第23話 棄望と楽園




『……』

『頼むから……落ち着いて聞いてくれよ? 門とはシロだった。精神の海、その奥底とこの星は繋がっていただろう? そして白い霧のような境目をすり抜けるのは、私とシロの赤い力だ。それが鍵。現在はキミに預けているようだがね』


 私のどこかが……ぱきりと割れた。

 ぜんぜん痛くないし、怖ろしさもない。

 ただ魂が悲痛な叫び声を上げているのを感じる。


『ああ、ダメか。せっかくの呪いが一枚剥がれた』

『そ、なに……こ、は……?』

『無理にしゃべらなくていい。なら効力のあるうちに、ショッキングなことは洗いざらい話しておこう――シロの描いたすじ書きはこうだ。盗人が叡智をかすめとるため門をくぐろうとしている。力を放棄し、自ら弱り、命が果てれば門も鍵も消えて無くなる……ひどい責任の取り方だ。クソまじめな私らしいねー。で、そこまでは想定通りだった。しかしキミがここに来たことによって、新たな門が開いてしまったわけだ。それも渡した鍵と一緒に』


 シロを疑ったせい? 

 私が、ここに来なければ大願は未然に防げていたのか? ライレンが来る前に、シロが姿を消したなら……誰にも見つからなかっただろう。そうしてひっそりと消えることで、私の炯眼も消えて――日常は戻っていた?


『私はこう思っているよ。キミをここで処理してしまえば、門も鍵も消滅する。じきシロも死ぬだろう。《大願》は永遠に叶う機会を失い、万事解決だ……』

『そ……あが、シロ、を?』


それを、シロは望んでいたのか?


『でも実行しない。なぜなら、それが最善であればシロが事前にキミを止めたはずだからだ』

『……なんで私を……?』

『キミをここまで通した理由、意味も察した。シロは――全てを救いたかったらしい。ある意味もう一つの、彼女なりの《大願》だなあ。だがそれは叶わない。混じったものは戻らないのだ。覆水盆に返らず、ってね』


 頭部のひげ根がざわめき、ホースのような首もふにゃんと戻る。

 話を尽くして切り替えるような、我が子を叱ったあとの親心みたいに。

 

『さあ、帰るといい。……目を凝らして見るだけだ。それだけで戻れる』

『……炯眼を強めればいいのね?』

『足りないぞ、もっとだ! 赤い力を全て燃やし尽くせ。私の小細工が一つ壊れた分、帰り道に余裕はないぞ。……キミはこの星に来た時、言っていたね? ここは天国か楽園だって』

『ええそうね』

『天国の反対は地獄。なら、楽園の反対はなんだと思う?』

『……うぅん? 失楽しつらくえ――ええと、苦しい世界?』

『私は《望まれない世界》だと思う。《誰一人として望まなかったのに実現してしまった世界》。キミの心を軽くする情報は何も伝えられなかったけど……これだけは忘れないでよ? の望み、希望は――キミなんだからさ』


 炯眼の力が限りなく燃え上がり、シロの精神がはっきりと見え始めた。

 私に謝罪? の気持ちを持ち、応援してくれている。

 心から大願を止められるよう祈り、剥離したシロに対して……生きていて欲しいと思っている。やっぱりいい奴じゃん。


『……さようなら。シロ』

『うん、さようなら。重要なのは《大願》が何かではなく、どうすれば阻止できるのかを考え続けることだよ。青い星の……私よろしく』


 ラッパの管がくるりとねじれ、ハサミを器用に開閉しふりふりと振る。

 名残惜しい気持ちを秘めているのが読み取れた。


 ……んん? 帰れないぞ。

 炯眼の力は限界ギリギリまで灼きついている。たぶん何か、見えないものが見えるはずだ。脱出の糸口みたいなものが。


 あらゆる棚も壁もすり抜けて、正確な魂の位置と姿を捕らえる。

 この区画から図書館。図書館から街へと――


『あれ……?』


 自分の意志で浮かびあがり、建物の天井をすり抜ける。

 じっと炯眼を燃やし、地上の魂たちを見下ろした。

 

