#15 ひとり
「なあ、アイナ。
お前、最近考え事が多くないか?」
「え?
そんな事ないよ。
それより、今晩何にする?」
「そうだなぁ。
麻婆豆腐とペペロンチーノの山盛りとかでどうだ?」
「分かった、今日はその方面で攻めるね。
……あ、いっけない。
今日、洗濯物干しっぱなしだった」
「ああ、そっちは俺がやっとくよ」
「ダメ! マー君は買い物担当」
「でも俺、何買って良いかよくわかんねーぞ」
「適当でいいよ。
どーせ、すぐに無くなっちゃうから。
とにかく洗濯は、わ・た・し」
「はいはい」
お気楽な会話をしている俺たちだが、ただいまクエストの真っ最中である。
今回はジャイアント・ホッパー退治で群れの中にいる。
簡単に言うと1メートル近くあるバッタの仲間でレベル10程度の強さ。
ベテラン戦士なら得るものが全くないといって、敬遠される獲物だ。
通常なら中堅程度の戦士が担当する案件でもある。
通常なら。
「まだ、終わらないのぉ」
「いい加減、勘弁して欲しいよなぁ」
こいつらは恐怖心という物がなく、群れが獲物と認定した生物を倒すまで襲ってくるのだ。
もちろん俺たちにとって、こいつらは相手にならない雑魚キャラだ。
ゲームで言えばAボタンを押すだけで倒せてしまう単なる障害物。
しかし、その数がとにかく多い、多すぎる。
ゲームクリエイターなら処理落ちを心配し、漫画家ならその作画に悩み、アニメスタジオならCGに逃げて大量のコピペでオブジェクトを置き、多すぎるデータにレンダリング時間を気にするレベルだ。
強くなくとも数で圧倒する。それがこいつらの戦い方だ。
今回、ジャイアント・ホッパーが異常発生し、最強の初心者に仕事が回ってきたのだ。
こうして俺たちはよそ見をしながらAボタンを連打するような作業を延々と続けている。
そして使いもしない経験値だけが溜まっていく。
しかし下手に逃がして街に逃げ込まれたら大事だ。
見逃すことはできない。
「もう、飽きたぁ~」
1時間後、俺たちの眼の前には文字通りジャイアント・ホッパーの山があった。
頂上を見続けると首が痛くなる。
「どこに、こんだけのホッパーがいたんだ?」
「これ、どうする?」
「とりあえず、燃やすか……。
他のモンスターが集まってきても困るしな」
ポシェットから薬品を出し調合して炎を作り、ジャイアント・ホッパーの山に投げつけた。
「わわっ! 凄い煙。
やーん、髪の毛に匂い付いちゃう」
アイナはポニーテールを揺らしながら風上に移動する。
「切っちゃえよ、髪なんか」
「べーっだ、いやよ。
髪は女の命なんだからね」
いつものたわいもない会話が続く。
アイナはポニーテールを一度ほどき、櫛を入れ始めた。
そういえば、この世界では髪を伸ばしている人が少ないなぁ。
簡単にとかすとまたポニーテールを作る。
「風が強いな。
離れると危険だし、ただ見てるだけだから、俺ひとりでいいよ。
アイナは先に戻ってメシの支度、お願いできるか?」
「んー、そうだね。
じゃあ、こっちは頼むね」
アイナは軽く手を振って、燃えさかる山の横を駆け抜けていった。
その背中が見えなくなると、俺は近くの岩に腰を下ろした。
いつでも消火剤として使えるように魔法石を調合し、カプセルに入れる。
カプセルは最近見つけたナイスなアイテムだ。
中は壁で仕切られていて、投げてぶつかったショックでそれが割れ魔法石などが混ざり発動する仕組みだ。
その場、その場で調合する必要がなく、作り置きできるので便利なのだ。
「そう言えば、この世界に来てひとりになるのは、初めてかもしれないな……」
俺の横には常にアイナがいた。
じーさんの家では隣部屋だけど、常に会える環境にあった。
実のところ、俺はひとりになりたかったのだ。
先日の女騎士との一件。
俺の腕の中でひとりの人が死んだ。
やはりそれは、俺に小さくない動揺を与えていた。
どんなに時間が経とうとも、あの時の感触は忘れられない。
正直、今日のクエストも人型のモンスターでなくて助かった。
もし、この山がゴブリンやコボルトだったりしたら、俺は参っていたかもしれない。
……もしかするとアイナには見破られているかもしれない。彼女は何も言わないけれど。
この世界は弱肉強食。
圧倒的なパワーを持つ俺たちには優しいとも言えるが、常に死がつきまとう。
平和な世界に生きてきた俺は、精神的に弱いのだろう。
『君らは強いけど無敵ではない』
ケンジさんの言葉が重くのし掛かる。
そう。俺は無敵ではない。最近、つくづく感じる。
俺が俺でありえたのはアイナが側にいてくれたからだ。
もし俺がひとりでこの世界に来たのなら簡単に酷い目にあっていたように、今にして思う。
恐らく、それはアイナも同じだろう。
最強だ、何だとおだてられているが、結局はふたりいないとダメなのだ。
