「待って」。

その年のプロ野球が開幕した週末。

夫は遠路を車でやって来て、確か、現地集合だった気がする。

実は、そのへんの細かいところが記憶にない。


それよりも、お互いに野球が好きだったにもかかわらず、

あれがまさか私たちにとって、いや私だけかもしれないけど、

気持ちが試される場になるとは思いもよらなかったので、

そういう部分ばかりがくっきりと思い出されてしまう。


チケットは夫が取ってくれていたのだけど、一番高い席だった。

私はそんなに余裕がなかったので、自分で買うならいつもなるべく安い席。

もしかして、チケット代は驕ってくれるのかなと思ったけれど(厚かましい 笑)、

代金を払うと言ったら、すんなり受け取った。

そして、高い席を取った理由は、応援団のいる外野席と一番遠いから。

なぜなら、夫は大きな音が苦手、大キライなのだそう。

なるべく静かに見たい、ということだった。


私は大声出したり、応援団といっしょに応援したり、とにかく楽しく騒いで、

テンション高めで見るのが好きだったの、あのころは。

だから、大きな音が…と言われた時点で、

私はどの程度のテンションで応援したらいいの? と悩んでしまった。

拍手くらいはいいよね、がんばれ〜って小さい声でのはいいかな?

あら、メガホンとか持ってくるべきじゃなかったかな??


ふつうなら、せっかく共通の趣味なのに、

この人と野球見るのつまんない。って、なっちゃうところ。

というか、野球見るのに静かに見るって……メジャーリーグだってもう少し騒ぐよ?

鳴り物入りの一斉応援はないかもしれないけど。。。


だけど、ここにプロ球団が来ると知って、せっかくならそれを楽しもうと思って、

選手の名前を写真を見ながら一生懸命覚えたんだって。

スポーツとは無縁で、もちろん野球経験もまったくなくて、

ルールも当たり前のことくらいしか知らない人なのに。

それがなんだか、微笑ましいなぁって思ったのだ。


いいプレーが出ると静かに拍手してるのも、いい人だなぁって思えたのだ。


すでに、あばたもえくぼ状態だったのかもしれない。


そんなわけで、二人での初観戦だったにもかかわらず、

その試合は誰が投げて、どんな試合で、ひいきチームが勝ったのか負けたのか、

そういうことはまったく覚えていない。


試合が終わったあとのことも、そう。

観客の押し合いへし合いの雑踏の中を、

はぐれないように夫のあとについて歩きながら、

心の中で「待って」と焦りながら背中に呼びかけ続けていた悲しい気持ちばかり、

思い出される。


夫は時々振り向いて、私がついて来てるかどうか気にしてはくれてた。

でも、今日このあとどうするのか。

それについて、夫が何も言ってくれないことに、私の胸は潰れそうだった。

「待って」は、文字通り、はぐれたくない「待って」と、

今日、このままここでバイバイされそうなのが悲しくての「待って」だった。


やっと球場の出口に近くなった時に、私は腹を決めた。

どっちにしても、私の帰る方向とは逆の出口に来てしまったのだ。

このあと食事などがあるにしてもないにしても、同じ方向へこのまま行こう。

そして、何もないなら、彼が宿泊するホテルまで見送ろう。


だけど、結局、食事に行くことになった。

それが、どういう流れでそうなったのか、どっちが言い出したのか、

(私から軽く「このあとどうします?」くらい言ったような気も?)

どちらからともなくそうなったのか、やっぱり全然思い出せない。


そこの記憶は、あまりにうれしくて、

うれしくてうれしくてたまらなかった気持ちだけ。

うれし過ぎても、胸って張り裂けそうになるものなんだ、って。

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