第23話

この小さな記事を目にしたのが、小原正治警視正だったのである。

小原正治は、この時名古屋に来ていた。その朝、宿泊しているホテルで朝食を取っていた新聞の地域欄の奇妙な記事に、彼は気付いた。何気ない視線の動きだったが、彼の勘が敏感に働いたのである。

小さな記事だったから一気に目を通した。

「面白い!あいつか・・・」

小原の勘だった。あいつとは、九鬼龍作のことだった。小原警視正が知っていたのは、名前だけだった。

「あいつは予告と勝利の宣言だけを残して行く」

から,名前だけは覚えさせられてしまった。いくつかの事件を起こし、小原は何度も裏を掛かれたりしていた。まだ一度も顔を合わしていない。どんな顔をしているのか、全然分かっていなかったのである。

小原はもぐもぐと呟いた。そして、腕時計に目をやった後、

「行って見るか」

今度ははっきりと呟いた。

(俺の勘だ)

こう決断すると、彼の行動は早かった。その日の昼には、ひまわりがきれいになくなっていた畑の前に立っていた。

「なるほど」

小原は独り言を呟いた。

「しかし、なぜ・・・ひまわりなんだ?それが分からん」

ひまわりに、それ程の価値があるとは思えなかった。時期がくれば、抜き取ったひまわりは枯れ、処分するしかない。しかし、小原にはこの行為がふざけたものだとは思えなかった。どんな奴がこれを計画し、こんなに見事にやったのか知りたいし、やった奴に、

「会って見たいが・・・。仕方がない、帰るか」

小原は踵を返した。

これといつて目を引くような景色はなかった。そうかといって、小原が住んでいる東京にはない長閑というか、田舎がここには存在していた。

もう昼を過ぎている。道を歩いているひとはいなかった。そういう時間帯なのかも知れないと小原は思った。

すると、小原は足を止めた。小さな子供を抱いている男が、小原の方に向かって歩いて来たのである。

(ここに住んでいる親子か?)

小原はこう推理した。

すれ違う時目が合った。

「誰だ?」

小原の勘が働いた。

(敵・・・?)

つまり犯罪の匂いがするが、いや、それ以上に面白い人間の匂いがした。しかし、この時は・・・彼の勘に、それ以上の進展はなかった。二歩三歩歩き、もう少し歩き、小原は気になり振り返った。

すると、その親子連れもこっちを振り返っていた。

 「あっ!」

 ⌒あいつ・・・ニヤリ笑っている)

 今も、彼の記憶の中に鮮明に残っている。


九鬼龍作は、この時のことをはっきりと覚えている。彼が妻と子供を置き、わがままな旅のために、家を出る前のことである。

「誰だ?」

と思った。

(小原君・・・か?)

名前だけは知っていた。龍作が起こした事件

その時は、それだけだった。それまでに、いろんな行動をしていたのだが、まだ小原警視正とは直接顔を合わせていなかったのである。なぜなら、事件の処理が終わると、龍作は消えるからである。その後、事件現場で何が行われようと、彼は関知しない。

ところで、この日の龍作は一歳に満たない陽太郎にせがまれ、昨日見たひまわりを見に来たのである。


九鬼龍作は、ついさっきすれ違った男が気になったので振り返った。すると、その男も龍作と同じ気持ちだったのか、彼の方を向いていた。

目が合った。

懐かしい人にでも会ったような気分だったのである。

互いに逸らすことなく数秒過ぎたが、最初に目を逸らしたのは龍作の方だった。

「どうした、陽太郎?」

陽太郎が体をよじり、ぐずったのである。龍作の声に、陽太郎はすぐに反応し、ぐずりは収まった。その瞬間は男の存在を忘れていたが、龍作は気になり、振り返ったが、もう男はいなかった。

その日以来、龍作の脳裏から男の姿は消えることはなかった。男が、小原正治という警視正だと分かるのは、龍作があの事件を起こした時だった。その時、二人は初めて面と向かって話をするのだが、今はそのことに触れない。

あの事件とは、日本にやって来ていた欧州の小さな国の王女が突然いなくなったことから始まる、一連の不可解な事件のことである。しかし、今はこの事件にもふれることはない。いずれその機会はあるでしょう。


龍作は、なぜ陽太郎がひまわりにこんなにまで興味を持つのか不思議でならなかった。彼・・・陽太郎が一度でもひまわりを見ていたのなら別だか、まだ一歳に満たない子の心に、どうして生じたのか想像すら出来なかった。

(あれか・・・しかし?)

小さな庭の片隅に、ひまわりが植えてある。

(私がいない時に、今咲いているひまわりの花)

を見せたのか?

何度も・・・それともたった一回だけ・・・。それが、あの子の記憶の中に残ってしまったのか?

(いや・・・)

確かに、家の花壇にはひまわりが咲き、その存在を誇っていた。龍作自身黄色いひまわり心の拠り所にしている。それに、妻の美千代も黄色い色が好きなのか、よくひまわりを見ていた。

「だが・・・」

一歳にも満たない陽太郎が、どうしてここにひまわりがあると知っていたのだろうか?この疑問に対して、龍作はこの以上詮索はしなかった。

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