誕生日。

次のミッションは、私が退社へ向けて、引き継ぎも含めた仕事をまっとうすること。


仕事は順調に進んだ。

こぼれたものがあったとしても、私は3月の何日かまでは転居せずにいるので、アルバイト的に片付けに行けばいい。


そんな中、夫が私の誕生日が近い週末に、お祝いに来てくれることになった。


二人で祝う初めての誕生日。

今まで、私の誕生日をそんなふうにちゃんと祝ってくれたカレシなんていたかしら?


私は勝手に恋人に必須の三大イベントは、互いの誕生日、バレンタインデー、クリスマスという認識を持っている。

それなのに、これまでつきあった人はみんなイベント嫌い、記念日嫌いか、そうじゃない場合でも当日どちらかが残業で、後日お茶を濁したようなデートで終わるとか、もっとひどいケースでは、よりによってイベントの直前に関係が悪くなるとか別れるとか──それも一度や二度じゃない──そんなのばっかりだった。


一人、誕生日が過ぎてからプレゼントをくれたカレシがいたけど、その時は「これまで私とつきあってきて、私がこういうものを身につけるようなセンスの持ち主と思ったの!?」と仰天することになった。


いつ? 私に、いつこれをつけろと??


そうとは口には出さず、喜んでるフリはしたけど……それは、冬のアウトドアでつけるような(スキーやスノボでもいいかもしれない)、モコモコで見た目がごっつい茶色いミトンだった。

ふと通りがかったデパートかなんかのワゴンセールにそれを見つけて、急に思い立って、「これでも買っとくか」と深く考えもせずに購入してる図が浮かんだ。

私のことをそれほど大事に思っていなかったのか、誕生日(のお祝い)というものを大事に思っていなかったのか、その両方なのかわからないけど、そういうヤツだった。


そんなことを思い出しながら、これを夫がくれたとしたら? と考える。


たぶん、心底うれしいだろう。

そのセンスのなさまで、愛おしいと思う。

何より、イベント嫌いの夫が間に合わせであれプレゼントを買おうと思ってくれたことを、特別に貴重なことと感じたりもして。


”惚れる” ってことは、なんてゲンキンで、自分勝手で、そして強いことだろうと自分でも驚く。

何でも、いいように受け取れる。すべてを肯定できる。

こんな幸せなこと、ほかにあるかな。



夫は正直に、何がいいかわからなかったのでと、ケーキとお花をくれた。

お花は本当に本当に大好きなので(前からそう言ってあった)、とってもうれしかった。


特にごちそうを作るでもなく、ふつうの夜ごはんを食べたあと、ろうそくを立ててお祝いした。

「こんなんでよかったのかな」

と、夫はケーキについてるプレートの文言を気にしている。


「Happy Birthday みさえさん」


完璧だよ!

ほかに何がいる??


「うん。ありがとう」とだけ言って、自分でハッピィバースディの歌を歌った。

夫はいっしょには歌ってくれなかったけど、そこにいて、誕生日をいっしょに祝ってくれるだけでよかった。


じゃあ、お願い事するね、と私は目を閉じた。


「この幸せがずっとずっと続きますように」


心の中でそう祈って、ろうそくを吹き消した。


あれは、当時の私の一人暮らしの部屋で過ごす、一番幸せな日だったと思う。

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