第12話 NGC224




 吐く息は白い。

 静かだ。でも寒くはない。


 家やコンビニからどんどん離れ、人通りの少ない路地をで歩いていく。

 私の知る限り、ここらへんじゃ一番さびれた地域だ。

 空を見上げて、目をつむる。


 きれいなが見える。色をつけたって星々の美しさは少しも変わらない。

 コウちゃんのにおいが、自宅の方向へ薄く伸びている。

 たとえ目隠ししてたって、辿ることができるだろう。


 そして、もう一つ。

 こちらに近付いてくるにおいがある。かたまって、4人分。

 覚悟。使命感。敵意。緊張。そんなものがまぜこぜになったにおい。

 明らかに、私の瞳……この焦げた臭いを追ってきている。

 方角、その足取りから、私だけを標的にしている感じだ。


 シロのにおいは分からない。さっき起きた時から、今も。

 きっと向こうも、把握できないんだと思う。つまり、いま追いかけて来ている4人は私が家から離れちゃえば、そっちに向かうことはない。


 コウちゃんに嘘をつき、女の子の尊厳を損なってまでここに来たんだ。そうでなきゃ割に合わない。だからいいんだこれで。

 あとはどうするかだ。深く知る必要がある。


 ――すぅ、はぁ。――すぅ、はぁ。


 吐く息は白い。

 もっと細かく探れ。もっと深く。

 向かってくるにおいを手繰り寄せ、選り分け、より鮮明に。

 その意志。その位置。速度、方向。


 ここからでも分かるくらい……掴み取って、繋がるように!







  ҉     ҉







「目標はいま、おおよそどの位置でしょうか?」

「そう遠くない。向こうの出方次第では数分で遭遇するかもしれん」


 若々しい精神の揺らめきの一つが、敬意を込めて問いかける。

 答えたのは……小さな、赤ちゃんのような魂。あるいは、いまにも消えかけそうなロウソクの火。


「ならばケイの眼を確認次第、ハク様ともども確保、ということですか」

「ああそうなるな。全てのことがうまく運ぶなら」

「万全を期するため、応援要請します?」


 若い精神は3つ。

 少し先を行くちっぽけな魂に足並みを揃えて、ひと固まりに動いている。


「あと腐れはない方がいい。ここでケリをつける……ん? 震えてるようだが?」

「そりゃあそうですよ。白様はともかく、炯持ちと敵対するのは初めてですし」

「俺たちがヘマすりゃあ、今までの準備がパァですからね」

「言いたかないですが白様には困ったもんですよ」


 緊張したにおいがする。落ち着かないにおいも。

 必死でそれをごまかそうと軽口をたたいているようだ。


「お前ら、力抜け……とは言えないか。こうやって出張るのも、お前らがずっと幼い時以来だし無理もない」

「その為の訓練はしています。なんなりとお使いください」

「我ながら、嫌な役目を回したものだ……そうだな」


 ぴたりと、小さな魂が立ち止まった。

 何かしてる……片手を見つめている?


「お前らは赤ん坊を抱いたことあるか? 産まれて間もない頃の……ああ別に子猫とか鳥のヒナとかでもいいんだが。それが己の手のひらに乗っかってるとしてだ。それを、ゆっくりと締め上げて握りつぶせるか?」

「……ライレン様がそう命じるなら」

「大願のためならば、喜んで」


 小さな火はゆらゆら揺れる。

 笑っているのか、そうでなければ恐怖に震えている。


「喜ばれても困るな……だがまあそうか」


 握りこぶしを開いてみせる。手のひらから、何かが溢れ出ていた。

 詰まった噴水のように、ごぽりごぽりと粘つく何かが、まとわりついている。


「向こうが、こちらを始末しようとする気でいるなら問題なく勝てる」

「我ら同腹一心どうふくいっしん。ライレン様となら、勝てぬ敵などいません」

「終わったら、豪華なメシでもおごってくださいよ?」

「ああ。もちろんだ……ラーメンたらふく喰わせてやる」

「……メガ山盛りのあの店ですか……うは、胃がもたれそう」


 若い魂たちは、いつのまにか揺るぎない決意で固まっている。

 格闘技やスポーツの試合前だとしたら、理想に近い精神状態だ。


「敵なら勝てるだろう。だが、無害で、無力にうち震えて、こちらに弱々しい瞳を向けるようなわらべであるなら……難儀だぞ」


 小さな火が、泥のような粘つきに包まれる。

 みるみる融けていき、ひとまとめの炎となって勢いよく燃え上がった。

 火花が散るように膨らんでは爆ぜて光の瞬きを繰りかえす。


 鮮やかなを帯びて、においの灯火は夜空へと伸びていく。

 ――私のにおいを絡めとるように。


「聞け! 白を……犬を引き連れ一切の抵抗をしないなら、身の安全は俺が請け合う。だが邪魔になると判断した場合――地の果てまで追い詰めてでも殺す」







  ҉     ҉







 見られている。向こうもそう感じてるだろう。届かないはずの視線を。

 混じりっけなしの決意をぶつけられて、軽くふらつく。

 ――繋がったままだと、それだけで精神への影響が大きい。


「あはは……」


 本当は知ってた。

 いくら私を取り戻しても、もう元通りにならないってことは。

 分かっててそれを……受け入れるのが嫌なだけ。


 終わりなんだ。

 いつもの朝も。子どもたちと過ごした日々も。友達と会うのも。

 私とって恵まれ過ぎたその輝きを……

 どうしたって取り戻すことはできない。


「ははは……うぅ……」


 ならせめて、私の日常にあった大切なものは守る。

 私から遠ざけたもの。コウちゃんやシロとか他にもいろいろ。

 それはすでに私と混ざってはいけないものだ。


 涙があふれていく。まぶたの裏に焼き付いた、きれいな気持ちや思い出が浮かべば浮かぶほど、泣けてくる。でもさっきのコウちゃんとのやりとりで最後になった。だから混ざっちゃいけない。見えるけどその輝きに届いちゃいけない。私とお前らはここでおしまいなんだ。




「あ、あ、あ、ア、ア――」




 眼を閉じたまま、見えるものは残らず赤になる。

 吐く息もただようにおいも、私の魂も……

 灼けただれ形を変えていった。



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