第26話 どんな時も、市民の味方




 ドアの向こうでは警察手帳を見せてくれているのだろう。

 たぶん、そんな動作だ。


 垂れ耳犬のキャラクターの白いパーカーを羽織る。

 ……中に入れるならもう一枚、上に着ないと、同性でもラフ過ぎるし。


「ええと、お話はどれくらいかかりますか?」

「そうですね……長くても10分ほどで終わると思います」

「分かりました。いま開けます」


 カギを開けて、武市たけちさんを招き入れる。

 ……婦警さんの恰好じゃない。スーツ……刑事?


 意志の強そうな目。きっちり仕事ができますって雰囲気バリバリなのに、どこか愛嬌というか適当な感じがする。前下がりのショートヘア、を手櫛てぐしでかきあげたような髪型がそう思わせるのかもしれない。

 やっぱり見覚えはないな。会ってたら印象に残る顔立ちなんだけど。


「すみません上がらせてもらって……ああ、お茶ですよね? おかまいなく。話が終わり次第、すぐに退散しますので」

「そうですか? どうぞ、座ってください」


 テーブルの前に武市さんを案内する。

 キョロキョロと分かりやすく辺りを見回す感じ。

 寝ているシロを一目見て、表情が一瞬和らぐ雰囲気の良さ。


 絶対いいひとだ武市さん。


 こういう人、私ぜったい忘れないのにな。

 どこで会っていたっけ……んん?


「あっ」

「何か?」

「いえ、あの……お話、聞かせてください」


 顔は見憶えないけど……思い出した。

 正面に座って、より存在感の増す武市さんのお胸バスト


 そうだ、二週間前。

 あの事件のことを警察署で聞かれてた時、武市さんとこんな風に座って話をしてたんだ。何かしゃべってて、受け答えに首を振りながら、この婦警さんぼんやり考えてたんだっけ。

 ぼーっとしてたというか、冷静な思考でいられなかったというか。ひどい状態だったけど、擁護しようもなく失礼な雑念だった。今も。


「でっか……」

「でか?」

「いい、ちちが、あのえっと、で……刑事デカのスーツなんですねえ! 以前は婦警さんの恰好でしたので!」

「はい。……憶えていてくれてたんですか。今日は管轄が違うんですよ」

「あの時は助かりました。同性の武市さんだったから、まだまともに話が出来たんだと思います。ありがとうございました」


 武市さんが優しく微笑む。2、3こ年上かな?

 背も高い。

 さっき並んだ感じだと10㎝くらい差があったから……165ちょっと?

 私もこれくらいあれば、コウちゃんと胸張って歩けるのにな。いくら背伸びやヒール履いたって限界がある。


「いえ……でも安心しました。ウチの署で話していた折原さんを知っていますから、もしかして会話や顔を合わせたりが出来ないんじゃないかって心配だったんです。ああ、記憶が飛んだり、時間の感覚がおかしくなる、なんてことはありませんでしたか?」

「そうですね……数日の間はけっこう辛かったです。何かやろう、と思い立っても身体が動かなかったり、ふと気がついたら深夜や朝だったりで」


 あと、昨日。

 剥離していた私たちを接着したとき、無意識にコウちゃんを家に連れ込んでケガの手当していたっけ。あれは私が予めそうするようにインプットしたんだが……まぁ武市さんには言えないな。


「すみません。失礼な詮索でしたね。どう克服されたか、つい気になって」

「あはは、その、一人じゃ絶対ここまで立ち直れませんでした。信頼できる友人のおかげです」

「本当に良かった……さて、本題に入りましょう。可能ならその辺の進展をお伝えしたかったのですが。今回は別件でして」


 あれ。

 てっきり私をボッコボコにした人がどうなるのか、言いに来たと思ってたけど。違うらしい。

 武市さんの表情が真剣になり、私を面と向かって見据える。


「昨日の夜。ここの近くで殺人事件がありました……犯人はまだ捕まっていません」

「そ、そうなんですか」

「折原さんなら用心なさっていると思いますが、不要の外出は控えてくださいね。何かと物騒な状況です。夜道も出歩かないように」

「……わかりました」


 その犯人知ってます! ライレンって呼ばれてました。

 でも話したら、私が事件に関わっていたことも説明しなくちゃいけない。あの三人が死んだ原因は私にあるし、間接的に殺害に関与していたって見なされてしまうかも。

 炯眼は、周囲の警戒に割いた方がいいか。武市さんのいる間に、周りをライレンや腕利きに囲まれたら……この人も危ない。


 武市さんは無言で私の意志を確認してる。

 昨日の事件を伝えるっていうのはついでで、私の様子を見に来てくれたってことかな? いい人だ。においがそう言ってる。


 私を真剣に心配しているにおい。


 何となく覚えてる。警察署で親身になってくれた……武市さんのことを。

 肉体の部分的にしか先に思い出せなくて、申し訳ありませんでしたホント。


「話は以上です――ここからは管轄外の案件になるっスよ」

「んん? 喋り方、が……」


 何だかフランクになってる、と頭によぎる間。

 武市さんは窮屈そうな胸ポケット内側から、ジッパー付きのビニール袋を出した。それを見せびらかすように目の前で揺らす。


 半分に切られ、血が付着した――私のリボンシュシュ。


「……っ」

「視線の動きと表情。そしてとっさに反応した手は、首横のゴム留めに向かった。昨日、そこに付けたってことっスか?」


 もう片方の手が、滑るようにして私の左腕を掴むと――。

 私の頭はがくりと落ち、テーブルにほほを押し付ける形になる。


 腕も頭も、動かない。自然にそうなって、力を入れられないという表現が近い。

 こんな……痛みとかじゃなく、掴まれてひねりあげられているだけで!

 背中に武市さんの息がかかる。


「髪質も色も一致。わずかに切られた痕跡もある……ん、右肩に深い切創? さすがに無傷とはいかなかったんスね? ただなによりも……」

「……」

「動揺しましたよね。これを見て。そして……血が付いているのも切れてるのも、はっきりと自覚している。つまり


 け、炯眼が届かない。顔を後ろに向けられれば、すぐなのに!




 武市さんのにおいが変わり、混じっていくのは分かる。

 優しさが薄れ――なんだろう。仕事モードバリバリって感じのにおいがする!





折原恵オリハラメグミさん。あなたは悪くない。格闘の素人だ。それもケンカもしたことないってレベルの。昨日の殺人事件の犯人とは明らかに別です。あんな真似が出来るのは剣道や武道に長けた達人くらいなので。ただね……バケモノに人権は無いっスよ?」



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