 爛々と光る眼。ささくれ立つ緑の肌と顔。骨張った手。割れたひづめ。私が昨日遭遇した動く死体のような、人の形をした化け物が……止まらず動いている。

 この大地の日常。緑の男たち以外にもシロと同じ種族や、大きなゴリラみたいな獣も大勢確認できた。


 上空から、黒い雨が降って来る。

 それは槍に似ていた。槍が地表に突き刺さるまえに、ビロードような黒い翼が弾け――次々に姿を現す。


 一言でいえば、それは悪魔だった。

 緑男が私と同じくらいの身長なら、悪魔はその二回りは大きい。

 ねじれた山羊の角。それ以外顔になにもない。黒の肌は手足の先までなめらかで、無駄のないしなやかさを持っている。

 しっぽが……もう他に言いようが無いってくらい、悪魔のしっぽだ。私の世間一般の悪魔は、目の前のこいつをモチーフにしたと考える方が自然なくらい似てる。


 近くにいる緑男たちを割れた爪で引っ掴み、勢いよく飛び去る。

 男たちは間隔を開けて集まり、身を任せるように抱き着かれ、空へ連れていかれた。


 それを追うように天を仰ぐ。

 空を泳ぐクジラ。その大きさを誇示するように伸ばされた首は冷たい色の鉱石がびっしりと頭から全身にかけて張り付き、たて髪のように刺々しく固まっている。太く長い尾まで翼の被膜が続き、身体全体をゆらし悠然と泳ぐように悪魔たちの参列へ飛来し、すれ違う。


 何てことのない、だ。そうシロも言っていた。

 


『……繋げ。炯眼……彼らを白日のもとへ晒せ!』







  ҉     ҉







 細く伸びて、風が吹けば飛んで行ってしまいそうな、

 視界に映るすべての魂に、その白い糸が紐づけされている。

 ……精神に絡みつき、ぐるぐる巻きにされているのが分かった。


 さらに上空。

 分厚い雲へと束ねられ、糸は連なっていく。

 この星の生命の営みは……完全に管理コントロールされている。

 私の炯眼と同じ繋げる力によって、統率されてるんだ。

 蝶の羽ばたきから――吹き荒れる嵐まで!


 炯眼の力を残らず使い、魂を赤く染め上げて燃焼させる。

 シロの言っていた支配者。その絶対的な力……すべての希望を手から零させ、棄てさせた上で統率している――箱庭としての幸福がそこにあった。


 《誰も望まなかったのに実現してしまった世界》


 緑の星を抜け、星々を渡り、薄色の太陽を横目に白い銀河を見る。

 銀河は絶えず揺れるように波打ち、ただただ渦を巻いて漂う。端に切れ目はない。そこからはクモの糸のようなもやが伸びて――混線した糸電話か、脳細胞に張り巡らされた神経回路みたいに……すべての星々、太陽までも、残さず繋がっている!


 宇宙全体が一つの頭脳として命令を伝達し合っていた。星の数、そして星に生きるものの魂は染まり、意志や願いは書き換えられる。そこにあるのは、支配者の願いだけ。

 何もかもを埋め尽くし、自らが宇宙であるかのように振舞い、目的を与え生命の歴史を堆積させ続けようと望む――超理性の霧。


『分かる……これが大願。ライレンたちの、起こそうとしているもの……!』

 

 宇宙と銀河が複雑に混じり、もう元に戻せない一面の灰色を、私に見せていた。

 私の炯眼と同じ、繋げて操る力。向こうが果てない大海だとしたら、私はそこに振り絞った血の一滴ってくらい……けたが違う。


 そして超越した大は、小を兼ねたりしない。ただのみ込むだけだ。思念の糸が織り成す、際限なく広がる銀河。抵抗も逃げることも出来ずに……いや、どこにも逃げる場所なんてない。

 

 そうして因果はぐるぐると巡り、かき回され続ける。

 星も命も、昨日も今日も――これからも。

 さっきまで見ていたシロたちに起きていたことは、大願と言う近い現実に降りかかる運命。今の私のように、ただ泡つぶが……はじけて海へと混じるだけの。

 

 星の海。その白い渦状銀河の中心に、輝く光が見えた。

 万華鏡のように絶えず形や大きさを変える虹色の……輝く丸い珠が連なり、互いに収縮を繰り返していた。 




 私は理解する。




 それらはすべて統率された精神であり、一つ一つ色を帯びた目であることを。

 気の遠くなるくらい累積された光が、私にぶつかって――

 恐怖も、意志も、魂も……すべて残らず、洗い流していく。



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