大きな一歩。
私は肩から背中へと、壊れたロボットを蘇らせるべく、ていねいに押したりもんだりなでたりした。
夫は途中でポツリと「すみません、人に体を触られることに慣れてなくて」と言った。
確かに、リラックスして身を任せているというよりは、体を硬くしてるような感じもする。
夫は子供のころから、自分が周りの人たちとどこか違うのではないかっていうコンプレックスを持っていたそう。
その感覚が何なのか知りたくて、勉強して発達障害やコミュニケーション障害などを知り、自分もそうなんじゃないかと疑った。
結局、診断がついたわけでもなく、ちょっと変わり者程度のことだったのかは誰にもわからないのだけど、本人は大学でもそのあたりを専攻し、ついには職業にしてしまった。
というわけで、あまり他人と深く関わりたいとも思わず、変わり者上等で開き直って生きてきたのが、なぜか結婚してしまった。
←今ココ
という状態の夫だった。
他人に体に触れられたくない。
そういう人がいることは知っていた。
さて、どうする?
こうやって、マッサージとかしていれば、いつか慣れるだろうか??
そんなことを考えていたら、夫がおもむろに起き上がって、意を決したように言った。
「抱きしめさせてください」
そんなこと、口に出して言われたのは、生まれて初めてだった。
抱きしめてもいい?
くらいの言い方なら、あまり違和感もないのかもしれないけど。
こんなていねい過ぎるほどの言い回しも初めてなら、そうやってきちんと許可を求められたのも初めてで。
でも、私は「あぁ、これが夫(らしさ)なんだ」って妙に感動した。
すごく的確な言葉に思えた。
黙ってうなずくと、夫はぎこちなく私の体に手を回して、ゆるく力を込めた。
やさしいやさしい抱き方だった。
それから永遠かと思うくらいの時間が、無言のうちに流れて。
この先どうしたら? とちょっと考えて、遠慮がちに、でも何でもないことのように「服、脱ぐ?」って訊いた。
夫は答えずに、そのままの体勢でなおも動かずにいたので、もう一度同じことを言った。
すると夫は、「今日はここまで」と言って体を離して立ち上がった。
うん、そうだね、と夫の背中に言って、それからふつうに話をした。
一歩一歩。
本当に、その後も一歩一歩だった。
こうして振り返ると、今、スキンシップ好きの私がちゃんと満足する程度にはイチャイチャさせてくれるようになってる夫を心から褒めたい。
最初は小さな一歩に見えたけど、あれはきっと、私たち夫婦にはとてつもなく大きな一歩だったのだ。
それからさらに数回を経て、晴れて私的にも公的にも私たちは夫婦になった。
ソツなく上手くなんて求めるべくもなくとも、誠実に一生懸命向き合ってくれることが私にとっては一番の愛情のしるしで、実際、私は今までの誰に対するよりも敏感に反応する自分の体に驚いた。
たぶん夫は、女性の体とはそういうものだと受け取っていたと思うけど、そうじゃない。
本当に好きな相手だと(もちろん毎回付き合う人のことは「本当に好き」と思っていたけど)、こんなにも違うんだ。まるで、夫の指先から魔法の粉でも出てるんじゃないかと思ったほどだった。
好きの度合いなのか、特別な運命の相手とかそういうことなのか、からくりはよくわからないけれど、幸せな交わりというものの最上級の形を、私は奥手な夫のおかげで知ったのだった。
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