第40話 絶望の急転直下




 どれくらい眠っていただろう。

 正午を過ぎた太陽の位置、少し広がった影の中で息をついた。

 ほんの一瞬。いや、数十分は経っているようにも思える。


 寂れた駐車場にそろりと入り込む足音。

 私たちを刺激しないようにって配慮だきっと。

 でも、漂ってくるにおいで分かっちゃうよ。誰が来たか、魂と……こびり付いた血のにおいで分かる。


 コウちゃんが見張ってくれていたから、安心してうたた寝できた。

 休ませていた意識を覚まし、ゆっくりと目を開ける。


「おかえり。ライレン、シロ……のど乾いたでしょ。なに飲む?」


 思ったよりだな。

 ライレンのスーツやシロが血まみれってくらい、鼻についたけど。

 ……ここにくるまでに警察に厄介になるかなそれじゃ。


「ん、そうだな。その一番でかい水をくれ」


 要望通り、シロの飲み水用に買ったペットボトルを渡す。

 立ち座りしているシロにどばどばと封を切った水を落とした。シロはのどを鳴らして飲み、こぼれる水は薄汚れた白い毛を洗い流しながら地面にしたたっていく。


 ペットボトル底に残った水で口を湿らせ、ライレンがひと息ついた。

 スポドリ系をもう一本飲むか手に取って見せたが、首を振って辞退する。シロはぶるぶる全身を震わせて駐車場広範囲にしぶきを振りまいたが、みんな事前に察知していて誰も濡れてない。

 コウちゃんが駐車場入り口から歩いてきて、シロのしっとりした毛並みを整えるように何度も撫でた。


「向こうの戦力は軒並み削いできたぞ。ハクの身体の慣らしも上々。剥離していた力が完全に使えるようになるには、まだ時間は掛かりそうだが」

「そう。ケガはない?」


 言った後で、思った。

 ライレンに限ってケガや傷の可能性はないんだってことを。つい無意識に心配してしまった。私たちを先に逃がすために残ってくれてたのもあるけど。


「ああ。俺も白もかすり傷一つない。……むしろ紫雲山の方は死人こそ出ていないものの、阿鼻叫喚だろうよ。なにしろ門の外で無傷の奴はいないからな」

「それはちょっとかわいそう……と、いつもなら言いたいけど。コウちゃんをピストルで撃ったし、私たちも死ぬかもしれなかった。向こうも覚悟の上よね」

「カハハっ! 違いない。めぐみのお墨付きがでるなら、俺たちも武を奮った甲斐があるというもの」


 珍しくライレンが楽しげに笑った。

 確かに紫雲山潜入からシロの力を取り戻させ、源処寺脱出までがダントツで難易度が高かったからな。

 残りのプランも油断はできない。ありかちゃん救出大作戦が含まれている。

 ただ、致命的な失敗があったとしても、最悪のパターンである大願成就はもう防いだ。いくら門を生成しようが、カギはこっち私とシロにある。だから多少気が楽なのは事実だ。


「少し休んでから行く?」

「運転に支障はない。荷物をまとめたら乗ってくれ」

「分かった」


 ライレンが白い乗用車セダンに顔を向ける。

 もう大体のものは積んであるから、買ってきた飲み物くらいだ。


「そうだ、めぐみは車運転できるか?」

「できるよ。免許持ってる」

「ならば先に頼めるか? まず銃創の治療に専念したい」


 短大卒業前に教習所通っててよかった。

 コウちゃんも運転できるけど、足のケガが残ってるしね。

 


 コウちゃんに視線を送ると、ひどく心配そうな目をされた。

 旅行先や車二台で私が運転する時、高校生の時の友だちや大学メンツにも、同じ顔される。無事故無違反安全運転セーフティードライブなのになんでだろう?





 *  *





 コウちゃんの治療は順調に進み、わりとすぐライレンと運転を交代した。私は紫雲山からなだらかに迂回して降りる道を、ひたすら走らせただけ。


 しきりにシロが心配そうな鳴き声を出していたので、深刻な傷の状態かと思ったけどホッとした。もう完全に治ったらしい。

 助手席に移動するとき、さすがに疲労の色濃いライレンに『……源処寺の連中が追いかけて来て、カーチェイスの場面になったらまた頼む』と言われた。ライレンが追ってくる車に何か仕掛けるんだろうか? 後部座席でコウちゃんとシロが震えあがっていたが、ちょっと大げさに怯えすぎ。映画じゃあるまいし公道で車の銃撃戦とか考えにくいでしょ。


