第7話 雨はふらずに藍の色




「はい、これで大丈夫」

「すみません……傷の手当までしていただいて」


 待ち合わせ広場の向かい――

 わりと有名なコーヒーショップのオープンテラスに二人して座っている。


「絆創膏……犬と鳥……」

「あはは、子どもっぽいキャラクターばんしか持ってなくてごめん」

「いえ、とても……かわいいです」


 人さし指を見つめながら笑う彼女、超かわいい。


 絆創膏は保育士の嗜みで持ってはいたけど、キャラものだったからな。

 ケガが指先だけでよかった。膝とかは服が保護したみたい。白と紺のロングワンピ―ス、襟には花の意匠がこらしてあって、華美に過ぎない上品さだ。あ、席の脇に立てかけてある日傘ともよく合ってる。

 ウェットティッシュがなかったから、カフェに誘った。私としても難易度が高いんだけど一度座っちゃえばテーブルをひたすら見てるだけで一安心だし。

 ……


「なんか飲み物買ってくるよ。なにがいい?」

「お気になさらず。かふぇの注文の仕方は、聞き及んでおります」

「そうなの?」

「はい。ええと」


 咳払いをして、すぅ、と息をつく。

 下を向いているのは変わらないが、意を決したような表情に切り替わる。


「……かふぇらてしょーとほっと、ミルクマシマシアマメ!」


 堂々とした呪文コールだ。感動的ですらある。

 ただ、だいぶ別店舗混ざってるからねそれ! ラーメン屋さんとかの!

 ……正真正銘、深窓の令嬢ってことなんだろう。


 超かわいいどころじゃない。超絶かわいいこの子。

 立ち上がろうとする彼女を手で制して、笑顔を向ける。


「私が頼んでこよう。いい注文だった……財布は私がもつ」

「いけません! 助けていただいて、それは」

「いいの。座ってて。大人のお節介に付き合わせちゃったし」


 それがカワイイをご馳走してもらった、私からあなたへの礼儀――。

 支払わせるなんてとんでもない。


 穏やかな気持ちで注文カウンターへ向かう。

 店員さんの声も、視線も。まだ心がざわついてしまうけど。

 痛気持ちいいくらいの所までで、内面には刺さってこない。


 感動や、尊いものを見たあとは、嫌なものを跳ね返せる。お腹いっぱいの時の幸福感は、不幸を受け付けない……そんな賢者のような思考にふけっているうちに、飲み物が目の前に置かれていた。

 オーダー通りのカフェラテとブレンドを乗せたトレイを持つ。


「頼み方、違っていました……」


 しょぼんとした顔。しおれた表情まで、可憐だ……。

 ……なんだ。なんだ、こ の か わ い い いき もの は !!?


「でも、頼み方はばっちり覚えました! 次回実践します!」

「おっほ、ふ、んん、ここから? よく分かったね? ああ。口の動きで……」

「いえ。耳はいいのでして」


 え?

 ……オープンテラスから店内に入って、結構な距離もあるしガラス越しだけど。

 そこまで耳がいいなら、客の注文の仕方もずっと聞こえてたはずだよね?

