#35 吸収

 黒い球がパラパラと崩れていく。

 小さな隙間から見えるフェイクは、まだ時を止めた影響が残っている。

 その身体はゆっくりと、怒りを増幅させるように動き出す。

 黒い球はその怒りに押し負けているかのように、ヒビを広げていった。

「くそっ! 一か八かっ!!」

 万が一、黒い球に入らなければ液体がこちらに跳ねる可能性があるがやむを得ない。俺はわずかな隙間に向けて赤いカプセルを投げた。

 成功だ!

 フェイクが暴れる事によってできた隙間にカプセルは吸い込まれるように消えていく。

 そして、少しの間を置いてフェイクの絶叫が始まった。

「あああああががががががが……」

 その声で黒い球が一気にはじけ飛ぶ。

 現れたフェイクは倒れ込み、両手で左ひざの上辺りを押さえている。

 左足には赤い液体がかかり、その近辺から血がにじみ出している。

「痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い!……」

 フェイクの雄叫びが止まらない。

 その表情にアイナは顔を背ける。

 よく見ると血が噴き出しているのは、両手で押さえている部分よりも先の部分だけ。

 信じられない事にフェイクは自身の手で、全身に毒が回るのを抑えているのだ。

 オキエが剣を抜いた。

「このままでは毒が! アイナ、我慢してっ!」

 左足の切断を試みる。

 が、最強生物と化したフェイクには通用しない。あっさりと剣は折れてしまった。

 顔をしかめたフェイクが呻き始める。

「ううううぅぅぅ……」

 突然、腕の筋肉が盛り上がる。そのパワーで腕自身が爆発するのではないかと思うほどに膨れあがっていく。

「うううぅぅ……あああぁぁぁぁぁっ!」

 信じられない……フェイクは、自らの手で毒の回った左足をねじ切ってしまった。

 俺は……、そしてアイナも、その行為に恐怖した。

 オキエはフェイクの傷口を押さえ、魔法で血止めを行う。

「マ、マー君……」

「あ、ああ……」

 隙だらけのオキエとフェイク。今ならやれる。今がチャンスなのだ。

 分かっているけど足が動かない。身体が言うことを聞かないのだ。

 オキエがゆっくりと手を放すと大量の血液が音を立てて落ちるが、それ以上の出血はなかった。

 止血には成功したが、フェイクは異常な量の汗を流し、顔は青ざめて、肩で息をしている。

 もはや戦闘不能だろう。

 勝った……!

 俺たちとオキエとのパワー差は歴然だ。手負いのフェイクならつけいる隙はある。

 俺は“矛盾”の剣に手をかける。

 オキエが起ち上がり、こちらを向き、ゆっくりと歩み始める。

「よくも……私のアイナを、よくも……」

 その眼ぢからに、俺たちは圧倒される。

 両手はフェイクの血で真っ赤だ。

 彼女は魔石を取り出す。“矛盾”だ。

 軽く上に放り投げ、指をパチンと鳴らす。

 すると小さな魔方陣を描いて魔石が吸い込まれた。

 と同時に俺たちを取り囲むように、地面に新たな魔方陣が描かれ始めた

 俺は反射的にアイナを突き飛ばす。

 魔方陣が完成すると、そこが盛り上がり、外枠から柱が伸びる。

 あっという間に鳥籠が完成し、俺は捕らわれてしまった。

 だが幸いにいして、アイナは鳥籠から逃れられた。

「マー君っ!」

「アイナっ! 逃げろっ!! まだ正気はある」

 オキエはペロリとフェイクの血をなめる。

「そうはいかないよ」

 再度“矛盾”を投げ、指を鳴らす。

 広大な魔方陣が一瞬で浮かび上がる。

 それはアイナの移動範囲をはるかに超えた巨大な鳥籠だ。

 アイナも鳥籠に捕獲され、俺は二重の鳥籠に捕らわれる形となった。

「くそっ!」

「マー君っ!」

 アイナが駆け寄り、俺の鳥籠をこじ開けようとするがビクともしない。

「だめだっ! やはり“矛盾”だ!

