第2話 人間の手がまだ触れない。

「ただいまー」

と、挨拶をするようになったのは栄町が来てから一週間くらいのことだった。

「む、帰って来たか。遅かったな。」

「残業だったんだよ。終電ギリギリまでやらされてさ……最悪だ。」

聞かれるでもなく愚痴を零す福住に質問が飛んできた。

「なぜ働く?」

「えっ?」

それは全く思ってもみない方向から。

「なぜ働くのか、と聞いている。」

「えっ…いや、だって生きていくためにはお金が必要だし。その、社会人としてアレじゃん?」

「金が欲しいなら私が出してもいいのだが」

「あっ」

忘れてしまっていた。この女が概ねなんでも出来る自称神様である事を。

「リスクは?」

「無い。説明した筈だ。君が望むなら大体のことは叶えてやろう。」

金を出す程度なら造作もない、ととんでもないことを言ってのける女。しかし男は驚かなかった。それより凄いことを既にしてしまっているのだから。

(良いのか?これでもし頼んでしまったら完全にコイツに依存した生活になるんじゃないのか?もしかしたらダメ人間になるんじゃないか?社会適応力がなくなるんじゃないか?)

「君がどう思おうと勝手だが。君が望むなら叶えてやるし望まないなら叶えない。ただそれだけのことだ。気が向いたら頼んで欲しい。」

「だから心を読むなって……」

男は床に就いた。


「色々考えたんだけど、今日から一週間仕事休めるようにしてくれないかな。お試し期間って感じで。」

「了解した。今日から一週間、お前は有給みたいな感じになるから好きにして良いぞ。」

とりあえず休みにしたものの、何をしようか。

「あ、そうだ。映画でも観に行こう。」

「ふむ。ジャンルは?」

「気になっていたアメコミ映画がやってるしな。それじゃあ行くか。」

「私もついていこう。」

…………えっ?

「私もついていく。と言っている。」

「いや、興味あるのか?映画。」

「映画に興味があるのではなく、映画を観ることに興味があると言った方が正しいかな。何はともあれ行くぞ。準備をしろ。」

「あっ、はい。」


福住はTシャツにカーディガン、そしてジーンズ。栄町はワンピースにハンチング帽という出立であった。

「……こうして歩いてると、デートみたいだな。」

「宇宙人とデートか。面白いことを言うな、君は。」

歩く度背中まで届くであろうロングヘアが揺れる。栄町は正直な所、見てくれはいい。まるで宇宙人とは思えないほどに。

「もっと褒めてくれてもいいんだぞ?」

「だから心を読むなって……。宇宙人って地球の人間と変わらないのか?」

「いや、私のこれは仮の姿さ。君たちにわかるように言えばプロジェクションマッピングのようなものだ。」

プロジェクションマッピング。全然分からない。

「私の本体は別の遠い所にいて、この肉体という媒体を介して君と接触してるわけだ。仮の姿とは言え、物理的な性質は概ね人間の女性を模している。普通に一人の女として考えてもらって差し支えないよ。」


映画館に着いた。平日の昼間なので客足はかなり少ない。

「普通はここでポップコーンなんかを買ったりするだろう?君は要るか?」

「それじゃあ塩味のポップコーンSとコーラSで頼む。」

「了解した。それじゃあ買ってくる。」


「ところでだけども。なんでわざわざ買って来たんだ?お前の力があればポンって出せるだろ。」

「もちろん出せるとも。でもそれじゃあ風情がないじゃないか。言ったろう?私は映画を観ることに興味があると。」

宇宙人が風情を語るか。

上映前のCMが流れる間。二人は少しだけ会話を交わした。


「人間の映像技術もやるじゃないか。なかなか面白かったぞ。」

映画の内容は宇宙人が攻めて来て、それをヒーローがやっつける。端的に言えばそのようなものであった。それでいいのか宇宙人。

「腹も減ったしそこのハンバーガーショップでも行こうか。」

「うむ。そうしよう。」

目についた手頃なハンバーガーショップ。そこで昼食を取ることにした。


「さっきも似たようなこと聞いた気がするけど、食事って必要ないんじゃないのか?」

ハンバーガーを頬張る栄町に思わず聞いた。

「さっきも同じように答えた筈だが、それでは風情がないからな。別に食事を取れないわけじゃなくて食事を取らなくても生きていけるだけさ。」

頰についたケチャップを拭きながら答えた。

「でもさっきは映画を観ることに興味があるから。って言ってたじゃないか。もう映画は終わったぞ?」

「あぁ……、それはだな。」

そうするとおもむろに席を立ち、身を乗り出し、栄町は、耳元で、


「君とデートしたいからだよ。葵くん。」


と、いつもの超然とした振る舞い方からは連想のできない。まるでデートをしている彼女のように囁いた。

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