「傷もそうだけどよ、ウェアの千切れたところまで元通りなんだな」

「衣服はいわば繊維、決まった形がある。穴を埋めるのは容易い。もっともそっちは最低限、突貫工事もいいとこだ。指でつつけばまた開くぞ」

「へえ……ええと、マジに人間離れしてんだなその力は」


 運転しながら、ライレンは笑った。

 コウちゃんにではなくちらっと助手席の私を見て。

 なんだよ? キモいぞライレン。


「歯切れが悪いな? ハッキリ言えばいい。だと」

「助けになってんのに、言えるワケねえよ。それに、その、シロがふしぎな瞳の力を預けてくれたんだろ?」

「そうだ。もともとハクの種族が持つ能力を、人間が簡易に扱えるよう御膳立てした術体系。瞳を介して作用する……呪いのようなものだな。精神や肉体を操ったり切り離したり、自らの意識を他へ投影したり。白い毛玉の支配者も同じ術を使える。コピーしたか、あるいは白達へ授けたものかは定かではないが――めぐみ。さっき撃たれた瞬間、似た痛みが足に走っただろう?」

「うん。あれって何? ありかちゃんの予知みたいなもの?」

「少し違う。精神を繋いだ者同士が心から信頼し合っている時……強い感情や痛みを分かち合える。共有、共感覚というものだ。どんなに離れていても、虫の知らせのように安否がわかる。お前たちほど息の合った連れあいも珍しいが」


 逆に言えば私が何かしらの傷を負うと、コウちゃんに伝わっちゃう訳か。んん、一長一短だな。気を取られてせっかくの機会を無くしたり、コウちゃんが選んだ決断を撤回してしまったりするかも。


 何より……みぃちゃんが聞いたら怒りそうな話だ。

 信頼の赤い糸で結ばれた二人、なんて表現は誤解を招きかねないぞ。


「それはそうとライレン。この後のプランに変更ない? いまはできるだけ距離をとり時間を稼ぐって段階……で合ってる?」

「そうだ。ありかの天眼は千里眼といっていい。索敵の範囲が俺たちとは段違いだ。まずは捕捉されても向こうの戦力にかち合わん距離で逃げる。そして白の力が完全に戻り次第、紫雲山へと踵を返し……ありかを連れ去る」


 この会話もマズいんだけど。

 私とライレン二人を出し抜くのは無理だ。覗こうとする気配は前もって察知出来る。あの頭上から見つめられるような感覚はまだない。


 俯瞰であらゆるものを捉えて確認できるということは、紫雲山の人員を最大限活用できるってことだ。配置や連携のミスがない。まともに相手をすればチェスや将棋のように、みるみる追い立てられて詰む。向こうの不安要素は排除され、こちらのミスがいつ起こるのかすら見通せるのだから――


「天眼の目と鼻の良さを逆手にとるのよね? 私の部屋に忍び込んだ時みたく」

「魂のにおいを消してな。俺の力ならばそれが可能だ。紫雲山にとっては慮外の一手になる」

「分かったわ。しばらくドライブが続くなら、聞かせてくれない? なんでありかちゃんを助けたいのか。その馴れ初めもばっちりと」

「隣ではしゃぐな。まだ全快ではないだろう? 少し休め」

「平気よ。作戦遂行のため、戦力の士気向上を図る……部隊の原則ではありませんか隊長ライレン殿? まあ本当の理由は、ありかちゃんを助ける気持ちを強くしたい、ってことなんだけど」


 そんな浮いた話でもないが、とライレンは呆れたような顔をして、ルームミラー越しにシロを見た。どんなアイコンタクトがあったのか分からない。でもややあって結ばれた口が開く。


「天内家は……遠い遠い親戚みたいなものでな。俺は白とともに門の生成する兆候を観測し、事前に把握する役目を担っていた。ありかは代々、白の預けたカギを保管し、俺たちに門を開くか閉じるか判断を仰ぐ……そんな関係だった。もっとも、長い月日がそういった伝承や役目を忘れさせ、天内家ではすでに廃れていたよ」

「ひと昔まえの分家と本家、みたいな感じ?」

「そうだな。どちらかと言うと俺たちが分家筋になる。ありかたち家族の行く末を陰で見守りながら、俺はそれでいいと考えていた。白の宝珠カギさえ持ち出されず、寺のどこか片隅に仕舞われていれば。だが――」


 突然、車が蛇行した。

 私の運転が荒っぽいと感じるくらい、走り出しや右左折がなめらかだったのに。歩道に乗り上げようかというギリギリの所で車は急停止した。見るとライレンがハンドルに突っ伏して、自らの顔を手で押さえている。


 歯は食いしばられ、何かを堪えているようだった。

 針を植えた敷物の上だって平然と歩きそうな彼が、いま心の内で耐え難い何かに苛まれ、苦しんでいた。


「ライレンっ!? 大丈夫?」

「なんてことを……クソっ! クソがぁああ!」




 激情に駆られ、自らを律していた鎖を砕き、

 彼は唸り声をあげて吠え続ける。

 



「ありかの両目が――えぐり取られた」



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