#16 真実
アイナが去った。
その夜、俺は一睡もせず彼女が帰ってくるのを待っていた。
が、現実は変わらない。
アイナがいなくなった翌日、じーさんが熱を出した。
医者に診せると『精神的なショックが原因でしょう』との事。
じーさんは熱に浮かされる中、「アイナを責めないでくれ。あの子を信じてやってくれ」と、懇願する。ゆえに、俺はアイナのことを問いただすことができなかった。
熱は数日で下がったが、それが原因か、じーさんの視力が急激に落ちた。今ではぼやっと物が見える程度に落ち込んでいた。それまで元気に動き回ってただけに、そのギャップが大きい。
クエストに出る前にじーさんの食事を作り置き、戻ってから全く手が付けられていないことを確認する毎日が続く。
部屋に引きこもり痩せていく様は、まるで昔の自分を見ているようで辛い。
看病をしながらも心は離れていくばかりで、俺はどうしたら良いか分からなくなっていた。
作る食事が半端になるため、俺は外食で不足分を補う事が多くなっていた。
そんなある日、あの出来事が起きた。
俺はいつものように、お店で料理を胃袋に流し込む作業をしていた。
「邪魔するよ」
突然、何者かが向かいの席に座った。
「貴様……!」
俺は身構える。
そいつは例の女騎士だった。相変わらずフルフェイスヘルメットを被っていて表情が読めない。
「そう殺気立つな。
ここは楽しい食事の場じゃないか。無粋だぞ」
「はん。そんな格好で言われても説得力ないぜ」
「この格好でないと私だと分かってくれないと思ってな」
「顔も見せないで、よく言うぜ」
「……私の愛を受けれてくれたならいつでもお見せするよ、坊や。
今日は話をしにきたのさ」
女騎士は自身の剣を鞘ごと俺に差し出した。
「分かった」
俺は浮かせた腰を椅子に落とした。
「助かるよ。
ここで戦っても私に勝ち目はない」
「あんた、何しに来たんだ」
俺は差し出された剣をふたりの中間に移動し、食事を再開した。
「……オキエだ」
「え?」
「私の名前。
愛する人から『あんた』と呼ばれるのは嬉しくない」
“オキエ”……何か引っかかる名前だ。
「……そうか。で、オキエ。早く用件を済ませてくれないか。
メシがまずくなる」
「ふふ……、名前を呼んでくれてありがとう。
実は、坊やに見せたい物がある。
ここに来てくれないかい?」
そう言ってオキエは折りたたんだ手紙を俺の前に置いた。
「何、企んでんだ?」
「何も。
ただし、無視するなら……この街で何人の命が無くなるかねぇ。
坊やには勝てないけれど、大抵の人間よりは強いんだよ、私は」
……やはりこいつは信用できない人間だ。
他に武器は隠し持っているのだろう。剣を預けたり、戻したりは駆け引きにも何にもなっていない。半ば予想していた事でもあるが。
オキエは人の命を平然と奪える人間だ。
最悪の選択肢が思い浮かぶ。
……今、ここでオキエを殺ってしまおうか?
無意識に手が震え出す。ビビっているのか、俺? 当たり前だ!
それをやったらこの世界に居場所はなくなる。それにアイナに顔向けできない……。そもそも目の前のオキエが影武者である可能性だってある。
選択の余地はない……か。
オキエがこの席に座った時点で、要求を呑まざる得ないのだ。
「……分かった。その代わり、みんなに手は出すな」
「愛しい人の命であるなら、厳守しますとも。
あとデートの事は他人に言ってはダメよ。必ずひとりで来て。
いいわね」
「……選択の余地はないんだろ?」
「そうそう、こちらは名乗ったのに坊やは名乗ってくれないのね。
まあ、いいわ……。
またね、マサトシ君」
「な……」
オキエは剣を取ると、すぐに背を向け去って行った。
嫌な汗が流れた。“マサトシ”は俺の本名だ。
ゲームでは“マサト”を使うことが多い。ここをゲーム世界だと思っていた俺は当然のように“マサト”を使っただけの話だ。
アイナは俺の事を“マー君”と呼ぶし、俺は一度だって本名を名乗っていない。
マサトシの名を知るのは、俺とアイナだけのはずなのだ……。
指定日に指定場所に向かう。
そこは何もない森の中だった。
「これか……」
指定された場所には魔方陣がひとつあるだけだった。
帰れる保証はない。覚悟を決め魔方陣を踏むと、周りの景色がにじみ別の風景に変わった。
薄暗い空間に、ふわふわと多数の黒いボールが浮いている。
ボールの中心には青い球があり、そのまわりを黒い霧のような物が包むカプセルのような形状をしている。
青い球には模様が付いていて、それぞれ違う形をしている。
これは、まるで……地球!?
