第37話 藍:鳥かごの中で俯けば




 やった……やった! やっぱりコウちゃんはすごい。

 サッカーやフットサルのボールじゃないのに、あれだけ正確にパスしてくれた。私ならあさっての方向に蹴り込んでいたかもしれない。

 動きの中でならともかく、フリーキックに向いてないんだよね私は。止まったボールを蹴ろうとすると変に緊張しちゃう。プレッシャーに弱いからさコウちゃんと違って。


 私が抱える非日常から遠ざけて来たけど、やっぱり近くにいてくれるだけで安心感が半端ない。何でも頑張れるって気持ちになる。


 高校のフットサル大会、逆転優勝した瞬間を憶えてるかな?


 コウちゃんみぃちゃん以外、みんな初心者だったんだよ? 放課後の練習だけであれだけの勝負ができたのは……コウちゃんが私たちに頑張る方法を教えてくれたからだ。

 それは何もサッカーの技術だけじゃなくて。どんな結果に終わっても――やるだけやった、とみんなで笑い合える


 自分の頑張りを疑いそうになる時、いつもあの場面を思い出す。

 あの練習があるから、ギリギリでゴールに届いた。みんなで笑い合った場面があるから、いつだってそれを目指す。そうなるように信じて頑張ろうって思える。

 だから私は……コウちゃんが好きなんだよ。

 

 ライレンにうまく宝珠を繋げられてよかった。

 あとは……逃げるだけだ。


 また私やおっきくなったシロ。鍵の力を取り戻そうとしてくるに違いない。

 今は少しでも速くここから離れることを考える!


 幸い、本堂の信者たちは入り乱れて騒然としている。

 ライレンが大見得を切り、シロが皮を脱ぐようにオオカミへと変貌した光景は、この世の理から外れている。パニックになるのも無理はない。

 あとは避難しようとする客に混じって本堂を抜け源処寺を出る。


「わゔぅ! わおおぉん!」

「うん、行こうシロ!」


 シロが私の腰まで巻き付くようにすり寄ってきた。

 オオカミでもこんな大きくならないだろう。アニメかおとぎ話に出てきそうな風格がある。私を守ろうとしてくれてるのかな?

 ライレンが先行して立ちはだかる人の露払いをする……予定だったけど、誰も邪魔してこない。いくら護衛たちがスタンガンや武器を持ってても絶対に勝てないのが分かるみたい。まあ、紫雲山の者ならライレンの強さを嫌ってくらい知ってるか。


 あっさりと本堂を出れた。あとは源処寺の正面門をくぐるだけ。

 いまさら何人かが集まり、通せんぼをしようとしてるけど……無理だね。ライレンには束になったって勝てないと思う。私だったら正面門の扉を閉めるかな? それももう手遅れだ。間に合いそうにない。さすがに門を閉められて、コウちゃんが本堂奥に陽動した主力の護衛たちに囲まれればヤバいからさ。


 炯眼の意識を後ろに広げる。

 コウちゃんは……浮足立っている信者たちの間を縫うようにして、上手く護衛たちを散り散りにかく乱していた。あれだけ人が入り乱れていれば、銃型スタンガンや、たとえピストルを持ってたって撃てないし狙えない。

 いけるぞ。ならあとは、作戦通りに――


 私の足元に、青い鎖がいくつも走った。

 細い組紐くみひも状の鎖が石畳を縫って、広がっていく。もちろん普通の人には見えない。私やライレン、それとコウちゃんがにおいで分かるくらい。

 同時に鈴を転がすような、澄んだ声を炯眼が察知する。


「くるっ、くるるるぅるるるる」


 ヤバい。か?

 あと少しだったのに!





   ҉     ҉





 本堂へと振り向くと、青い鎖がクモの巣のようにびっしり張っていた。

 私を含めた全員がこの青網に触れている……ライレンの法眼に似てるけど、範囲がケタ違いにでかい!


 その中央に彼女はいた。


 一瞬、天使が舞い降りたのかと錯覚を起こす。

 学校の制服、その半袖の夏服にぎゅうぎゅうに押し込まれた、青い翼。小さな羽根と羽毛をまとい、目を奪われるような美しい有翼人ハーピィの姿。


《いいかめぐみ。青い鎖が周囲に張り巡らされたら、作戦で言えばもう失敗寸前だ。何故ならありかの目は――俺たちとはまた別次元。そこそこ支配者白い毛玉の王の領域に踏み込んでいるからな》


 青網が血液を通すみたいにどくどく脈動し、さーっと本堂へと引いていく……大波が来る直前の砂浜のように!

 彼女の足からスカート、身体中を這いずり、羽毛を引き剥がしながら鎖が登りつめる。涙の乾いた跡に沿って長いまつ毛のすき間へと、際限なく吸い込まれていった。  


 目を閉じてうつむいた顔は、いつもの表情に戻っていた。溢れんばかりの可憐さに、どこか影を感じる雰囲気。何かにずっと耐えているような。

 青い鳥が鎖を外そうと、もがき羽ばたく――そんなイメージが湧いた。


「……静まりなさい」


 しん、と水を打ったように音が止んだ。

 本来なら耳に届くはずのない小さな呟きだけで、あれだけ騒いでいた本堂も外も……誰一人として動かない。

 

 同時にすべての目がこちらを向く。

 信者たちも、護衛も、金久保もだ。数百単位の視線が炯眼で分かる。シロに出会う前の心が壊れていた時、こんな大人数に見られていたら卒倒してただろう。 


 昔見た絵本。赤い魚たちが集まって大きな魚のふりをして泳ぎ、敵を追い出した文章と絵を思い出す。そうなると、目になって扇動した黒い魚が彼女で、追い出されるのは私ってことになる。追い出されるだけならいいが、虚ろなものたちの表情を察するに、


 彼女がゆっくりと目を開けるのを、私は見た。

 鋭さのない弱々しい青瞳せいどう。それなのに虹彩は底深く、鷹の目を思わせる。

 瞳はただ青く輝き、ひそやかに燃えていた。




「ありかちゃん……」

「くるるるぅ。私の天眼てんがんは、すでに未来を捉えました。逃げられないということは決定しています……めぐみ様。前にも同じことを言いましたよね? ?」




 その瞳が、私と交わることはなかった。

 あらゆる重力に屈し、打ちひしがれたように地の底を這っている。



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