第22話

黒いひげのサンタクロースは、九鬼龍作である。それ程想像力を働かすまでもなく確かな事実として判断出来る。

だが、ここに初めて公にする物語では、そのことは大した問題ではない。なぜなら、彼は、この子らの前では九鬼龍作である必要がないからである。

彼は、五年前の出来事・・・小原警視正に言わせると事件なのだが、その時のことを思い出そうとしていた。事実の多くは、もう彼の記憶から消え掛けていた。それにも拘わらず、彼は心地よさそうに目を細め、雪が降って来ている灰色の空に目を向けた。その頃の想いを、夢の力を借りて味わっていた。

(この子は知らないだろうな?)

知らないが、この子の心には、はっきりとあのひまわりの姿が映り残っているはずである。

この子は生まれて、十一か月で歩いた。首の座りが遅かったことを考えれば驚くべきことだった。首の座りが遅いために、この子の将来にいろいろ不吉なことを考えた。

しかし、事実は、そうではなかった。この子は、いい子に育ってくれた。

一旦首が座ると、その成長は早かった。そして、予想以上に早く歩き始めたその姿を見た時、言葉に出せない嬉しさがあった。私はじっとしていられなくて、ふらついて歩くこの子の後を追うように、家の中をうろうろと歩き回った。

歩き始めたこの子には目指す場所があったに違いない。しかし。その頃の私には何かをやるというものは何も見えていなかった。私にあったのは、自分の

(夢・・・夢を追う)

全く現実とは沿わない夢ばかり見ていた。

私はこの子を抱き上げ、家の外に出た。この子が何処へ行きたいという意思をした訳ではない。

(何処へ・・・?)

私はこの子の目を見た。まだ濁りにない目はまっすぐ前を見て、きれいに輝いていた。

私はこの子の見ている方向に向かった。

夏の暑い日が続いていた。この子には、ちょっときつい暑さだったかも知れない。この子を抱き上げ、鋭い陽射しから、この子の目を覆いながら歩いた。

しばらく歩くと、昔からこの地域の近くにある古い集落が見えて来た。この子は何処を見ているんだろうと改めて彼の目を見た。彼の目は少しもその輝きを失ってはいなかった。

この子の視線の先に何があるのか、全く見当が付かなかった。でも、この子の前に進もうという意思は何よりも強いようだった。

私はこの子の力を借りて、不思議な何かに導かれるように集落の中に入って行った。道で出会う人々は軽く頭を下げてきて、その度にこの地域の人の優しさが直に感じられた。このままさ迷っていたい気持ちもあったが、その集落の外れまで来てしまった。

そして、道から少し奥まった所に、一軒だけぽつり家が建っていた。特に珍しい家ではなかった。普通の家だった。

その家の前まで来ると、この子は

「ああ!ひまわり・・・」

とたどたどしい言葉で、私にいった。私はこの子の指差す方に目をやると、目に快い黄色いひまわりが畑一面に咲いていたのだ。

この子が、どうしてひまわりという花の名前を知っているのか分からない。だが、この子の目がひかり輝いてのを目の当たりにして、そんなことはどうでもいいことだと想わずにはいられなかった。

「お前は、どうしてここにひまわりが咲いているのを知っているんだ?」

陽太郎は嬉しそうにひまわりをみているだけだ。その喜ぶ表情を見れば、十一か月の子供がどう感じているのか、龍作には想像がついた。

(驚いたな)

「どうだ。明日も・・・来るか!」

陽太郎はちらっと父龍作を見たが、またひまわりの方に目を向けた。どうやら、毎日でもひまわりを見ていたいようだ。父は、そう感じた。だから、

「ようし、明日も来るか!」

龍作は叫んだ。

彼がそう叫んだことが余程嬉しかったのか、陽太郎はきゃきゃと声を上げて、笑った。

龍作も笑った。だが、この時、彼の頭の中にはある計画が出来上がりつつあった。彼の行動は早かった。

しかし、彼の計画より前に、不思議な事件が起こったのである。


次の日、騒がしい朝を迎えることとなった。

パトカーの赤いシグナルが道路を動き回り、不快な音が、朝の静かな時間に鳴り響いた。落ち着きのなく騒がしい都会の真ん中でも、朝はそれ程騒がしくはない。

「こんな田舎に何が起こったのか?」

慌てて外に出たこの集落の人々は顔を見合わせた。朝の退屈しのぎの話のタネを探していた人々が、十人ばかり集まって来た。そして、彼らは恐る恐るパトカーに行った方に歩いて行くと、その古い集落の外れにパトカーは止まっていた。

「何があったんだ!」

それは言葉にしないでも分かった。昨日まで畑一面に黄色く輝いていたひまわりが、すっかり消えて無くになっていたのである。実際、その光景を見てしまうと、驚愕という言葉がぴったりだった。

(なぜ・・・?)

という疑問を起こって来る。一人の新聞記者らしき男が写真を撮っていた。殺人というショッキングな事件でない限り、こんな田舎には多くの報道陣がやって来ることはない。つまらないちょっと馬鹿げた事件だったのである。

「誰が、こんなことをやったんだ?」

集まった人が互いに顔を見合わせた。

「誰がやったのかな?分からんの。金になるものから分からんでもないが、ひまわりなんて金になるんかな?」

誰もが、顔を見合わせる。

「のう、どうなのかな?」

警察も知らせを受けた以上、一応の対応はしないわけにはいかないから聞き取りをやっている。しかし、それ以上の捜査はしないだろうと集まった人たちの結論だった。そして、みんなが出したこの結論に満足して家に帰って行った。

つまらない、取るに足らない出来事だったが、暇潰しにやって来ていた記者は、事の成り行きを記事にし、支局に送った。送った本人も記事になるとは思っていなかったのだが、多分その日と次の日には大して事件らしいことは何も起こらなかったのだろう、この奇妙な事件の記事が、一日遅れで新聞の片隅に記事として載ったのだった。

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