「いらっしゃい、坊や」
カツン、カツンと足音を立て、奥から人がやってくる。
ふたり?
暗くてよく見えないが確かにふたり、オキエは誰かをはべらせて来た。
近づくにつれ、その姿が露わになる。
ひとりはフルフェイスヘルメットを被った女。
もうひとりは、髪を雑に切ったショートカットの女……まさか!?
違った。
一瞬アイナかと思ったが、はるかにグラマーで顔も全然違う。いつもなら、こんな勘違いなどするはずがないのに……。女がオキエに送る視線は、まるで“恋する乙女”だ。
「その人は?」
「単なるペットさ。私の愛を受け入れて暮れるなら、この程度ならいくらでもあげるよ。
私は坊やの強さを愛している。
だから資格がある。
どぉだい、私と一緒に世界を支配しないかい?
坊やがいれば、今までできなかった事ができるようになる」
「……俺は支配なんかしたくないし、そんな人はいらない」
「『たったひとりの愛が欲しい』とでも言うのかい?
はーはっは、ロマンチストだねぇ、坊や。好きだよ、そういうの」
オキエはその口ぶりとは裏腹に、忌ま忌ましげな表情を見せる。掛け値なしの嘲笑だ。
「お前はそんなことを言うために俺を呼んだのかっ」
「そんなこと言わないで、坊や。……これ、何だか分かるかい?」
オキエは両手を広げ、俺に問う。
「知らん。興味もない」
「……これはねぇ、ひとつの世界だよ。分かるだろう?」
「何を言っているんだ?」
「分かってるんだろう? “地球”なんだよ、みんな。
いわゆる平行世界。それを切り取ってここに並べているのさ。
このひとつ、ひとつにたくさんの人がいて、動物がいて、社会があり、文明があり、色々な物が産まれているのさ」
「嘘だ!」
「例えば……、そうだねぇ。
先日、坊やの周りでジャイアント・ホッパーが大量発生しなかったかい?
あれはこの世界からやってきたのさ」
オキエはボールを探すような仕草をし、目星を付けたボールにおもむろに手を突っ込んだ。
突っ込んだ手の周りには小さな電気が走っているように見える。
差し入れた手は黒い空間の中でまるで槍のように細くなっている。
オキエは何かを探す素振りを見せ、突然手を引き抜いた。
耳障りな爆発音が響く、まるで雷鳴のような。そして“それ”がつかみ出される。
先細った腕を引き抜くに従って“それ”は大きくなっていく。
ズボッと音を立てて“それ”はボールの外に飛び出てきた。
それは透き通っているけれど、間違いなくジャイアント・ホッパーだった。
オキエが手を放すと色が広がっていき、一気に実体化される。そして重量を伴って、地面に叩きつけられた。
ただし、時が止まったようにピクリとも動かない。
「な……なんだこれは!」
「坊やが戦ったジャイアント・ホッパー……のお友達だよ。その世界の人間を食い尽くした残忍な生き物だ」
オキエが指を鳴らすと、ジャイアント・ホッパーが目を覚ます。
はべらせている女が小さな悲鳴をあげオキエにしがみついた。
「ま、まさか……」
「そう、このスフィアはジャイアント・ホッパーの世界。
ここは、こいつらで満たされている。
必要なら、いくらでもここに呼び出すことができるのさ」
ホッパーが眼を覚ますと、オキエはその脳天に剣を突き刺した。
唖然とする俺を、オキエは笑う。
「他に何が見たい?
