第28話

「いい匂いがするんだ」

 陽太郎が呟いた。

龍作は立ち止まった。

「どうした?むっ」

龍作は自分の体の匂いを嗅ぐように、鼻を広げた。その様子に気付いた陽太郎は、

「違うよ。あの館の中から、いい匂いがしてくるんだ」

龍作は雪の降る夜の空気の中に、鼻をひくひくさせた。けれど、何も感じ取れなかった。

「どんな匂いだ?」

龍作はもう一度抱き上げた。すっかり重くなっていた。陽太郎の顔を近くに寄せた。

陽太郎は何かをちょっと考えているようだった。そして、

「あっ、ひまわりだ。ひまわりの匂いがする」

陽太郎はこう言った後、

「へへっ」

と笑った。

今度は、龍作が驚く番だった。

「あっ、そうか」

龍作はもっと前の出来事を思い出していた。龍作の気になっていたことだ。陽太郎が一歳か二歳の時、龍作はねだられるままに家の近くを歩いていた。その時は確か、

⌒小原警視正もやって来ていた筈)

なのだが、その場所に畑一面に咲いているひまわりを見に来ていた。しかしその時には、もうひまわりは一本も咲いていなかった。多分、その家の人が何かの事情により全部刈り取ってしまったのだろう。

陽太郎はひまわりが一本もない、ちょっとがっかりしたようだったが、何も思いついたのか、ぐずり始めた。陽太郎は小さな手で指差していた。陽太郎は、龍作にそのまま連れて行くようにねだっていたのだ。龍作はねだられるままに、陽太郎を抱いたまま歩いて行ったのだ。あの時、

⌒この子は、ひまわりの匂いを感じていたのだ)

そして、龍作が連れて行かれた先には三本のひまわりがあり、鮮やかな黄色い花を咲かせていた。

「よく分かったね。館の中にはひまわりが、小さな鉢にだけど一本咲いているんよ」

黒いヒゲのサンタは力強く陽太郎の体を抱き締めた。

「ひまわりの花が好きなんだ」

「うん。おかあさんも、とっても好きだよ」

「そうかな」

黒いヒゲのサンタは美千代の怒ったような顔を思い浮かべた。彼女はひまわりの花が嫌いだった。

(そうか、そうか)

彼は黒いヒゲの中に白い歯を見せた。

たった一本のひまわりの花が太陽に向かっている姿を、一日中見ていても、

(私は飽きなかった)

「さあ、館の中に入ろう。さっきも言ったように、たくさんの友だちが君の来るのを待っているよ」

「たくさん!」

「そうだよ、沢山だよ」


サンタクロースの館の中に入ると、いきなり広いロビーがあった。

黒いヒゲのサンタはしゃがみ込み、陽太郎の反応に興味を示した。目を大きく上げ、これから起こる何かを予想しているようだった。

陽太郎が今まで見たことのない広いロビーだった。

(幼稚園の遊び場くらい広いや)

「さあ、雪を払おう」

黒いヒゲのサンタは陽太郎の体に付いている雪を払った。しかし、ロビーの中は暖かく、この時には陽太郎の服にほとんど雪はついていなかった。

陽太郎はロビーの真ん中辺りまで歩いて行き、キョロキョロと見回した。

「何も・・・何もいないよ」

と言って、振り向いた。

すると、龍作は手を三回叩き、

「さぁ、出ておいで。今から出発の準備をするよ」

と声を掛けた。

この大きなロビーには、三つの扉があった。その中の一つは他の二つよりかなり大きかった。その二つの扉の内、一つがガタッと大きな音を立てて、開いた。

陽太郎はびっくりして、開いた扉を見ていると、中からいろいろな動物が飛び出して来た。そして、驚いたことに、その動物たちがそれぞれ手に何かを持っていたのである。犬もいれば猫もいた。大きなクマもいたし、キャキャとうるさいサルも何匹かいた。おかしなことに、みんなちゃんと包装された箱を、犬も猫は口にくわえ、サルは手に持っていた。みんな、体の大きさにあった箱で、無理なく持てている。

「さあ、こっちだ」

と黒いヒゲのサンタが声を掛けると、大きな扉がゆっくりと開いた。

長い通路があった。何処までも続いているような感じに見えた。ひっそりとしていて、誰もいなかった。その通路に動物たちは走って行く。

「何処へ行くの!」

陽太郎が訊くと、

「みんなの後について行こう。もうじき出発するから急いで、プレゼントを積み込んでいるんだよ」

すると、何かが陽太郎の体をよじ登って来た。

「ワッ!」

陽太郎は叫び声を上げた。その何かは、陽太郎の肩に乗って、陽太郎の顔を興味深そうに見つめた。

「こら、こら。びっくりさせちゃだめだ。その子は、ピックルというんだ。見たことがあるね。陽太郎君と友だちになりたいようだよ。さあ、もう少し奥まで行こう」

ピックルも小さなプレゼントの箱を、小さな嘴に持っていた。陽太郎の肩から降りようとはしなかった。

通路の奥には大きくソリがあった。とっても大きなソリで、先頭にはトナカイがたくさん繋いであった。陽太郎は目を大きく見開き、自分が夢を見ているんじゃないかと思った。

「あれっ!」

陽太郎は黒いヒゲのサンタの手を引っ張った。

黒いヒゲのサンタは笑っている。

動物たちは持って来たプレゼントをソリの後部に置くと、またロビーの方に走って行った。

「さあ、行こう。プレゼントはみんなが運び込んでくれるから。それまで、少し休んだ方がいいかもしれない」

黒いヒゲのサンタは陽太郎の手を引っ張り、もう一つのドアの前で立ち止まった。

「さあ、しばらく、ここで休もう。少し長い旅になるから。しっかり体を休めた方がいい。陽太郎君のプレゼントも、みんなが運んでくれているから。ピックル、お前も手伝って運ぶんだよ」

黒いヒゲのサンタが言うと、陽太郎の肩からビックルは飛び上がった。そして、プレゼンをソリに放り込むと、またロビーの方に飛んで行った

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