第5話 緑の記憶




「わう!」




 ぱっと振り返った。

 シロが吠えて、しっぽをぴんと伸ばし立ち座りをしている。


「あ、ああーっと! 話してたのはその犬だな?」

「……う、うん……そう」


 コウちゃんが横切り、シロの背中をわしわしと撫でた。

 見つめ合っていなければ、何とか話はできる。


「人に慣れてるっていうか……なんか人をよく見てる犬だな。名前は?」

「シッ……シロ」

「シロかぁー……んん? もしかして名前……メグが名付けたのか?」

「うん……わたしが、つ、つけた」

「そうかそうか。相変わらず見たまんまなネーミングだ」


 シロを撫でながら、首すじ、前脚と触って何かを確かめている。

 いや、見たまんまではあんまり名前やあだ名決めないけどな。今回は久しぶりの第一声にあやかっただけであって。三毛猫だからミケとかぽんぽこお腹だからポンとか――つけたことはあるけど。


「サモエド寄りだな。ポメラっぽいけど鼻口の愛嬌はマル……憎めない顔してんなぁお前!」


 コウちゃんがあれこれ犬種をあげるけど、特定できないらしい。

 マルポメ? 犬種? ミックス? 聞きなれない単語が聞こえてくる。

 ぶつぶつ呟きながらコートを脱いでリュックを下ろし、

 てきぱきと準備をし始めた。


「とりあえずケージで柵つくっとくぞ。こいつちゃんと朝食べたか?」

「……スープ煮を」

「缶詰じゃないんだな。というか作れるのがすごいんだが」

「調べた……りょ、料理は得意……」

「……ああ、そうか。そうだったなー」


 一瞬の間。

 今度は私が言うぞ。私から、話を!

 コウちゃんが何か切り出す前に!


「……こっこ、ここまで、迷わず、これた?」

「おう。ほらメグがこの家に引っ越しする時、みんなで手伝ったろ? 荷物、車で往復してたからさ。おぼえてたしまっすぐ来れたぜ?」

「おっほ、ふ、そう……よかった」


 その横顔から、懐かしさを感じているようだった。

 コウちゃんの視線が部屋を泳ぎ、テレビ台に置いてある物に止まる。


「おお! このボール。優勝した時のか!」

「写真も一緒。飾ってある……」

「きれいなままだな」

「さ、触る機会なくて……そのまま」


 フットサル大会の優勝ボール。

 学生男女ミックスチームの大会で、女子は2人出場るならフィールドに6人までプレイできるルール。そして女子は得点2倍だったなたしか。

 他にも実績やチーム結成歴、部活や経験者は何人まで、とか細かい制約はあったみたいだけど憶えてない。


 お互いに懐かしさを共感する。

 みぃちゃんとコウちゃんを中心にして、いつもの友だち8人組で出場しようって話になった。けっこうレベルが高い大会らしかったが、みんなノリノリで放課後練習してた。コウちゃんは部活に入っていなかったけど、サッカー部の誰よりも上手かったし。


 私はフォワード、っていうポジションだった。

 コウちゃんが中央でセンタリングを上げて、センターフォワードが得点を挙げる。そしてそのパターンから相手チームの意識を外して、脇から飛び込む私にピッタリのパスを送ってくれるのだ。

 意表を突いてたらしく面白いほど決まった。

 男女ミックスで、女子を攻撃戦術にしっかり組み込んだチームがうちだけってのも大きかったと思う。何よりみんなバカみたいに練習やってたし、曲がる変化球シュートを延々と蹴り続ける日もあった。

 私たちにとって、放課後にたむろして遊んでいた延長って感じだったんだよ。

 すごく楽しかった。


「このボールの寄せ書き……クラス全員分書いてあるのか?」

「全員ってわけじゃないよ? 大会に応援に来てくれた人とか、練習一緒にした人たちに書いてもらったんだ」

「ん……。どうりで他のクラスのやつも書いてあるわけだ。そうか、引っ越しの時はまだ荷物の中だったから見なかっただけか」

「そうそう。メッセージが書いてあるから、よけい蹴ったりしにくくてさ」


 なのでずっとTV横に鎮座させたまま今に至る。サッカーのトロフィーや賞状が飾ってあるコウちゃんの部屋とかのが置き甲斐はあるのかもね。


「コウちゃん、良ければ持ってく? 飾るにはいいものだと思うし」

「いや、いいよ」

「あっあっ、だ、ダメ? ……い、いけないね! そ、そ、えとっ、ま、間違えた!?」


 ガクガクと身体が震えだし、また考えがまとまらなくなる。

 せっかくいい感じに話が続いたのに! 私がミスるからっ!

 どうしよう何て言えばいいの!? すぐっすぐフォロー入れないとっ!