折角だ、服でもプレゼントしようか」
別のスフィアに手を入れると、今度はシャツ、ズボン、靴と次々と取り出した。
「分かるかい?
この世界では物を作る必要なんてないのさ。
必要な物は全て別の世界に作らせればいい。
服も、食料も、人も……」
「まさか、店で売っている商品って」
「ご名答。ただし、ここではないがね。
専用のスフィアがあって、そこで生産している。
それを引き抜く専門職がいて、魔方陣でギルドに転送、お店はそこから仕入れているという訳さ。
どうだい? 坊やの好みにあう物があっただろう?」
「……つまり、ここは他の世界から搾取するだけのニセの国って訳か」
「いや、どちらの世界も本物さ。
搾取されるだけの世界があるというのは正しいがね」
オキエはスフィアを愛おしそうに撫でる。
「ゲームじみたこの世界が本物の訳ないだろう!」
「はっはっは。こいつはお笑いだ。
ゲームだって?
ここにある全てのスフィアが、ひとつひとつ別の世界なのさ。
坊やたちがいたのが私の用意した世界。
むしろ坊やたちが元々ゲームの世界にいて、この現実に戻ってきたという方が正解に近い」
「嘘だっ!」
「嘘なもんか。
これが現実……いや、これも現実だよ。
そもそも自分たちのいた世界が唯一の正解であるなどとは夢にも思わないことだね。
真実はひとつとは限らない。
たとえば経験を積むことによりレベルが上がるというのも、ナンバー3945の世界にあった技術を応用して作られたものだよ。
面白いだろ? これもまた真実さ。
そして面白いものでな。
技術が進化していくと人間は段々ダメになっていく。己の産み出した技術に追いつけず滅んでいくのさ、例外なく。
ナンバー3945もやがて滅んだ。
なぜか分かるか?
簡単なことさ。
愚か者にも公平に技術が与えられたからだ。だから、優秀な者にだけ技術を与えた。
高度な交通手段は文化交流が発生する。だから、私が潰した。
新しい物を産み出す者がいた。邪魔だから、私が殺した。
ここは、私による完全な統治が行われている世界なのさ。
……坊や、感じなかったかい?
ここの世界はとっても心地良かっただろ?」
「……」
オキエは歩き出す。そして、ひとつのスフィアに手を当てた。
「これが坊やのいた世界だよ。
坊やの能力を引き出すために調整した特別製さ。
どうだった?
成長するに従って面白いようにパワーがついていっただろう? 子供の癖に大人顔負けの能力がいとも簡単に手に入る。
感謝して欲しいくらいだねぇ」
「貴様っ……」
「この世界の文化レベルに違和感が生まれないよう、あらかじめ学習してもらった。
ゲームという形でね。
だからこの世界にはすぐに慣れて、今ではあっちよりも住みやすくなったはずだ。
違うかい?」
そうなのだ。
確かに最初は違和感があった。
しかし、次第にその違和感は心地よさに変わっていった。
ここに住んでも構わないほどに。
「ハ……ハ、ハッタリだ。
そ、そ、そんな事が……」
「うーん、思ったよりも強情だねぇ。
坊やは……」
オキエは俺の世界だというスフィアに手を突っ込み、そして何かを引き出した。
それは、眠るように身体を丸めた少女だった。
「……これは!」
「覚えがあるだろう?」
……それは決定的と言えた。
アイナと同じくらいの身長、大きな胸、長い髪、そして俺たちの学校の制服。
……俺たちのクラスメイト、えーこだ。
「……本物なのか?」
「本物だよ。
何なら触って確かめてみるかい?
今なら意識はないよ。好きなことができる」
俺はほほに触れてみる。暖かい。でも、生命感がない。
「俺に何をさせたいんだっ!」
「何度も言っただろ?
私の愛を受け入れて欲しい。
坊やに、人並みの愛を得る資格など本当はないのだよ」
「なんだと……」
「坊やは、自分が何でそんなに強いのか、考えた事があるのか?
