第2話 黄昏時を見送って




 外もやっぱり寒い。

 あったかい服装というか、すごい不審者スタイルなんだけどな。

 目元の一部しか露出してないぞ。


 下を向いて歩くと、フラフラ蛇行しちゃうのを最近知った。

 普通は前を見て無意識のうちに出来ることが、今は出来ない。


 路側帯の白いラインと、見慣れた家の壁の感じでギリギリ外を歩ける。

 ちょっと遠い人通りの少ないコンビニへ向かう道。

 とても駅前の店とかには行けそうにない。

 そうだ。公共の交通機関も、現状の私にはハードル高いのか……。


 人と目が合うと、息が止まっちゃう。

 誰かが近くにいるだけで動悸がするし汗もどんどんにじむ。

 音とかもビクついちゃって、まともな考え方が難しくなるし。


 でも、慣れていかなきゃ。

 これから先で、少しずつ慣らしていかなきゃ。

 また危ない人に会うかも? 確かに怖い。

 それを考えるだけで足が固まるし辛い気持ちでいっぱいになる。

 過呼吸になりかけた身体をゆっくりと落ち着かせていく。


 ならどうする。逃げるのか?

 ……自分にしか乗り越えられない困難から。

 身も心も、可能な限り動かし続けることが、あるべき私への回復に近付いていくことだ。そう思っている。ならその心に寄り添わなきゃ。


 このままだと友だちと会えない。

 保育園で子どもたちと一緒に遊べない。


 ――ねえ。


 

 


 少し遠くにいる自分に声を掛けてみるけど、なんの変化もない。

 そりゃあそうだ。簡単に現実は変わるわけがない。

 心に受けた傷は、消えてはくれないんだよ。


 いくら自問自答しても、感情がぜんぜん湧いてこない。

 かわりに心の底が空いて気持ちがザーっと流れていくのを感じる。


 ほらほら左足に右足だ。

 震える足を一歩ずつ、数えるように前に進めていく。

 その調子その調子。いいぞいいぞ折原恵。


 いつもの電信柱の前で立ち止まる。

 精神的な疲れが静まるまで、息をととのえる。

 ここだ。ここで……顔を上げろ!







犬 探しています。

2月1日 上〇沢 〇田 付近 で 行方不明


・白い体毛、模様なし。

・柴犬より一回り小さい。

・目は若干赤みがかった黒色。

・しっぽがぴんと立っているはずです。

・首輪はその時付けていませんでした。

・吠えずにじっとしていると思います。


見かけましたら

 


・万一、保護していただいた方はご連絡いただければ幸いです。

 どんな小さな情報でも提供をお待ちしています。

 かけがえのない存在なので、謝礼金を支払います。

※確実な情報提供者・保護してくださっている方に限り用意しています。


   連絡先080-○○○○-×××× 







 ……迷子犬のポスター。

 カラーコピーで、濡れないようラップとラミネートで閉じてある。

 貼ったままってことは、まだ見つかってないんだな。


 中央には犬の写真の代わりに、手書きの絵が貼っていて……

 この絵が、私を家から出してここまで歩けるようにしてくれた。




 私の保育士としての経験から分かる。

 4歳から6、7歳までの女の子が描いた絵だ。間違いない。


 鉛筆で毛を書いた灰色。

 目は赤の上に黒で塗りつぶされている。

 たしかにしっぽはぴんと立っているみたい。


 その隣には、絵を描いた女の子が寄り添っている。

 目をつむって眠っているのかな? 口はにっこり笑ってる。


 絵の上側大部分を占める父親は大きいというかでかい。

 帽子をかぶっていて、犬と娘さんを包み込むように手を広げている。

 服の緑色がふち取れてなくて、目が緑になっちゃってるけど。

 足の先まで緑色の緑まみれ……こういうキャラクターいたなあ。

 子ども向けの3D映画に出てくる、宇宙人だかエイリアン。 


 写真じゃないのは、この犬の写真が無かったのかな?

 あまり写真を撮らない家庭もあるしな。携帯で気軽に取れるけど。

 もしかしたらお父さんが機械オンチだったりするのかも私と同じで。


 ……父親。そういえばお母さんの絵がない。

 女の子が描いた絵にしては、花やチョウとかのかわいい飾りけがないのはそういった理由があるのかもしれないがあくまで私の想像に過ぎない。


 でも、いい絵だ。

 幸せいっぱいな感じがにじみ出てる。

 うちの園でお絵かきしていたなら、よくかけたねー!

 とその子を褒めてあげるところ――


 靴音。

 そらせそらせ。視線を下に。


 ゆるやかに上昇していったテンションは、急転直下で地を這い、

 たぶん不審者を見るような目で私を見ている通行人が通りすぎるまで、

 電信柱のポスターを凝視していたまごうことなき不審者(21歳 女性)

は石と化しているのだった。




 *  *




 ふう。

 コンビニの自動ドアが閉まる前に、ありがとうございましたーと声がかかる。

 背中へのおぞけは突き刺さるほどだけど、なんとか耐えた。

 よしよし。行きはよいよいだ。あとは帰るだけ。


 寒いから、心も体も冷え切る前に辿り着こう。


 あらためて思うけど、私って保育士に向いてる。

 子どもの声、遊ぶ音、まなざし。その何かに触れるたびに、

 こっちまで楽しくて嬉しくなる。

 ……まだ新卒一年目の新米もいいとこだけど。


 あの絵を見ているとき。そばに立つ私もおんなじ気持ちになってる。

 ちょうどいい中継地点ってことでさ、また往復の道で元気をもらおう。

 ほらやっぱり、動いてよかったでしょ。

 家にいるだけじゃこんなに元気出ないよ?


 少し歩いてから、

 ドッペルゲンガーのように剥離した自分に話しかける。

 もう一人の私は、違う方を向いていた。


 え?

 ぱっ、と視線が追う。

 もしそこに人がいたら、またパニックになっていたかもしれないが。

 そこにいたのは人じゃなかった。




 家とビルの間。路地を入ってすぐのところ……

 灰色にくすんだ犬が、こちらを見つめていた。



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