#17 えーこ

「ただいま」

 俺はえーこを連れて、家に戻った。

 キョロキョロと周りを見ながら俺に続くえーこ。

 今日は珍しく体調が良いのか、じーさんはリビングにいた。

「アイナかっ?」

 俺たちの姿を見てじーさんが起ち上がる。えーこは口元を抑え、驚く。

 突然、巨大な老人を見たんだ。当然の反応だろう。

「違うよ。俺とアイナの友人だ。

 住む所がないんで、しばらく泊めるけどいいかな?」

 じーさんは椅子にどさっと身体を落として、こっくりとうなずいた。

 おれはえーこの耳元で囁く。

「世話になってるじーさんなんだけど、最近視力が落ちてるんだ。

 なんか一気に老け込んじまったみたいでな」

 えーこは少しほっとした表情となって、頭をペコリと下げた。

 じーさんは宙をぼーっと見ている。

 ただ、今日はちゃんと食事を取ったみたいでホッとした。


「とりあえずアイナの部屋を使ってくれ」

 あの日以来、初めてこの扉を開ける。

 この部屋はまるで時が止まったかのように、そのままだ。

 なんとなく、あいつの香りさえも残っているよう。

 乱れたベッド。

 乱暴に切り捨てられた髪の毛。

 部屋干しの下着……下着!?