「でも……、アイナは俺が守らないとなぁ……女の子だし、あいつは」
色々な考えを巡らせている間に、ジャイアント・ホッパーの山はほぼ燃え尽きた。
たまには、ただひとりで考えている時間というのも悪くないな。
俺は起ち上がり、帰途につく。
家に着く頃にはすっかり暗くなってしまった。
「おや?」
洗濯物が出しっぱなしだ。
アイナにしては珍しい。
あいつがこんな凡ミスをするのは初めてじゃないだろうか。
洗濯物を取り込もうと手を伸ばして、止めた。
「パンツがない、とか言われても面倒だからな……って本当にないじゃん」
アイナの下着類だけが見当たらないのだが盗まれた様子はないので、恐らく部屋の中に干しているのだろうと思い当たった。
「チッ……」
特に見たいわけでもないのだけど、ないとガッカリするのが人のサガというもの。
家に入ると同時に俺は声を張り上げる。
「おーい、アイナ。洗濯物、干しっぱな……あ、いらっしゃいませ」
リビングにはじーさんとアイナ、そして見知らぬ老婆がいた。
なにより空気が重い。そして、なぜかアイナの目が真っ赤だ。
「ほーほっほ。お前さんがもうひとりか。
わしは目が不自由でのう。
名はオキバという。よろしくな」
「……はあ」
来客のはずのオキバがひとりで喋り、じーさんとアイナが黙ったままという奇妙な状況が続いている。
「実はな……」
「待って、オキバさん。……私が、私から言う」
こんな真剣なアイナは初めて見るかもしれない。
俺は黙って彼女の前に座った。
アイナはしばらく黙って考えをまとめてから、ようやっと次の言葉を口にした。
「私、……この家を出ます」
「……へ?」
「このオキバさんの旅に同行します」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。
何をいきなり。相談もなしかよ。
俺たち、いつも一緒だっただろ。
なんで……」
アイナが言葉を詰まらせ、代わりにじーさんが答える。
「すまん……」
「意味分かんねーよ。
なんでじーさんが謝るんだ」
今度はじーさんが言葉を失った。
「それはな……」
「言わないでっ!」
オキバの言葉をアイナが強く遮った。
何が起きているんだ。俺は本当に訳が分からない。
アイナの目から涙が溢れている。
「も、もう……マー君、私がいなくても大丈夫……だよね。
辛いことがあっても、ひとりでやって……いけ……る……よね」
「アイナっ!」
言葉を言い切るやいなや、アイナは自室に逃げ込んだ。
俺は慌てて後を追う。
アイナはベッドに顔を埋め、声を押し殺すように泣いていた。
「なんでだ! なんでだよっ!
俺たちいつも一緒だったじゃないか」
「……仕方……ないの……。
分かって……」
「分からねーよ。
何より俺が納得できない。
お、俺は……俺は、お前と別れたくない」
アイナは顔を上げる。こんな辛そうな表情、初めてだ。
かつての運動会でのトラブルの時も、これほど取り乱してはいないかった。
もう涙でぐちゃぐちゃだ。
そして何かを言おうとするが言葉にならない。
俺が声をかけようと近づくと、いきなり彼女が抱きついてきた。
しなやかな身体と心臓の鼓動、全てがダイレクトに伝わってくる。
ただ顔が、表情だけが……分からない。
耳元でうめくような言葉にならない声が聞こえてくる。
そして、ようやっと、絞り出すように、彼女は言った。
「私……マー君が好き。
きっと、出会った時からそう思うように仕組まれていたんだと思う。
笑った顔、怒った顔、泣いた顔、全部好き。
大好きなの」
「なら、なんで……」
だんだんと抱きしめる力が強くなる。
「この世で私を受け止めてくれる人はマー君だけ。
でもね、だから怖いの」
「何が……」
「この前、マリアさんの所で赤ちゃん、見たでしょ?
いつか、私も欲しいと思った……。
マー君との愛の証し」
「……」
「でも……私は、この遺伝子を残したくない。
こんな強すぎるパワーはいらない。
こんな苦労を私は私の子供にさせたくない。
だから、マー君と一緒になることはできない」
「な……何を……。
馬鹿なことを言……」
俺の反論をアイナは唇で封じた。
それに逆らう事はできなかった。
そして、その先を求めようとする俺を、アイナは優しく突き放した。
アイナは背を向けると引き出しからナイフを取り出し、迷うことなくポニーテールを切った。
「この先、髪の手入れとかできなくなると思うから……」
髪の毛の束を、そしてナイフをそっと机の上に置いた。
その時のコトッという音が、俺の中で大きく響く。
目を伏せたアイナが俺の横を通り過ぎる。
振り向くことすらできなかった。
「さようなら……」
背中越しにドアの閉まる音がした。
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