 頼み方の間違い……勘違いもすぐ分かったんじゃ……


天内あまないありか、と申します」

「……あ、うん」

「私の名前。……ありかと呼んでください」

「ありかちゃんね。私は折原恵。めぐみでいいよ」

「わかりました。めぐみ様」


 ティーカップの把手を右に回し、アリカちゃんは微笑む。

 おおぅ。こそばゆいな。


 受け皿を持ちラテを一口飲んで、ほぅ、っと小さく息をつく。

 カップを傾けるだけで絵になる。切り取って保存しておきたいくらいだ。

 一連の作法が整っていて趣がある。


 思わずちゃん付けしてしまったが、年はそんなに離れてないのかも。

 ……ん、上で19歳。17歳付近だな。15……はないと思う。

 ただ生粋のお嬢様って子は初めて会うし、微妙に外れてる気もする。


「思えば……私が走る必要はなかったのです。ここで向こうからの連絡を待つことにします」

「そうなの? ならそれまで私もいようかな」

「ええ。ぜひ」


 ふたくち目に入る前、念入りに息を吹きかけて冷ましながら彼女は頷いた。

 ……さっきは熱かったんだな? 舌が。

 オーダーでミルク増量以外に、温度調整も入れとけばよかった。


 さっきよりアリカちゃんの表情が分かる。

 おいしいっ! 甘ぁい! みたいな感じ。


 この子を放っては置けない。

 世間に疎いところや庇護欲にかられる部分はある。でもそれより――

 伏せている目。白い傘も、陽を避けるんじゃなく視線から守るためだとしたら。

 もし私みたいな――心に傷を負っているのなら。


 一人にさせちゃいけない。誰かが、寄り添ってあげなきゃ崩れてしまう。

 そんな儚さが、かわいらしい仕草や表情を見ても消えずに残ってるんだ。




 *  *




「あの犬……白って呼んでたけど。ありかちゃんにとって、どんな子なの?」


 コーヒーを飲み、一息ついて聞いてみる。

 ブラックは大人の嗜み……ではなく、味を楽しんだらミルクをぶちこむタイプ。


 追いかけていった、アリカちゃんの護衛?

 二人とコウちゃんはどこまで行ったかな。シロを見失ってないといいけど。

 コウちゃんが走りで負けるところは高校時代一度も見たことない。

 大丈夫だよね。たぶん。


「白は……私の家族。もう小学生にあがる前からの縁」

「へえ。そうなんだ!」


 おお。ならあの迷い犬ポスター、この子が昔描いたものだったのか。

 やっぱ4歳から6,7歳の読みは精度良かったな。


「なんの繋がりもなくたって家族になれることを教えてくれた……私の光」

「ありかちゃんの大切な、家族なんだね」

「……うん」


 花開くような、ひそやかな微笑みを見せる。

 いい顔するねえ。シロやるじゃん。

 話の流れでコウちゃんとシロの関係を、アリカちゃんに話してない。

 まあ、じっと隅っこでそっちの様子を伺ってました、なんて言えないしなあ。

 内緒にしておこう。


「家族からは……逃げられない。その繋がりを断たない限り」

「……え?」


 コーヒーにミルクを入れようとして、思わず止まる。

 視線を戻すと、アリカちゃんはそっぽを向いていた。

 ……傍に立つもう一人の私の方を、見つめている。

 じわりと、カップを持つ手に汗がにじんだ。


「同じ、とは申しませんが……めぐみ様と私は似た傷があります。どのように耐え、克服しようとなさっているのか、よく分かる」


 そのまつ毛がふるえ、悲しみに湛える。

 他でもない私たちを……思ってくれているように。


「やるだけ無駄ですよ? いえ……無駄ならまだいい。心を動かせば動かすほど、傷は痛み、精神はすり減る。絶対に元通りにはなりません。私は、めぐみ様にそれをして欲しくない」


 その目は燻り、濁った負の感情が垣間見える。

 アリカちゃんは、たった今ミルクを入れたばかりの……

 私のコーヒーを視界に入れて指差す。


「心は、ミルクを落としたコーヒーに似ています。ぱしゃぱしゃと頑張って動かしても……よけいに混じるだけ。今はまだ分かれたままです。かき乱さなければ、カップ底に沈んだミルクは浮かんでこない。でも大切なものと、忌まわしきものが混じり合ってしまえば……きっとあなたも、どうでもよくなるわ」


 私はアリカちゃんの話に耳を傾け、ゆっくりとマドラーを回していく。

 コーヒーとミルクがぐるぐる回りながら溶け合い、もう戻すことはできない。

 均一に混じり、味の整ったコーヒーに口をつける。


 ……そんなに単純じゃないよ。人の心は。飲み物が混ざるのとは違う。

 でも、否定しない。アリカちゃんの想いは受け止める。

 きっとあなたも、抗いようのない理不尽に耐え、立ち直ろうと頑張って……

 何もかもが辛くなってしまったんだよね?


「そうなのかもしれない。苦しさだけが残り続けることだってある……」

「今は、足を止め心をやすめるのが最善と存じます」

「さっきありかちゃんがハクを追いかけたのは……走っても間に合わないって分かってて……それでもそう心が動いたってことでしょう? あなたにとって、掛け替えのない存在だから。私は間違いだとはどうしても思えない。転んで傷付いたって、無駄じゃないよ」


 アリカちゃんも私と同じように、否定はせずカップを傾けた。

 ひどく羨むような微笑みと、まぶしいものから目を背けるようにして。


「ええそうね……その通りだわ」


 見えない壁が見える。

 言葉で理解しても、心では受け入れられない隔たりが。


 私が乗り越えるから。

 心の中で克服して整理がついて、何でもないって思えるようになって。

 もう一度、無駄じゃない! って伝えるから。




 その時また、アリカちゃんの気持ちを聞きたい。



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