順番。
夫のつぶやきを見て、別れの宣告を受けるために電話をかけた私。
近いうちに保険の男とおうちデートしたら、そのまま結婚へと突き進むだろうという予感がした、そのまったく同じ日に、奇しくも本命の人と終わるなんて。
もしこれがちゃんとした小説だったら、むしろそんな展開にはしないだろうってくらい陳腐だ。
これは安っぽい悲劇なの? それとも喜劇?
「私と関係ありますか?」
その問いへの答えは「鋭いですね」だった。
つまり、私と関係あるってことだ。
ゴクリと内心でつばを飲む私。
「本当は、もっと時間が経ってから、言う機会もあるかもしれないとは思っていたけれど」
——てことは、今すぐの話じゃなかったってこと!?
でも、私の方はSNSを見た時点で、もう崖から半歩落ちそうになっている。そして、真っ逆さまに落ちた先で、保険の人が私を受け止めるだろう。
ここが運命の分かれ道で、切羽詰まっている。
今、決着をつけてほしい。
「訊かれたから、言っちゃいますね」
ちょっと言いにくそうに夫が言う。
「はい」。またゴクリ。
「結論から言うと、たまきさんに決めました」
意味をはかりかねる私。
何を何に決めた??
頭は混乱しているけれど、心の方が勝手に浮き足立つ。
ちょっと待って——何に浮き足立ってるのか自分でわからない。
「ん?」
と、あまりまともな返しができてない私に、夫がもう一度言う。
「その、たまきさんと……あの……」
はっきりしないものの、そのトーンと言うか雰囲気と言うか、そういうものに直感なのか本能なのかが勝手に反応して、そんなにバッドニュースじゃないような気がしてくる。
言葉の先を貪るようにして待ち構える私。
夫が説明を始めて、その一言一句が事実として頭に刻まれていく間、「青天の霹靂って、まさにこのことだ」と思った。
蛍光灯に照らされた部屋の中が、妙に白々チカチカして見えたのを覚えている。
緊張のあまり、頭がしびれていたのかもしれない。それがほどけていく過程で、ヘンになっていたんだ、きっと。
夫の話はこうだった。
実は……
婚活サイトで、私と並行してやり取りしていた人がいた。
まだ一度も会ってはいなかったけど、なかなか興味深い人だったそうで。
でも、私と何度か会った段階で、夫の方から断った。
一方、過去に明らかに好意を持って近寄ってきて、まんざらでもなく会っていたら、突然、家庭の事情で姿をくらませたという女性がいたのだけど、その人が「あの時はすみませんでした」とあらためて連絡してきて、それからまたすぐに連絡が取れなくなる、ということがあった。
さらには、新卒で勤めた職場で当時とても仲良くしていた同僚が、ひと月くらい前に突然、連絡をよこしたのでメールのやり取りをしていたら、あなたと結婚したいと言ってきた。
昔は、夫の方から、このまま行ったらこの人と結婚するんだろうと思って、しかるべき段階でプロポーズらしきことをしたのだけど、その時は撃沈させられた。
それが今になって?
と、ちょっと反発も感じてたところへ、その女性は「自分の年齢を考えても、子供を持つのは今がリミット。あなたは子供が大好きだから、きっといい父親になってくれると確信している」と言ってきたらしい。
彼女の言うとおり、夫は子供がすごくほしい人だったので、この突然の申し出が魅力的で気持ちがグラグラしたそうなんだけど、一方で、彼女が自分の都合ばかりで動いてるような感じもして、素直に受け止めることもできず、相当に悩んだ。
——つまり、SNSで「傷つけるだろう相手」として書かれていたのは、その彼女のことだったのだ。
この話を聞いて、私もグラグラした。
ある程度、気心知れた相手から、あなたと子供を作りたいって言われるなんて、ふつうだったら二つ返事でもおかしくない。
彼女が昔、夫のプロポーズを断ったのだって、半分は仕事の問題だったみたいだし、離れてみて、あらためて夫の良さに気づいたってことなら、許されるだろう。
私は、子供がほしいという夫の気持ちは知っていた。
そして、私と結婚したら夫が子供を持てる可能性は限りなくゼロに近いと、私は思っていた。
だから、それが理由で私とは結婚できないとなるのはしかたがないし、逆に、それでも私を選ぶとなったら、自分の意志で子供より私を取るってことでいいんですよね? ってことだ。
もちろん、そんなこと口に出したことはないけれど。
以前たまたま一般論として子供の話になった時、夫の方でも、子供はほしいけど、こんなトシになってからの子供だと、子供が二十歳の時にもう自分は……とか、腰も悪くしてるから小さい子供の相手は体力的に厳しいかもとか言って、「無理かな」みたいな感じだったので、私の中ではそこはすでに不問になっていた。
でも、ほかに候補が現れたのなら、そして、何よりも「子供を作りたい」というのを前面に出してきてるとなれば、悩まないわけがないのはよくわかる。
「それなのに、私でいいんですか?」
と、どっちかと言うと申し訳ない気持ちのあまり、こわごわ訊いた。
「これは、自分なりに『筋を通した』ということです」
「スジ?」
「こんなふうに言うのも失礼かもしれないけど、タイミング、というか、順番みたいなことかな」
「順番?」
ピンと来ない。
「昔、こっちから彼女に言った時は断ったのに、今になって言ってこられても……っていうのと、こっちには順序として、今すでにたまきさんという人がいるわけですから」
えっ!?
私がいる? そう思ってくれていたの!?
そんなふうに思われてる感触、一切なかったですけど!?
だから、すごくうれしかった。
心は、空中を舞っていたと思う。
でも、だけど……。
これは一生を左右することだ。
私がうれしいからって、その人の気持ちはどうする?
その人と結婚すれば、おそらく9割り方子供を持てるに違いない夫の人生は?
「このあとのことは、またメールで」
「なんか、こう言っていいのかわからないけど、うれしいです。
ありがとうございます」
そう言い合って通話を終了したものの、頭の中は混乱している。
これは、想定外ながら、たぶんプロポーズらしきものに違いない。
だけど、私がうれしいからって、はい、わかりました、ありがとうございます、なんて簡単に言って、
この二人の将来と、この二人の間に生まれてたかもしれない子供をなかったことにしていいの?
浮かれた気持ちと、それを押さえつける気持ちが綯い交ぜになったまま、
私は床にへたり込んで、しばらく呆然としていた。
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