 アイナっ、魔方陣で脱出できないか?」

「やってみる……」

「頼むぞ!」

 アイナは眼を閉じて集中し始める。

 ゆっくりと魔方陣を描く光が走り始めるが、完成する前にはじけ飛んでしまう。

「だめ、弾かれちゃうっ! とにかく“矛盾”だけでも外すね」

 アイナはポンと飛び上がり、俺の鳥籠の頂点に登った。

「どうだ、アイナ?」

「ダメ……、“矛盾”がカバーで覆われている」

 つまり俺のパワーで“矛盾”は守られているという訳だ。

 アイナは、自身が捕らわれている鳥籠をこじ開けようともしたが、やはり無駄だった。

 俺たちの様子を見て、プイとオキエは背を向ける。

 そしてフェイクの元に寄り、彼女をそっと横抱きにする。

 エーコ似のオキエとアイナのクローン。何だか見てはいけない物を見ているような気分になる。

「大丈夫か?」とオキエ。

 コクリとうなずくフェイク。

 呼吸は激しく、汗の量が増えてきた。

 オキエはフェイクの髪を撫でながら優しくささやいた。

「そうか……。では、もうお別れ……ね」

 フェイクは驚いた表情を見せ、涙を流す。

「……嬉しい。やっと、その時が来たんだ」

「立てるか?」

「うん……」

 オキエはフェイクを優しく降ろした。

 フェイクは片足だけでしっかりと立つ。

 オキエは頬に手を当てて、甘い声を出す。

「愛していたよ……」

「……私も……愛してます。……誰よりも」

 そしてオキエとフェイクはそっと唇を重ねる。

「おおっ!」

 俺は思わず前のめりになる。鉄格子が邪魔だ。

 まるでエーコとアイナのキスシーン。

 想像すらしたことがないシチュエーション。立場を忘れ、俺の変な世界が開けそうだ……。

 と、アイナに怒られると思い、彼女の方を向くと現在取り込み中であった。

 どうやらオキバさんと会話中。

「えっ、なに? それマズいじゃない!」

「なんだ、アイナ。オキバさんが何か言ってんのか?」

 オキエとフェイクが激しく求め合いはじめた。

「あれ、パワー吸収の儀式なんだって。

 心を開いた相手のパワーを吸い取っちゃう」

 そう言えば……エーコは俺に……キスを求めてきた……。

 まさか……!?

 実際、フェイクの身体が少し細くなっている。

 そしてオキエの身体が膨らみ始めた。

 突然、パーンと音を立てて鎧の一部がはじけ飛ぶ。

 吹き飛んだのは、左腕の部分。曲げた腕が作る力こぶで引きちぎられたのだ。

 なおも肉体の膨張は止まない。

「くそっ……」

「マー君、はやく止めないとっ!」

 フェイクの身体はミイラのように細くなっていき、肉体的な立場は逆転していた。

 これでは人知を越えたパワーを持つオキエに、完全最強フェイクのパワーが加わる事になる。

 勝負は振り出し以前に戻ってしまう。

 ドクン!

「! な、何の音だ?」

「まるで……心臓の音……みたい……」

 ドクン! ドクン!! ドクン!!!

 その音は段々と大きく、速くなっていく。

 そして、その音に合わせて大地が揺れはじめた。

「まさかっ!」

 動かないふたりから、衝撃波のような物が発せられる。

 空気がピリピリする。

 まるで、世界が脅えているような……。

「大変! オキエがフェイクのリミッターを外したみたいだってっ!!」

「何だって!」

「ほら、見てっ!」

 恐ろしい勢いでフェイクの身体が膨らみはじめ、オキエの身体が細くなっていく。

 今や、元の肉体をはるかに超え、さらに成長を続けているほどだ。

「リミッターはオキエのパワーじゃ外せないはずだろう!?」

「フェイクが弱体化しているのと、オキエのパワーが成長したことでリミッターを外す条件を満たしたみたい。

 リミッターを外して、パワーを戻し、そのリミッターも外れていく……」

「こうなるってことか……」

 フェイクの成長が止まった。

 島の、世界の、震えが止まらない。

 恐ろしいほどの筋肉を纏ったフェイクの身体が少しずつ萎みはじめ、今度はオキエの身体が大きくなっていく。

「あ、あいつ……フェイクのパワーを全部吸い尽くすつもりだよ!」

 ある意味、フェイクの弱点はオキエであった。

 フェイクでさえ手が付けられなかったのに、それをはるかに超えようとする超最強生物が今、誕生しようとしている。

 膨大なパワーはまだ、吸い尽くされていない。

 倒すなら、倒せるなら今しかない!

 手が、腰にある“矛盾”の剣に触れる。

 これは最強の剣。

 そして鳥籠は最強の盾。

「一か八かだが……、“矛盾”と“矛盾”、最強の強度を持つ同士なら……、だが……壊れてしまうかもしれない……」

 “矛盾”の剣は最後の切り札だ。

 盾が……この鳥籠が壊れれば良いが、剣が折れればオキエへの対抗手段も失う。

 だが、やるしかないか!

 師匠を信じ、剣に手を掛ける。

 このとき、俺は考え事の一部を口に出していた事に気付いていなかった。

「なるほど! それ、やってみる価値はありそう」

 俺のつぶやきを聞いていたアイナが突然、俺の鳥籠を持ち上げた。

「わ、何するんだ、アイナ」

「しっかり掴まっててね、マー君。

 てえいっ!」

 言うが速いか、アイナは俺の鳥籠を外側の鳥籠に投げつけた。

 それも彼女のフルパワーで。



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