第3話 しろ




 くすんだ灰色。そして赤い目。

 この子……張り紙で探してた小犬だ。


 じっとこちらを見ている。赤黒い目と言った方がいいのか……

 こういう目の病気なのかな? 

 よく分からない。犬飼ってる友だちに聞いてみるか。


 しゃがんで手をのばす。

 尻尾も降らず、とてとてと歩いて鼻を近づけてきた。


 なでる。

 しっとりと濡れているような。水分を含んでいるみたいな感じ。

 雨に濡れた? ここのとこずっと晴れてたけど。

 夜露とか、外の暗がりは湿度があるのかもしれない。


 間違いない。どの角度から見ても、張り紙に書いてあったあの犬だ。


 すぐに連絡しようとして、携帯で保存していた画像を探したが、

 いまの自分には電話を掛けるのも、飼い主に引き渡すのもハードルが高いことに思い当たった。……どうしよう。


 小型犬、よりは大きいな。

 ぴんと上に伸びたしっぽまで4~50センチくらいか。

 だっこして、いったん家に連れていく?

 でも抱きあげると背筋が張る。それは私にとって通行人の目に触れるってことだ。


「……」


 この子。私の手をまだじっと見てる。もしかしたら――

 園児の手を握って連れていくように、後ろで手を引くまねをする。

 灰色の犬はその後をゆっくりと歩いて来てくれた。


 おお。かしこいんだな!

 犬ってみんなこんな感じなのかしら。

 家に帰ったら考えよう。飼い主のもとへ戻す方法を。


 何だか放っておけない気持ちが湧いて来ている。

 きっとお互いに助けが欲しかったんだよね。気持ちは一緒だよたぶん。


 とりあえず……お腹がすいてるんじゃないか?




 *  *




 色のなかった部屋に白い湯気が立ちのぼる。

 野菜のいい香りがして、しばらくぶりの食欲が湧いてくる気がした。


 犬 えさ 手作り で検索して、冷蔵庫にあるもので作れるのは――

『鶏肉と野菜のスープ煮』だった。


 白菜の代わりにキャベツと人参。あとは冷凍の鳥ひき肉で代用してる。

 特にお肉は冷凍が残っててよかった。

 コンビニには缶のエサとかあるだろうけど、

 。この子を家に置いていくわけにいかないし。


 ひき肉がパラパラほぐれたから、温度を下げる水をさして完成……食材以外はレシピ通りだけどおいしいのかな? というか作り過ぎたな。自分用のシチューとかに流用しよう。野菜はいいんだけど、お肉は匂いが無理か? いや、鼻摘まめばいけそうな気がする。

 

 そろそろゼリー飲料からステップアップと思ってたし、幸運だった。


 あの子はうちに来るなり、玄関入り口前に立ち座りをしてそのまま微動だにしない。先に水の入った浅い皿を置いておいたけど、口はつけてない。行儀良すぎ。ウチのクラスの落ち着かない子どもたちに、この話を絶対してあげよう。


 目の前にスープ煮を置く。

 ほんの少し鼻を鳴らしたような仕草を見せたが、不動のまま。

 飼い主のしつけがいいのは分かるけど、普段どうやって食べさせてるんだろう?

 決まった合図があるのかな?


「……。……!」


 召し上がれ、の一言もノドから出てくれない。

 かすれてしまって言葉よりも喘鳴だこれじゃ。

 倒れて病院に運ばれた時から、声が全く出ないのは分かっていたけど、

 それでも必要な時に声が出せないのは、精神的にキツいな。

 うまくいかないや。


「……」

「……」


 作ってあげたのはいいけど、全然食べてくれない。

 慣れてない場所と人だ。緊張してるのかも?


 さっきは目の病気じゃないかって思ったけど……きれいな赤目だ。

 黒味が混じっているからか吸い込まれそうな深みがある。

 人の視線と違うからか、いつまで見てても私の心は落ち着いていた。はっきり確認は出来ないが、赤黒い目に私の顔が反射して妙な顔色で映っている。


 見つめ合っていても仕方ない。

 お風呂でも入れてあげよう! 冷えて乾いた身体にはお風呂が一番。

 ずっと外にいたなら汚れもたっぷり落とそうか。


 携帯で子犬の入浴温度を調べて、バスルームのシャワーを出す。

 だいたいの適温を手で探りあて洗面器に溜める。

 休んでて使ってないキャラクターのヘアゴムで、髪を首横の位置で束ねた。鏡は見れないけど、髪型だけは現場復帰出来た気分になる。

 ――こんな風に、心を動かしていこう。


 おお!?


 子犬を手招きしようとして、びっくりした。

 盛り付けていたスープ煮がきれいになくなってる。

 すごいな。。シャワーの温度調整してる間に……

 すごいお腹すいてたのかな? この調子だと作った分は消費できそう。


 そういえば……コウちゃんが言ってたな。

 慣れていなかったり、心を許してない犬は、もらったエサを人前では食べないとかなんとか。縄張りに持って行って食べたり、人間がその場からいなくなってから食べる……みたいな話。

 ってか、犬のことならコウちゃんに聞けばよかったじゃん。

 飼い主に連絡したいけど、電話が難関だ。会うとかさらにレベル高い。


 コウちゃんに助けてもらおう。お礼にシチューとかご馳走させよ。

 またいろんな話を聞きたい。でもいまは――


 お風呂だ。


 手招きすると、犬がスッと首を振りあさっての方を向く。

 なんだろう。なんとなく……ガン無視されてるような気がする。


 シャツだけのスタイルから袖をまくり、犬を両手で持ち上げた。

 宙に浮いた足をじたばたさせ、初めて抵抗らしき反応をみせている。


 嫌がっても通用しないよ。ここはあたしの家だ、従ってもらう。

 ちょ、逃げるな! 待て、待って。嫌がってもダメなんだって! どこにも逃げられんぞ! ほらほらバスルームの扉の前で止まるんじゃない!

 観念してお風呂に入れ。


 中に入って締め切ると、途端に大人しくなった。

 覚悟を決めたんだろうか?

 洗面器に足を浸からせて、シャワーを背中に当てる。あまり毛は痛んでいないようだ。なめらかにお湯や指が通る。人間のシャンプーは使っちゃいけないらしいから、水洗いだけで済みそうでホッとする。


 汚れは確かにあり、水がちょっと濁っていたが充分きれいに出来そうだった。


 首から喉元にシャワーを当てながら手で軽くこすり、口を軽く押さえて顔にお湯をかけて流す。何度か下を出しているが、なすがままされるがままに目を閉じている。気持ちいいのかな。温まるだけでも十分そうだが、首下からお腹、ぴんと立ったしっぽも念入りに洗ってやろう。足は……一番汚れていたが、洗面器で足裏を揉むようにしたらすぐ水は透き通っていった。


 そろそろ大丈夫かな、と思った瞬間。

 身体をぶるんぶるん震わせて水しぶきを飛ばして来た。

 私は至近距離でまともにぶつけられ、ずぶ濡れになる。


 わわ、なんだこいつ!

 やったな……私もお風呂入ろう。

 顔に喰らった水滴を手でぬぐい、笑顔を向けようとした。




「……しろっ」




 10日ぶりの第一声は――

 水切りで爆発した毛色。驚きの白さの感想だった。




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