「え? アイちゃんもいるの?」

 えーこが驚いた声をあげる。

「……え、ああ。

 今、ちょっと遠出してるんだけどな」

「ああ……よかった……。

 無事だったんだ」

「無事だった……って?」

 えーこはベッドに座り、俺を横に座るように促した。

「驚かないでね。

 マー君とアイちゃんの家、火事で燃えちゃったの」

「え? 火事!」

「うん。カミナリが落ちて、それで。

 ふたりとも、行方不明になってたから心配してたんだよ。

 まさか異世界にいるとは……」

「そうか燃えちゃったのか……」

 かえって後腐れがなくていい……。未練を断つには十分な話だった。

「それよりマー君。どうしちゃったの、その身体。

 向こうじゃガリヒョロ君だったじゃん」

「へへ……。

 ここは弱肉強食の世界だからな。こう見えても俺、結構強いんだぜ」

「だよね。私抱いて、軽々と飛び跳ねてるんだもの。

 なんか、……ドキドキしちゃった」

 下を向いて顔を赤らめるえーこ。

「じゃ、じゃあさ、楽な格好になりなよ。それでメシにしよう。

 俺、パンとか買ってくるからさ。

 服はアイナのを借りるといいよ」

「ん……わかった」


 俺は自室に戻り、服を脱ぎ始めた。

「……水色だったか」

 ズボンをはいた所で、ドアがノックされる。

「どうぞ」

「失礼します……きゃっ」

 ドアを開けえーこが顔を覗かせるが、すぐに引っ込めた。

「あ……ごめん、アイナのつもりで返事しちまった」

 俺は上半身が裸のままだった。慌ててシャツを着る。

 再度、えーこが顔を出す。

「わるいんだけど……何か着る物貸してくれる?」

「いいけど?」

「アイちゃんのだと……胸がキツくて……」

 恥ずかしそうに入室したえーこのシャツは胸回りがパンパンで今にもボタンが弾けそうだ。

「あ、ちょっと待って。今、出すから」

 平然と対応する俺だが、心臓はもうバクバク鳴っている。

「ごめんね」

 そう言われても……何と答えるのが正解なんだろうな。

「はい、これでいいかな?」

「ありが……きゃっ!」

 彼女が腕を伸ばした瞬間、ついにボタンが耐えきれずに弾け飛んだ。


 俺の部屋の床にパンを並べ、夕食となった。

 いつもならリビングで食べるのだが、彼女がじーさんを怖がったのだ。いきなり違う世界に来て、巨大な老人に出会うというのはショックな出来事かもしれない。

「あはは。さっきはごめんね」

 えーこは俺のTシャツをパジャマ代わりに着てきた。

 大きく開いた袖口から覗く細い腕。にもかかわらず大きくゆがむ胸のイラスト。

「いやぁ、大変結構な物を拝見させてもらいました」

「もう、馬鹿」

「こんな物しかないけど、食べようぜ」

「いただきます」

 ちょこんと手を合わせてからパンを小さくちぎって食べるえーこ。いかにも女の子といった感じ。

 よく食べるアイナとは対照的だ。

 自室にいながらホームシックにかかっているみたいだ、俺。

 考えてみると、アイナは俺の身体なんか平気で覗いてくる。まあ、俺が気にしないというのもあるが。

 だから、えーこの“女の子らしい”反応は少し新鮮でもあった。

 ラフな格好だが、ちょっとした仕草でメリハリバディの片鱗が露わになる。それはあたかもシャツの下でわがままな別生物が暴れているようですらあった。

 スレンダーなアイナとは方向性が異なるナイスなプロポーション。

 ……というか、ふたりともハイスペック過ぎるんだよな。

 えーこの外見で中身がアイナってのが、ベスト。

 いや、アイナの高すぎる戦闘力はいらないか。

「アイちゃん、ほんとに戦ってるんだね。

 タンスの中見て、驚いちゃった。

 あんなきわどい格好してるんだ」

「きわどい格好?

 もしかして、ビキニアーマーみたいな奴?」

「そう、それそれ。本当にあるんだね、あんなの」

「はは、あれは単なる衣装だよ。

 さすがにあんな格好じゃ戦えないって」

「あはは、やっぱそうだよね。

 ……ねえ、私も戦わないといけないのかな?」

「明日、ギルドに行って登録してからだな。

 ほら、このリング。

 これ発行してもらわないと何にもできないんだぜ、この世界。

 お金もこれで払えるんだ」

「へぇ、さすが。異世界だじぇい。

 というか、ここ、異世界っぽさが全然ないんだもの。

 パンとか味も似てるし」

「バス、トイレ付きで違和感はないと思うよ。

 あ……サイズが少し大きいけど。

 まあ、おいおい説明していくよ」

「……異世界かぁ。

 マー君がいてくれて、本当に良かった。

 私ひとりだったら、どうなってたんだろう。想像もできない」

「どういたしまして」

「実はさ……こういう事になったから言っちゃうけど……。

 マー君の事、実は……ちょっといいなって思ってたんだよ」

「へっ? 俺、学校なんかほとんど行ってない引きこもりだぜ?

 えーこだって、アイナと仲が良いから話したことがある程度で」

「だって、学校なんか面倒くさいから来ない、みたいな感じなのに、テストの時だけ来て満点とっちゃうんだもん。

 それに、アイちゃんが一目置く人って他にいないもの」

 普通じゃないからな、俺。それに中学校のテストなんて、教科書の丸暗記ゲームみたいな物だ……とは言えないよな。

「家でやることなんて、勉強くらいしかなかったから……」

「……そういう事にしとこうか?

 私、知ってるんだよ」

 その言葉に、俺はギクッとする。

「な、何を……」

「マー君は本当はすごいって。

 アイちゃんに何度も聞かされた」

「アイナの奴、てきとー言いやがって」

「でも、当たってるじゃない。

 さっき見たマー君の身体、本当に凄かったし」

「やっぱ、見た?」

「うん。大変結構な物を拝見させてもらいました」

 俺の真似をしておどけるえーこ。

 思わずふたりで吹き出した。

「あー、何か久々に会話したって感じだ」

「アイちゃんいなくて、寂しいんでしょ?」

「うーん、どうだろ……。

 やっぱ、寂しいかな」

「会いたい?」

「うん。でもあいつは強いからな。

 あっちは俺の事なんか気にしてないんじゃないかな?」

「女の子だよ?」

「でも、あいつの方が精神的にも肉体的にも強いと思う。

 俺は一生、あいつには勝てないんじゃないかな?」

「ふーん。アイちゃん、スポーツ万能だもんね。

 マー君がそんな立派になってるんだったら、アイちゃんなんか筋肉ムッキムキになってるんじゃないの?」

「あるかも」

 えーこがボディビルダーのようなポーズをとりながらアイナの真似をした。

 妙に似ているような、似ていないような。

 アイナの事を本当によく見ているのだなぁと感心させられる出来映えだった。

 俺たちは涙を流して笑った。

 本当に、久々に笑った。

 俺はえーこに救われたと思うと同時に、彼女を巻き込んでしまったと強く後悔していた。



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