バカっ!」


 よっぽど思いがけない言葉だったのか、ライレンは呆気にとられる表情を向けた。次に何かに気付き、昔の記憶から懐かしむような心の動き。

 ありかちゃんを想っていればいるほど、必ず感情を抑え込めるはずだ。その人のために最善を尽くそうとする上で、まず自分がしっかり立ち直らなくちゃって処に……大切な人がいる人は、

 

「私だって、ありかちゃんを助けたい。その為なら誰だって相手にするつもり。炯眼でひどい命令も灼きつけるし、爪も振るってやれる! でもね。何も考えず紫雲山に突っ込んだら……あなたを守れる自信がないわ。ライレン」

「俺を、守るだと?」

「私たちは一蓮托生。どうもこうも最後まで一緒だしさ。だいたいねえ、ぜんぶ片付いた後にみんなでお茶するんでしょうが。忘れたの?」

「……いや、忘れてない。確かに約束していたな」

「あはは。でしょ? もし。ありかちゃんをアクション映画みたいに颯爽と救い、私たちを活かす手腕を期待しておりますよ……隊長殿?」


 炯眼を閉じて目配せウィンクをする。

 ライレンのきつく結ばれた口が、人の形に戻っていき、わずかに緩んだ気がした。

 それと同じくして少しずつ車の速度が落ち、やがて道路脇に停まった。


「すまない。めぐみの言う通りだ。冷静さを失えば……ありかを助けるなど出来ないことだった」

 




 *  *





 改めてライレンはシロを含む全員に謝罪した。

 内心の張り詰めていた緊張を緩める。


 良かった。すごい怖かった……! リザードマンを通り越して、竜翼人ドラゴニュートみたいになってたし、怒ったライレンって本当ちびっちゃうくらい恐怖の存在だよ。

 シロも不安そうだったけど、コウちゃんが後部座席で鬼の形相して見てたからな。実はあれも相当恐ろしかった。ライレンが自分の中で気持ちを抑え、立ち直れて何よりだ。マジで。

 

 時間は刻一刻と流れて止まらない。

 ありかちゃんのこともある……すみやかにプランを練らないと。

 できるなら、嘘みたいに上手く行く、そんな妙案がいい。


「現在の紫雲山。どんな状況が考えられる?」

「俺が正面門の外に出てから今まで……天眼は発動していなかった。ありかは、俺たちを追跡することを拒んだのではないか? 少なくとも敵対する意思は無かったはずだ」

「ありかちゃんの眼を……傷つけて、向こうが期待している点はなんだろう……」

「正直、あまり思い浮かばないな。天眼が使えるならそれに越したことはない。間抜けにも俺がカギを引き連れてのこのこ引き返してくると思ってるくらいか……まあ、。誰がやったかはさて置き、いかにも源十郎の考えそうなことだ」


 見る限り平静を装ってはいるけど、ライレンの胸の内はぐつぐつ煮えたぎっている。理性的な表情のすぐ下では、真っ赤にたぎる熱で埋め尽くされていて、何かひとつ間違えば、一気に噴き出てしまいそうだ。


 私も似たようなものかもしれない。

 違いがあるなら、不安の度合いがより大きいっていうのと、もう一つ。


「天眼が誰かのものになり、使われるっていうのは――」

「ない。仮に人から人へ移すにしても、それができるのは白だけだ。確かに思いとどまって考えてみれば、単純に天眼が機能していないこと……俺たちに恩恵が」 


 そう、そこなんだよ。

 時間制限とありかちゃんがどこか探す必要はあるんだけど、難易度がかなり下がった。結局、紫雲山から助け出すって本筋は変わらず、天眼の脅威だけが取り除かれた。

 まるでありかちゃんが

 ……考え過ぎか?


 私は、あの護衛たち10人になら囲まれても立ち回れる気でいる。

 ライレンなら護衛100人は切ってのけるかもしれない。


 ただ、ありかちゃんの天眼は……どれほどの数を揃えようが全く問題にしない力を持っている。危機を事前に察知し、そこへ行き着かせないよう都合よく変えてしまえるんだから。

 ――逃げようと思えば、逃げられたはず。 


 うぅん。これ以上は考えても意味が無いか?

 でも私は考えている。時間は血のように流れ続けているのに。

 頭の中の堂々巡りが繰り返し止まらない。


「ちょっとだけ、外の空気を吸ってくる」

「……あまり遠くへ行くなよ」


 ふらふらと車から出て、ガードレールに体重を預けた。

 心が定まらず、怒りや不安、心配の感情が心の中を行ったり来たりしている。どうしたら静まってくれるんだ? ライレンはよく折り合いを付けられたな。

 

 ありかちゃんは、私たちと戦いたくなかった。

 天眼を使わない、と源十郎たちに直訴したのかしれない。

 我らの眼と鼻にならぬのなら。寝返る気ならば……。

 不意を突かれたというよりも、父親の悪意を知った上で受け入れた?


 真実がどうあっても、いまありかちゃんが誰にも抵抗出来ないのは確かだ。ライレンは言っていなかったが、両目を潰された後、どうなったんだ? 適切な治療は受けられたのか? 暴力にさらされ続けている、もしそんなことになっていれば――

 私自身の抑えも効くか、分からなくなるぞ。


 つい力が入り手が震えた。その手を胸に持って来る。ガードレールにぐっと寄りかかって……真上にある、薄い雲に隠れた太陽に向かって目を閉じた。

 

 無事でいて。ありかちゃん。

 ああ神さま。どうか――

 

 まぶた越しに陽の光は感じず、たいした温もりも得られない。

 ライレンにバカ、と言ってしまったけど、バカは私だ。

 いま、もっともな顔で祈る仕草をしてどうする?

 神さまに願ったって何にもならない。

  

 何にもならないことを、路地裏で殴られ、地面に這わされ、蹴り転がされながら。願いは自分で叶える。そうなるように生きていけばいい。そのための適切な行動と手段を考えろ。ありかちゃんの無事を願うんなら、確かめに行け。

 最悪を招かないために、最善を尽くす。


「……え?」


 なんで太陽がてっぺんにあるんだ? もう正午はとっくに過ぎてるのに。

 そう思った時、日差しが優しく体を包んだ。見れば午後2時過ぎ、その位置に相応しい太陽が雲間から顔を出して照らしている。


 太陽が……二つ?


 ゆらゆらと白いもやをまとう、色褪せた方の太陽を炯眼で睨む。

 ……門が創造され、シロの精神内部で見た遠い遠い宇宙と繋がっている。そこからアメーバのように染み出て、あの毛玉の王が私たちの世界に触れているのだ! 


 赤、青、緑、橙、黄、藍、紫。

 

 魂にはそれぞれ色があり、感情によって色合いは多少変化する。いま上空では無数の色が分かれ、散り、屈折し、混じり合っている。

 舞台照明がいくつも重なって真っ白な光になるようだ。夥しいほどの生命……たくさんの精神を取り込んで均一化しているのが分かる。そう時間をかけずに私たちも吸収され、その輝きの中でひとつになることも。

 見てるだけで魂の奥底に滲み、汚された気にさせる、不快な白い色。



 消えない花火、それか特大のくす玉を割った感じ。

 門にびっしりとまとわりつく白いクモの糸が、地上に降り注いでいた。太陽が地球に根を張るように!

 



「ライレン! 門が空に! ああ、大願が落ちてくる……」 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る