「……メグが持ってていいんだ。なにせ大会決勝ゴール決めたのはメグだしな」

「え? えっ? そう? あっ、ありがとう!」

「ちょっとだけ、俺がさわってもいいか? このボール」

「あ、う、うん! いいよっ! どうぞ!」


 コウちゃんの手から、するりとボールが落ちる。

 足の甲で受け止めて、左右の足で何度か蹴り上げる。

 ボールの感触を確かめるように少しづつ強くボールを浮かしていく。

 頭で触れ、足をステップさせて挟んだり、胸や背中に乗っけてみたり……何でもない準備運動のように、平然とこなしている。


 すごいけど、いつもの風景だから感心はあんまりしない。

 ずっと見ていたいとは思うけど。


「メグ、パスするぞ」

「え!?」


 急だけど、手渡しみたいな右ひざ下への柔らかいパス。

 同じように足で受け止めて蹴り上げる。

 足から足。膝から膝と順に強さとリズムを整える。


「ほっ! ふっ。とっ。はいコウちゃん!」


 胸トラ、左膝トラから右足で蹴り返す。

 少し逸れたボールをつま先で空中に浮かすと、両手でしっかりキャッチした。


「お、タッチが上手いまんまだな。どこかでフットサルしてた?」

「保育園じゃ外遊び、園庭遊びがあるからね。ボールは触ってるよ!」

「一緒にサッカーやったりするのか?」

「園庭全体を見守るときもあるけど、子どもと身体を動かす方が多いね! 砂場やアスレチック、鬼ごっこかくれんぼとか色々だけどサッカーが一番人気かな」

「ならメグは子どもから人気なんだろう。軽くリフティングするだけですげーってなるぜ」

「あはは。園庭出ると先生みせてみせてって催促されるね確かに。ただ何回かちょんちょんボールをコントロールしてるだけなのに」


 そのお陰もあり、新米保育士の私でもすぐ子どもたちが認めてくれた。

 去年よりサッカーが流行っているのも自分の影響だと先輩が言ってた。

 まさかピアノや折り紙より、サッカーの足さばきで子どもの心を掴むなんて。

 みぃちゃんとコウちゃんには足を向けて寝らんないな。


「ひとり年長さんで上手い子がいてさ。その子のパパが経験者で、小学生のお兄ちゃんもジュニアサッカー入ってるんだけど、ボールの触り方やドリブルが他の子と全然違くて」

「ジュニアチーム、懐かしいなー。ジュニアユースまで行ければプロも視野だな」

「その子もプロのサッカー選手になるのが夢なんだって」

「今からビシビシ鍛えてやってくれ。……めぐみ先生」


 外遊びじゃ勝負とかしてたけど、今はちょっと難しいな。

 でもこうやって話してて、かなり自然な話し方に戻ってきてる。

 やっぱりコウちゃんを頼ってよかった。






 *  *






「わふ!」

「ああ、すまんシロ。話し込んじまった。お前の飼い主に連絡しなくっちゃな」

「ごめんねコウちゃん。お願いしていい?」


 いいぞ、と快諾をもらい、携帯で迷い犬ポスターの写真を表示して渡す。

 しばらく静かになる。番号を押してからのコールがずいぶん長く感じた。

 コウちゃんが口を開く。


「あ、もしもし。こちら迷い犬のポスターを見たものですが……はい」


 基本的にコウちゃんは礼儀正しい。

 高校生の時、『いただきます』とか『ありがとうございます』とかを

 心を込めて言っているな、といつも思ったものだ。

 サッカーチームの上下関係で学んだ、と考えてたけど……本人曰く違うらしい。

 自分の家で祖母と妹にさんざん口酸っぱく言われて覚えた、と言っていた。


 電話でもその物腰は変わらない。

 気持ちを込めてるし姿勢がピシッと決まってる。

 いちいち相槌をしてしまうのもコウちゃんらしい。


「しっぽ? ぴんと立ってて……ええ。……いえ、むやみに吠えたり動いたりしない感じです。よくこっちを見ているって印象で……はい。あ、でも持ち運びのケージがありますから……」


 雑談というかいくつかの確認事項があるのか、ひとつひとつコウちゃんが答えていると、さらさらとペンで切れはしに走り書きをして、こっちに見せる。

《この自宅まで引き取りに来たいって言ってるが、嫌だろ? 駅前の適当なとこでいいよな?》

 首を縦にぶんぶん振って意志を伝える。

 コウちゃんが声を出さず少し笑って頷いた。


「はい……そうです。上〇沢駅なら出れます……ああ、それなら良かった……ええ。では午後1時に……いえ、踏切がある方に。そこの待ち合わせ広場で、はい……よろしくお願いします。……いえ、見つかってよかったです。ではまた、……はい。失礼します」




 コウちゃんの話では、今からだいたい一時間後に上〇沢駅で飼い主と待ち合わせの約束をしたらしく、時間に間に合うように出て引き渡す予定になった。

 

 なので、ちょうどお昼にシチューを食べてもらい、私も少し食べた。

 久しぶりにコウちゃんの『いただきます』を聞いて、思わずにやけてしまったのは内緒で――




 シロもぺろりとスープ煮をたいらげていて、

 コウちゃんは早食い過ぎる……と驚いていた。



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