第11話 二十三夜




「嬉しそうだね。良いことあったの?」

「……」


「無視すんなよ。お前だよ! お前」

「えっ……私ですか?」

「ちょっとこっちこいよ」

「いやっあの、離してください」


「いいから、こい。話すだけだよ」

「やめて、いや……誰か」

「なめてんのか? 殺すぞ」


「いたっ……痛いです」

「お前面白いな。わかるから俺には」

「わ、分からないです……やめて」

「おい、わかんだろ!? なあ!?」

「……」




「もっとこっちだよ! へへ……そうそう」

「……」

「俺も嬉しくなっちゃうよ。同じ気持ちだね」

「……」




「なんだぁ? 下向いて……そんなに見たいの?」

「……」

「見たいなら仕方ないよね? 合意だよね俺たち」

「……ろ」

「ああ? 何か言ったか! 聞こえね――」

「あ……す? きごがれぇずお」




「自分の身体、ぜんぶ噛み千切って?」

「あぶぶあぁぐ? あぎ」

「まずは――そこの、噛み切り易そうなところから」













「うあッ……あ!?」


 自分の声で目が覚める。

 手をついた枕の感触と見慣れたベッドで、自分の家だとすぐ分かった。


 状況がすぐに掴めてホッとする。

 嫌な夢を見た後は、それが夢だとはやく分かった方がいい。

 


 汗をかいてる。

 あの時の痛みと怖さ、何も出来なかった無力さを思い出したから。

 ……実際は警察の人がくるまでボッコボコに殴られてたけどね。

 あんな都合のいい瞳なんてあるわけ――


「ん、起きて平気なのか?」


 隣のソファーに寄りかかるようにしていた、コウちゃんが声をかけてくる。

 コウちゃんも休んでたのかな? 寝起きの声だ。

 口とほほの辺りに傷があり、大きめの絆創膏がそれを強調していた。


「コウちゃん、ケガ……!」

「ああ、メグが手当てしてくれたんだろ?」


 私が……?

 散らかしたままの救急箱周りのゴミやハサミが、それを物語っている。

 記憶を辿ると、確かにここまでコウちゃんを運び、治療をして……そのままベッドに倒れ込んだらしい。思い出せるのに、どこか他人事のようで気持ちが悪い。そう、そばに立つ私が勝手に動いたみたいな――


 辺りを見回す。

 もう一人の……剥離していた私は、どこにもいなかった。

 シロが寝そべってこちらの様子を伺っているが、元気がないように感じる。


「メグ。ありがとう……助けてくれて」


 ベッドの手前で、コウちゃんが頭を下げた。

 一段上にいる自分には大げさなくらいに見える。


「いっいいよ。その、そんなお礼言われるほどじゃ……」

「よく覚えちゃいないが、メグが俺のために何かしてくれてたのは分かる」

「ちょっ、ほんとやめて……」


 高校の時からそうなんだけど、コウちゃんの感謝は恥ずかしくなる。

 何に対しても真心込め過ぎなんだよ。良い所なんだけどさ。

 なんていうか、私のしたことに対して釣り合ってないなーっていつも思う。


 言わないけどね。言うと怒るから。

 だからさっさと降参して、感謝を受け取る。


「ど、どういたしまして! あの……髪なおしてくるねっ」


 逃げ込むように洗面所のドアを閉めた。

 冷静になって考えてみたら、寝て起きたまんまで話してたじゃん。

 顔が赤くなっていくのが分かる。ああーヤバいな恥ずかしい!

 

 乱れた髪をささっと整え、軽く押さえる。

 そのあいだ鏡に映る自分の姿を、まじまじと見つめた。


 ……肌が荒れてない。健康そのものだ。昨日今日と深く眠れたからかな?

 疲れも淀みもぜんぶブッ飛んで気分がだ。

 年明けにリフレッシュした万全の体調で、保育園のエプロン結んだ時みたいに。


 それに私の心が。

 心が……顔をみても大丈夫って言ってくれてる。

 もう大丈夫だって。私に言ってるんだ!


