呼び名。

お互いの家族との顔合わせと入籍にまつわるあれこれが、徐々に具体的な形として見えてくると、いよいよ「本当に結婚するんだ」という実感が増して、

そのころの私は、文字通り、天にも昇るような幸せの中にいた。


そう言うと、夫は「それはいいですね」なんてどこか他人事みたいで、

「そういう感覚は自分はまったくわからない」と、相変わらずの自称「恋愛不適合者」ぶりだった。


とにかく、気分のモードの「普通の状態」が、普通の人より低いところに位置してるんだそう。

そして、そこからさらに下がることはあっても、アップすることは滅多にない。

だから、気持ちが沈んでるように見えていても心配しなくていい、それが仕様なので。

と、夫はメールに書いてきた。


でも、結婚に向かいながら「きっと、これって幸せなんだろうな」という意識はある。

とも書いてきた。


そんな中、Twitter で「仕事にも行かずに……」というような発言を見つけて、

体調か、それとも何か(悪い意味で)すごいことがあったのか、とさすがに心配になって、私からメールしたことがあった。


すると、

「実は、どうせ仕事も休んじゃったので、いきなりみさえさんに会いに行こうかとも考えたんですけど、思い留まりました」と言ってきた。


結局、ひたすら寝て過ごしたらしい。

(原因は、体調と仕事のトラブルの両方だった)。


私は「会いに行こうかと考えた」ということがすごくすごくうれしくて、それまで夫からもらった言葉の中では一番胸に響いたと言っていいくらいだった。


ちょっとは好かれてるのかな、って思えたし、少なくとも、体調や気分がダウンしてる時に真っ先に思い浮かべてもらえる存在にはなれてるのかな、と。



さておき、そんなふうに恋愛に興味がなくて、超がつくくらい奥手で非恋愛体質の夫が、なぜマッチングサイトなんかに登録したのか。

だいぶ経ってから訊いたことがあった。


ある年齢を境に、「自分もやっとなったと思えた」「今の自分なら、結婚を視野に入れてもいいかもと思うようになった」とのことだった。


それを聞いて、そのタイミングまでに私がほかの人とくっついてなくて、夫の方がほかの人とくっつく前に出会えてよかったって、心底ホッとした。


結婚へ、かなり遅れたスタートを切った夫の中で、例えば夫婦というものがどういうイメージになっていたのかはわからない。

ただ、少なくとも彼の両親は仲がいいし、同僚や友だちの中にも家族ぐるみで仲良くしてる人たちがいたようなので、夫婦というのは形式的な関係でしかないみたいにことさらに思ったりもしてなかったのだろうとは思う。


それにしても、「夫婦らしさの演出として」お互いの呼び名をどうするかも考えなくてはならないですねとメールに書いてきた時にはちょっと驚いた。

そんなことにこだわる人には見えなかったから。


当時、夫は私を旧姓のさん付けで呼び、私は夫が学生さんたちから呼ばれているあだ名(名字をもじったもの)のさん付けで呼んでいた。

なんとなく、ずっとそんな感じで行くのかなと、それもありかなと私は思ってた。


私がどう呼ばれたいか希望を訊かれて、特にないけど周りからはこう呼ばれていると、いくつかの呼び名を答えた。

すると、その中でもかなり親しくないと呼びづらい二つのパターンを挙げて、それを目指すと書いてきた。意外だったけど、私にとっては望むところだった。


夫の方も、実は名字をもじったものは気に入ってなくて、かと言って希望もないから私に決めてほしいということだったので、三つの候補を出した。


下の名前にさん付け。

下の名前を縮めてさん付け。

下の名前の一文字を伸ばしてくん付け。


三つ目は冗談だったけど、なんと選ばれたのは三つ目。


可笑しくて、でも、そんな十代のカップルみたいな呼び名を「許可」してくれる(?)なんてことがうれしくて、その返信のメールでさっそくそう呼ぶと——



「実際に呼ばれてみるとこっ恥ずかしいけど、そのうち慣れるのかな」


って書いてきた。


本当にこの人、おもしろい。そして、かわいい。


そう思った。

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