#04 邂逅

「おい、藍奈。起きろ」

 俺は腕の中の彼女を軽く揺さぶった。

 朝焼けの光の中、彼女が眼をあける。

「ん……おは……え、何っ! えっ! えっ!! えっ!!!」

 藍奈はとっさに身を丸めた。

 パターンなら手足をバタバタさせて暴れる所。

 咄嗟の事でもそれをしない所に彼女の生活習慣が見て取れる。

「助かったよ、暴れないでくれて」

 俺はスリッパを脱ぎ、彼女をそっと降ろす。

 藍奈は徐々に状況を理解したのか、ガックリと肩を落とした。

「やっぱり……夢じゃなかったんだ……」

「ああ。とりあえず近くの街に近づいたんで起きてもらった」

「ごめんね、大変だったでしょ?」

「いや、それなりに面白かった」

「…………!

 えっ! 私なんか寝言とか言ってた?」

 朝焼けの中、それでもハッキリと分かるほど顔を赤くして俺を責め立てる藍奈。

「何にもねーよ。

 それより、やっと街だ。

 まだ人は見かけないけどな」

「……うん。

 せめて言葉が通じれば良いね」

「というか、人であって欲しいよ」

 俺が歩き出すと、彼女は後ろを追いかけてくる。

「……あっ」

 最初の建物が見えてきた。

 ゲームと同じレンガ造りの……確かここは民家のはずだ。

 タンスにコインがあって、序盤のプレイヤーとしては助かった。

 でも、今この世界でやったら問題になるだろうなぁ。

 アイテムを“取る”ではなく、“盗る”になってしまいそうだ。

「マー君。

 この壁、本当にレンガだよ」

 藍奈が壁を撫でながら言う。

「森も、地面も何もかもリアルだし、街の作りもゲームにそっくりだ。

 俺たち、完全にあの世界に入り込んじまったらしいな」

「信じられない……。

 これからどうする?」

「このゲームでは、まずマスターと契約を結ぶ必要がある。

 マスターを介して冒険者ギルドに登録するのが最初のイベントだ」

「……うーん。

 それしかないの?」

「情報がなさすぎる。

 行くしかないだろう」

 俺はTシャツ、短パンに裸足。

 もうひとりはパジャマにスリッパ。

 どんなクソゲーでも、こんな酷い初期装備はない。

 しかも俺たちは一文無し。

「せめてスマホでもあれば良かったのに」

「基地局ないからアンテナ立たねえんじゃねえの?」

「あ、そか。

 モンスター倒してもアイテムもお金も落とさない、ケチくさい世界だね。

 それでも、やるしかないか」

 藍奈はひとつため息をついて覚悟を決めたようだ。

「よし行くぞ、こっちだ」

 本当にゲームと同じ街並みだ。

 よくある似非中世西洋風の建物が並ぶ。

 まるで本物のように作り込まれている反面、得体の知れない違和感が漂っていた。

 というか、これがゲームなら恐ろしいほどのデータが一件の家に使われていることになる。

 ポリゴンにテクスチャーを貼ったのではない。全て本物。

 そんな無駄な事をするゲーム会社があるのだろうか?