 眼の充血や目元のケガ、アザやくまなんかも薄れてる。

 これメイクしたら私でも分からないぞ?

 明日にでも職場復帰できそうな感じ。

 歌い踊り出したい衝動に駆られるが、コウちゃんいるし止めとこう。







 *  *







「あ、コウちゃん! いま何時!?」

「夜10時過ぎだな。メグは6時間くらい寝てたんじゃないか?」


 髪の毛をとかし、首横のリボンシュシュを振るように確かめて部屋に戻る。

 遅い時間だ。職場への連絡はまた明日にしよう。

 勤務のこともで決めないとだけど。


 コウちゃんを見ると、シロの背中を撫でていた。

 手持無沙汰っていうよりも、真剣に触って具合を診ているようだ。


「シロ、どうかしたの? 元気ないみたいだけど、病気?」

「分からん。走ったりは出来てたから、骨の異常や傷とかじゃないとは思うが……なにしろ素人の見立てだからなあ。環境が数日で変化したから、ストレスとかが一番近い気がする」


 確かにじっとしてる様子が、普通の状態とは言えない感じ。置いてあるごはんにも水にも口をつけてない。シロは何かにじっと耐えている……どこか痛いのかな。

 家で犬を飼ってるコウちゃんがお手上げなんだ。もちろん私に分かるわけがない。


「明日にでも動物病院行った方がいいかも知れん。夜も遅いし俺は帰るけど、明日一緒に行くか? いま大学は必修以外スカスカだし」

「そうなの? えぇと……」


 うーん、どうしようか。

 いまの精神状態なら、コウちゃんがいなくてもシロを連れて行けそうだ。

 どこか近場の動物病院だけ紹介だけしてもらうか?


「まだシロがここにいる理由。俺たちに起きたことも、分からないままだ。メグも知らないだろ? あいつらが急に……手のひら返して襲ってきた意味を。シロに何かが、たとえば金が動いたり、誰かの急所になり得るモンがあるのか? 犬の身代金なんて聞いたことないが……」


 んん?

 私の中で、誰かが叫んでいる。

 とても辛くて重い始まりを、告げるみたいに。

 ――あ、来る。来ちゃう。


「ああっ!?」

「ど、どうした? メグ?」

「買い物行かなきゃ! コウちゃんはここにいて」

「いやなんでだよ。俺も行く」


 夜遅い時間だしねコウちゃんはそう言うよね。

 


「シロを置いていけないよ。近くのコンビニ行くだけだからさ大丈夫だって」

「駄目だ。ケージ、は無いが……シロ抱えてでもついてくからな!」

「だから、いいってさ」

「こんな時間に、というか何買うんだよ? 朝までに必要なものなんて切らしてないだろ?」


 ああこれ絶対諦めないやつだ。どうする。考えろ折原恵。

 せ、説得……言いくるめ?

 何て言えば、察してくれるかな?


「夜からおりてくるアレがさ……レディースデイで……」

「うん?? 夜の、割引なのか? コンビニで?」

「ああいや……ま、毎月のもの、というか……お月さまがこう……ね?」

「何言ってんだメグ!? まるで分からないぞ言ってることが!?」

「お、お腹にカイロ張らなきゃだし、ずっしり来るし……」

「カイロ? リュックに入れてあったな。これ使ってくれ。お腹冷えたのか?」


 無理でした。

 いつものコウちゃんなら頭回るし気を利かせてくれるんだけど。

 この状況が特殊なケース過ぎたな。


「お、女のコの日なので……」

「女の? ……え? あっ生理……」


 部屋に静寂が訪れて、跡形もなくすべてが去っていく。

 シロが空気を破って鳴いてくれることもなかった。

 どうせ私の夜のとばりはルナティック重いですよああそうだとも!


 上着を羽織り、ドアの前で振り返らずに呟く。

 

「えっと、というわけでその、買ってきます……」

「……はい」

「わう」




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