#23 圧倒
「おい!
何やってんだ、こらぁ。ふざけんじゃねーぞっ!」
丸太のような腕をした逞しい男が、白いマントの女の前に立ち塞がる。
「何が?」
女は小首を傾げ、不思議そうな顔をする。
「『何が?』じゃねぇ!
人を刺しておいて、タダで済むと思ってるのかっ!」
「あはは、何だぁ、そういうことかぁ。
死ねばね、元の世界に帰れると思ったのよ。
どうもダメだったみたいね。ざーんねん」
女はケラケラと笑い出した。
「てめぇ!」
男はその太い腕でマントの上から女の腹を殴る。
が、女の表情は変わらない。というより“何かしたの?”とでも言い出しそうだ。
逆に男の方は苦痛に満ちた表情となり、拳を押さえる。
「い……いててて……。
てめぇ、鉄板か何か仕込んでやがるな」
「あら失礼ね。
最近ね、寝る前に腹筋始めたの。毎日、10回くらい。
そしたらね……」
女はマントを剥ぎ、放り投げた。
「ちょこっと割れちゃったのよねぇ」
素肌に白い胸当て、ホットパンツにブーツ、指の出た手袋と、ほぼ最小限の衣服しかつけていなかった。
陶器のような白い肌に、鋼のように鍛え上げられた腹筋が見える。
女は苦痛に耐える男のあごを指で引っかけて、ヒョイとつまみ上げる。
身体を丸めた巨体がその姿勢のまま、宙に浮く。ここにきて大男はその圧倒的なパワー差を認識した。
目の前の女は親指と人差し指でアゴを掴んでいるだけ。なのに、男の豪腕がいくら力を入れようとも、その巨体を大きく揺すっても外れる気配すらないのだ。
女は、存在を無視するように腕を伸ばして持ち上げた男の腰のナイフを抜いた。あたかもナイフを抜くのはその動作が一番簡単だとでも言いたげに。
「良いナイフじゃん」
ナイフの腹で男の頬をペチペチと叩く。
男は端から見ても激しく震えていた。
女はくるっとナイフを回し逆手にすると自分の腹に突き刺した。まるで切腹するかのように。
パキッ!
しかし、そのナイフは簡単に砕けた。
女の腹筋は傷どころか、微かな凹みすらなかった。
「ハッキリ言って、鉄板よりも遙かに固いんだ」
そう言って男の目の前でナイフの柄をへの字に曲げた。使ったのは指先だけで、力を入れた素振りすら見せない。
男の股間から生暖かい液体が染み出す。
「きたなっ! これだから男は……」
ゴミでも捨てるように女はその男を放り投げた。
「てめぇ! アイナっ!」
俺は、その名前を叫びながら走り出した。今までにないほどの怒りを拳に込めて。
アイナは面倒くさそうに振り返る。
俺は渾身の一撃を放つ。
パアァーーーーーン!
俺の一撃をアイナは片手で軽々と受け止めた。
それはパワーゴーレムを吹き飛ばしたあのパンチを遙かに超えるパワーを込めた物だ。
たとえアイナといえどもタダでは済まないはずなのに、こいつは腕をクッションにしてパワーを打ち消しやがった。
そしてアイナは悲しそうに顔を伏せた。
……いや、これは本当にアイナなのか?
何かが違うと感じながら、何が違うのかが俺には分からなかった。
「……どうしよう……マー君……」
目を伏せたアイナがつぶやく。
「……弱すぎて、戦いが盛り上がらない……」
顔を上げたアイナは笑っていた。これまで見せたことのない、嫌らしい表情で。
そして俺の拳に激痛が走る。
アイナが指先に力を込めて俺の拳を潰しにかかったのだ。信じられないパワーだ。
握りしめた拳が力負けし徐々にほどけていく。押しても引いてもビクともしない。
何だ、何が起きてるんだ?