異常だろう。
異常過ぎるだろう、そのパワーは。
坊やは作られた人間なんだよ。
誰よりも強く、全てのものを圧倒するほどにね。
まだ幼かった坊やたちを細かく分解。
そしてスフィアに小さな穴を開け、そこにパーツを通し、スフィアの中で組み立て直すという訳さ」
この作り方は……まるで“ボトルシップ”じゃないか。
そしてじーさんの言葉がフラッシュバックする。
『すまん……』
まさか、まさか……。
俺の困惑をよそにオキエは話を続ける。
「一時的にパワーは失われ常人レベルにまで落ちるが、すぐにそれ以上のパワーを得ることができる。
このスフィアはそういう場所だ。
坊やはここで生きているだけで強大なパワーを得ることができる。
身体がしっかりとできあがるのを待って、こちらの世界に引っ張ってきたという訳だ。
素晴らしいパワーだろ? その身体は私が作ったのさ。
だからその力は私の物だ。
お前は私の物だ。だから私の愛を受け入れる義務がある。
誤算だったのは、予想以上のパワーで引き上げる時に逃げ出してしまったこと。
でも構わない。それは嬉しい誤算なんだから。私は強い者を愛するから」
オキエが剣を振り上げた。
「もう、このスフィアは不要だ!」
「ま、待ってくれっ!
それだけは止めてくれっ!!」
「ならば、私を愛してくれるのだな……」
「……す、すまない。
たった今、俺の世界観が完全にひっくり返っちまったんだ。
少し、考える時間をくれないか。頼むっ!」
オキエの反応は意外に冷静だった。
「……なるほど。
それは、そうかもしれない。
坊やには価値があるから、待ってあげてもいいかね……」
それは、価値がないなら待たないという意味でもある。オキエは必要な物になら時間をかけるが、不要になればポイと捨てる性格に思えた。
「それから、ひとつだけお願いがある。
彼女……えーこをスフィアの中に戻してくれないか?」
「……そいつぁ無理だねぇ。
こちらから搾取する事はできるけど、戻すことはできない。
それができたら、坊やを作るのは簡単だったさ」
俺は今、えーこを抱きかかえ、家路を急いでいる。
オキエは「世界の秘密を他の者に知られる訳にはいかないからな」と言って、10分後にえーこの意識が戻るように処置してくれた。
そして一本のスティックを渡し、決心がついたらこれを折るように言った。
俺の腕の中でえーこは停止している。もうじき眼を覚ますだろう。
「それにしても……でかいな」
アイナとは別の柔らかさと、比較にならない迫力がある身体だ。しかもウエストはかなり細い。アイナとさほど変わらないほどに。
それでいて胸の盛り上がりは比較にならない。
いわゆるボン・キュ・ボンの超わがままなボディが腕の中で眠っている。
制服というのは体型を誤魔化しやすくできていると聞いたことがある。それゆえ、ぽっちゃり体型に見えていたのだろう。というか身体のラインが現れていたら、男子生徒は間違いなく授業に集中できない。
つくづく俺の目は節穴だったと思う。
元々、俺とアイナとえーこの3人は妙に気が合う所があった。たまに俺が登校すると、彼女は嬉しそうに接してくれたものだ。
そろそろ目覚める頃だろう。彼女が起きる前にもう一度だけ目の保養。
「えーっと、A、B、C、D、E、F……Gか……。すげえな」
頭の中を“Gカップ中学生”というパワーワードが駆け巡り、離れない。
最後にもう一度、お胸を拝見しようと視線をずらすと……。
「……やっぱり……マー君、……だよね?」
しっかり、えーこと視線が合ってしまった。
彼女の大きな目がパチクリ。
つい横を向いてしまう。頬が赤くなってないよな……。
「な、何……してるの?」
「説明は後でするから。
しっかり掴まってて」
俺はわざと高く舞い上がり、スピードを上げた。
「きゃーっ!」
えーこは俺の首にしがみつく。
必然的にその身体を俺に押しつける事となった。
うぉ! 本当にこの子、俺と同じ歳か?
しみじみすげーな、と今、俺はモーレツに感動している。
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