「なんか……不思議……」

 藍奈も恐らく同じ感想を抱いているのだろう。

「ゲームでは、マスターはハゲで白い髭を蓄えたおじいさんだったな」

「もし、その人が出てきたらゲーム世界確定かな?」

「そう考えざるを得ないだろうな。

 ……あっ、ここだ」

 俺たちはゲームでのスタート地点にたどり着いた。

 家と言うより、何かの事務所的な感じ。思ったよりも建物が大きく感じられる。

 大きく息を吸ってドアをノックしようとした瞬間、後ろで藍奈が大声をあげる。

「あー! マー君。

 ちょっと、こっち来て! 早く!!」

「どうした!」

「これ、これ。見て、見て」

 俺は急いで彼女の元に向かう。

 彼女は笑いをこらえつつ、入り口のポストと思わしき物体を指さしていた。

「あっ……なんだ、これ……」

 俺は全身の力が抜け、その場に座り込んだ。

 そして力なく笑い始めた。

 藍奈もついに笑い出す。

 彼女が見つけたのはこの家の表札。それにはこう書いてあった。

   【 増 田 】

 見慣れた、完璧な日本語。

 しかも“ま・す・だ”。

 しっかりと再現された明朝体。

 世界観を完全に無視した表札に懐かしさやら、意外さやら、色々な感情が弾けてしまい、ついには俺たちは大声で笑い出してしまった。

「誰じゃ! うるさい!!」

 玄関の扉が開き、中の人が出てきた。

 ハゲた頭に白い髭。

 ゲームのマスター、そのままのじーさんだ。

「お前たちは人の家の前で何をしとるんじゃ!」

 ズンズンと近づいてくるじーさん。

 怒っている言葉が、完全に理解できる事が嬉しかった。

 が、喜びもそこまで。その後に強烈な違和感が生じる。

「ねぇ、マー君。なんか遠近感がおかしくない?」

「ああ……いや、違う! あのじーさんがデカいんだ!」

 座り込んだ俺に、じーさんはググッと顔を近づけてくる。

 やはり俺よりも一回りか二回りほどデカい。

 ビビる俺の顔をにらみつけた後、プイッと横を向く。

 次に藍奈を下から上まで、なめ回すように見る。

 何回も、何回も。

「来い、小さいの。

 メシくらいは食わせてやるよ」

 俺と藍奈は思わずハイタッチした。


 家の中は、あまり違和感がなかった。

 水道はあるし、トイレも水洗。

 風呂だってある。

 上には照明もある。

 ただ、部屋が猛烈に散らかっているだけだった。

 何だか馬鹿にされた気分になってきた。

 そして、サイズがでかい。

 じーさんも身長は190センチ位はありそうだ。

「ねぇ、マー君。これって……」

「ああ、じーさんがデカいんじゃなくて、俺たちが小さいんだ」

 ゴブリンが思ったよりも大きいのはこういう事か。

 ドアも、窓も、コップも。

 全てが2割程度大きいイメージだ。

「お前ら、何か匂うな。

 シャワー浴びてこい」

 じーさんはどこかに電話をかける。

 藍奈がシャワーを浴びている間に荷物が届いた。

 届いたのは2組の上下トレーナーと靴だった。

 “たびびとのふく”や“ぬののふく”でなくて安心したような、そうでないような。

 シャワーを浴びる藍奈へトレーナーを渡すのに、ちょっとだけ苦労した。

 続いて、俺もシャワー。藍奈と比べたら烏の行水だ。

 シャンプーなどもあったが、流石に使うのは気が引けた。

 届いたトレーナーはなぜかサイズピッタリ。

 藍奈は袖をまくる必要があったが、それでも極端に大きいというレベルではない。

 どう考えてもじーさんのサイズにはあっていない。

 別に子供用という訳でもなさそうなのに、不思議だ。

「藍奈、とりあえず俺たちのパワーの事は隠しておこう。

 適当に話しするから合わせてくれ」

 俺の言葉に、藍奈は黙って頷いた。

 そしてじーさんの待つ部屋に移動する。

 何だか緊張する。

 そう言えば、最近まともに人と話をした事がない。

 よくよく考えると藍奈の方が適役かとも思ったが、この世界については俺の方が詳しい。

 やむを得ないか。

「おう、お前ら、そこに座れ」

 俺たちが椅子に座ると、足が届かない。それだけで情けない気分になる。

「やもめ暮らしなんでな、こんなモンしかないんだ」

 そう言って眼の前に置いたのはカップ麺。しかもビッグサイズ。

 見た事がないブランドだけど、しっかり日本語で【味噌ラーメン】と書いてある。

 唖然とする俺たちをよそに、じーさんはポットでお湯を注ぎはじめた。

 もう、何が何だか分からない。

 3分の沈黙の後、俺たちは猛烈な勢いでラーメンを啜った。

 長い間、ロクにメシを取っていなかった俺の胃袋は、少し多めのラーメンでも平然と受け入れた。

 俺は胃袋まで特別製らしい。

 これから何があるか分からない。食える時に食っておかないと後々後悔しそうだ。

「ごちそうさまでした」

「そうか。じゃあ、行くぞ」

「行くってどこにですか?」

「ああん? 登録だよ。まだなんだろ?」

 じーさんはそう言って左手首のリングを見せた。


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