アイナは手首を軽く下に曲げた。
俺はその力に耐えきれず地面に片膝を着く、いや、着かされる。地面が砕け散るほどの衝撃で。
しかし俺も負けてはいられない。
素早く体勢を立て直し、足払いをする。
「あら」
アイナは尻餅をついた。矢継ぎ早に俺はアイナの腕を取る。
そしてアームロックの体勢に持ち込んだ。
左手一本対俺の全身の力比べ。
アイナはパワーアップしているようだが、これなら耐えられないだろう。
俺は本気で腕を折るつもりで力を入れた。
しかしアイナから帰ってきた反応は、間の抜けたものだった。
「……マー君、何やってるの?」
アイナは反動を付けず、腹筋の力だけで上半身を起こす。
俺の身体も宙に浮く。まるで木にしがみつく猿のように。
そして今気付いた。
アイナの腕からは、かつて感じたしなやかさが感じられない。
細い腕には、この俺のパワーを全く受け付けないほどの圧倒的なパワーが眠っているかのようだ。
アイナは膝を曲げ、俺をぶら下げたまま起ち上がった。
重量バランスなどを無視した驚異的な力任せな方法で。
この時点で俺は、女の子の腕にしがみついてぶら下がっている情けない男という図式となる。
アイナは腕をクイッと曲げる。力比べにすらならなかった。
俺の全身のパワーを、あいつは1本の細い腕で圧倒したのだ。
あいつの顔がググッと近づく。
この数週間、俺はこの顔を見ないで過ごしてきた。
ここだけの話とても辛かった。いつも側にいるのが当たり前だった。
しかし今のあいつは何の感情もない目を俺に向ける。そして、俺の首根っこを捕まえて、左腕から引き離した。
何が起きてるんだ?
強大な俺のパワーが、今のアイナにとっては無に等しいかのようだ。
アイナは指先に力を込める。
「ぐわぁぁぁ……」
後ろから掴まれた首が締め付けられる。
俺は両手であいつの腕を掴み抵抗を試みるが、硬質化した細腕は俺の力を一切受け付けない。岩をも砕く俺の握力が、盛り上がる筋肉で押し返される。
逆にアイナの指先は俺の首にめり込んでいく。
……呼吸が苦しい。首が折れる……。
もうダメだと思った瞬間、指の力が緩まった。
遠くなる意識の中、目を開けると10人ほどの射撃班がこちらに拳銃やマシンガンを向けていた。この世界にはこんな武器もあるんだ……。妙な感想が出てくるのは判断力がおかしくなっているからか。
アイナが俺の位置をずらし盾のように掲げると、射撃班は少し動揺する。
「んー、でもこれじゃ面白くないか……」
アイナはつぶやくと、俺の背中にもう片方の手を当てる。
「バイバイ……マー君」
ピンという音と共に背中にとんでもない衝撃が走り、俺は吹き飛ばされる。
何かにぶち当たり、何かを破壊しているのが分かるが、その勢いが止まらない。
地面を転がり始めた俺は、両手両足を目一杯使ってブレーキをかける。
地面をえぐり、土煙をあげ、ようやっとその勢いが止まった。
えぐられた道はもの凄い長さだ。途中には瓦礫の山。瓦礫の山は明らかに俺が通ったと思わしき穴があり、遙か遠くにアイナが見える。
彼女は人差し指を伸ばしたままだ。
「マー君! 大丈夫かいな?」
ケンジさんがこちらに走ってくる。
俺は起ち上がろうとするが、目眩がしてへたり込んでしまう。
「……俺は、ここまで吹き飛ばされたんですか?」
ケンジさんはうなずく。
「そうや。しっかしとんでもないパワーやな。
デコピンでここまで君を吹っ飛ばすとは……」
「デコピン……ですか」
「気にすんなや。
宙づりにされ、踏ん張りが効かない状態なら仕方ないやろ」
「いえ、明確にパワーの違いがありました。
全く歯が立たなかった……」
「アイナちゃんって、元々そんなに強かったん?」
「もちろん強いですが、俺と同じレベルですよ。
……まぁ、本気で力比べとかしたことありませんが。
でも、あんなパワーを隠し持っていたとも思えない」
俺は起ち上がろうとするが、まだ上手く立てない。
「ちょっと待て……君は酸欠状態のまま驚異的な衝撃と加速に襲われたんや。
少し、ジッとしとれ……おっと」
俺の首筋を掴んだケンジさんが顔をしかめ、手のひらを見せる。
「血……ですか?
俺、出血はしていないと思いますけど」
俺は自分の首筋に手を当てると、確かに血がべっとりと付いている。
「恐らく……エーコちゃんの血や。
アイナちゃんの手刀で一発。
彼女の右手は血まみれや、気付かんかったか?」
……エーコ。
情けない……。俺は守ってやれなかった。
「……! そういえばケンジさん。
街のみんなは?」
「すでに避難しとる。
君とアイナちゃんの夫婦喧嘩は街で怪獣が暴れてるのと大差ないからなぁ。
まあ、見とれ。
これから俺らの戦いが始まるで」
ケンジさんの視線はアイナの方を向いた。
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